義経堂は、遮那王尊(源義経)を祀る堂です
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- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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by ガッサンさん(非公開)
八瀬・大原・貴船・鞍馬 クチコミ:25件
比べ石から約5分くらい下った所に「義経堂」があります。杉の大樹がそびえ立ち、森厳に気が満ちて、鞍馬が持つ修練の地という雰囲気を醸し出している。この辺りは「僧正が谷」と呼ばれ、牛若丸が7歳から10年間起居した東光坊から僧正が谷まで毎夜剣術の修行に通った場所である。
義経堂の前に立札があり、下記のように記されていた。
[義経堂]
歴史には文治五年(一一八九)四月、奥州衣川の合戦にて自害したと伝えるが、義経公の御魂はこの山におわし遮那王尊として護法魔王尊の破邪顕正のお働きを助けておられるという。この義経堂には遮那王尊をおまつりする。と書かれていた。
分かり易く説明すると、義経堂は、遮那王尊(源義経)を祀る堂です。 奥州平泉の衣川館で最期を遂げた源義経の魂は、幼少時代を過ごした鞍馬山へ戻り、遮那王尊として護法魔王尊の破邪顕正の働きを助けているという。
義経公の終焉は、兄源頼朝と対立し、奥州平泉の藤原秀衡を頼った源義経だったが、秀衡の死後、跡を継いだ泰衡に衣川館を攻められ、妻子とともに自刃した(1189年(文治5年)閏4月30日・享年31)。
2013年8月に平泉を訪れ、クチコミ「夏草や兵どもが夢の跡!」を投稿しました。義経公の正室は川越城主 河越重頼氏の娘である。その後、旅行記「小江戸 川越 歴史紀行 そして現在」を投稿、川越市の[常楽寺]を訪ねました。常楽寺には、河越重頼・京姫(郷御前)・源義経の供養塔があり、お参りしました。京姫は義経の正室で、義経と4歳の娘と共に平泉・衣川館で最期を遂げ、重頼もそのため源頼朝に誅殺されました。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
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- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2018/05/06
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