被爆した浦上天主堂の南壁の一部です。
- 5.0
- 旅行時期:2017/09(約8年前)
-
-
by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
長崎市 クチコミ:57件
東洋一の壮大さを誇った浦上天主堂ですが、昭和20(1945)年8月9日午前11時2分の原子爆弾の炸裂によって破壊され、僅かに壁の一部が残るのみとなりました。その後昭和33(1958)年に再建された際に現地に移設されました。壁上に残る石像はザベリオと使徒であり、天主堂の遺構として非常にわかりやすいものとなっています。しかし原爆の発した膨大なエネルギーを受けた遺構の痛み具合はたいへんおおきなものであり、加えて風雨に晒されることを含めた経年劣化が進むことにより安全性の問題が出てきたために内部及び表面の補強が行われ、現在に至っています。
補強工事を行うことは、遺構を残す上では必要不可欠なものであることは理解できますが、やはり同じく原爆による被害を被った広島の原爆ドームでは、世界遺産の登録上積極的な修復作業が行われていないことと比較すると、その扱いの違いに戸惑いを覚えることがあります。怒りの広島と祈りの長崎というように、被爆遺構の取り扱いに関する考え方にも違いがあるのかも知れません。
世界遺産に登録するだけが被爆遺構の保存ではありませんが、バッファーゾーンを設けることにより、景観対策をしている広島に対し、ほとんどのアングルから撮影した写真に『ラブホテル』が写り込んでしまうことは『悲しい現実』として捉えるしかないのでしょうか?
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 松山町電停から歩いて5分位です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 雨の日の夕暮れ時には訪れる方も疎らでした
- バリアフリー:
- 3.5
- 足元は舗装されていませんでした。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 被爆遺構としての価値は大きいと思います。
クチコミ投稿日:2017/10/05
いいね!:13票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する