山形城の中の二の丸が霞城公園として残っています。
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- 旅行時期:2017/10(約8年前)
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by nichiさん(男性)
山形市 クチコミ:15件
山形城は霞城とも呼ばれています。
関ヶ原の合戦の頃に直江兼続が富神山から山形城を十日間見ていたものの、
霞がかかって何も見えなかったことから霞城と呼ばれるとのこと。
霞城公園には、市営球場、バレーコートやテニスコート、
県立体育館や県立武道館などのスポーツ施設。
野外音楽堂や県立博物館や県立郷土館などの文化施設があります。
これら全てが山形城の一部である二の丸があった場所にあるわけです。
広いお城だったんですね。
ちなみに山形城は二の丸から三の丸までも含め235万㎡です。
江戸城は230万㎡の広さなので、山形城がいかに大きいかが判りますよね。
1356年に斯波兼頼が羽州探題として山形に入り、1357年に最初の山形城が築城されました。
その後、斯波は最上氏を名乗り、山形城を居城とします。
最上氏11代当主義光の代に、関ヶ原合戦の戦功により、57万石の大々名となりました。
最上義光は、城郭を拡大し三の丸を構築、家臣たちの屋敷を築き、城下町を整備し、山形城を中心とした城下町が構成されました。
100万石の城下町として山形は繁栄しました。
城郭構造の基礎は、この最上義光の時代につくられています。
明治時代、廃藩によって山形藩に代わり山形歩兵第三十二連隊が入った時、本丸堀は埋められました。山形県はこの本丸堀を掘り起こし、元の姿に復元しているようです。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2018/01/18
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