国指定の重要文化財や名勝など見どころが多い寺院です!
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- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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by hiroさん(男性)
岩出・紀の川 クチコミ:8件
『粉河寺』は、山号を「風猛山」と称する「天台宗」系の宗派のひとつに数えられる「粉河観音宗」の総本山であり、「千手千眼観世音菩薩(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつ)」を絶対秘仏の本尊として祀る「紀の川市粉河」に位置する寺院です。
『粉河寺』の創建については、1953年(昭和28年)に日本最古の縁起絵巻のひとつとして国宝に指定されている「紙本著色粉河寺縁起」によると奈良時代末期となる770年(宝亀元年)に紀伊国那賀郡に住む猟師「大伴孔子古(おおとものくじこ)」が建てた草庵がはじまりと伝えられています。
ちなみに「紙本著色粉河寺縁起」は、紀伊の観音霊場『粉河寺』の本尊にまつわる縁起を描いた鎌倉時代初期の作品とされており、『粉河寺』が寺宝として所蔵し「京都国立博物館」に寄託されています。
また、平安時代になると「清少納言」が執筆した随筆「枕草子」および「藤原明衡」が執筆した「新猿楽記」に『粉河寺』が記されているなど観音霊場として信仰を集めていたことが伺われ、鎌倉時代には寺領4万石余りの境内に「七堂伽藍」のほか550坊を有する数千人の僧徒で隆盛を極めていたと伝えられています。
桃山時代の「羽柴秀吉」が豊臣の姓を賜り関白となる1585年(天正13年)には、「羽柴秀吉」による紀州攻めにより『粉河寺』寺領のほとんどが焼失するとともに現在の国宝である「紙本著色粉河寺縁起」もこのときの火災により焼損しています。
その後の江戸時代になると紀州徳川家をはじめ信徒の寄進などにより『粉河寺』が再興されており、現在の「本堂」が徳川幕府・第8代将軍「徳川吉宗」の時代となる1720年(享保5年)に再建されているほか、「大門」が1706年(宝永4年)、「千手堂」が1760年(宝暦10年)、「中門」が1832年(天保3年)にそれぞれ建立されており、1996年(平成8年)にそれぞれ4棟あわせて国の「重要文化財」に指定され、「本堂」前庭の3メートル程度の高低差部分の土留めとして桃山時代に築かれたとされる石組みの「庭園(枯山水)」が1970年(昭和45年)に国の「名勝」に指定されているなど歴史のある見どころの多い寺院となっています。
そのほか近畿地方を中心とする2府5県(和歌山県、大阪府、兵庫県、京都府、奈良県、滋賀県、岐阜県)に跨り総距離が約1000キロメートルにおよぶ観音信仰の33箇所の霊場を札所とした日本国内で最も歴史がある巡礼とされる「西国三十三所観音霊場」において『粉河寺』が第三番札所に数えられています。
「西国三十三所観音霊場」については、2019年(令和元年)に地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリー”1300年つづく日本の終活の旅~西国三十三所観音巡礼~”として文化庁の「日本遺産(Japan Heritage)」に認定されています。
今回は、『粉河寺』門前にある「丸浅旅館」に宿泊する機会があり、夕方15時過ぎと翌朝9時ごろの二日にわたり『粉河寺』境内を散策して廻りました。
『粉河寺』境内の建造物としては、最古となる朱塗りの総欅造りの楼門となる「大門」の大きさに圧倒されながら境内に入り「中門」、「庭園(枯山水)」、「千手堂」、「本堂」を中心とした国指定の重要文化財や名勝など見どころが多く写真撮影などをしながら楽しむことができましたが、ところどころで建物の朽ちている部分や土壁の崩れている部分なども目に留まり修復するための資金繰りが難しいのか気になりました。
『粉河寺』境内には、桜の木もあったので機会があれば桜の咲く季節にまた訪れてみたい寺院です。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- その他
- アクセス:
- 3.5
- JR和歌山線・粉河駅から徒歩15分程度(約1キロメートル)です。
- 景観:
- 4.5
- 国指定の重要文化財や名勝など見どころが多い寺院です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 土曜日の15時過ぎと日曜日の9時ごろの立ち寄りでしたが、境内を散策する人はまばらにいました。
- バリアフリー:
- 3.0
- 境内は、中門・本堂ほか各所に石段などの高低差があります。
クチコミ投稿日:2021/12/12
いいね!:6票
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