台風がきっかけとなって発見された古墳時代の巨大クスノキ
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- 旅行時期:2014/09(約11年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
平成23年9月に日本列島を襲った台風12号は、紀伊半島の各地で連続雨量が2,000mm近くにも達する猛烈な雨を記録し、甚大な被害をもたらしました。
この雨が一段落した後、紀の川を管理する国土交通省和歌山河川国道事務所の職員が見たものは、紀の川大堰の上流の川の中から突きだした2本の枝。
調べて見ると、なんと、これは巨大なクスノキの一部だったのです。
このまま放置して万が一紀の川大堰にぶつかっては大きな損害が生じる恐れがあったことから、和歌山河川国道事務所では川の中からの引き上げを試みましたが、最初に試みた25tクレーンでは動かず、次に試みた70tクレーンではワイヤーが切れ、と失敗が相次ぎました。最終的に50tクレーンと70tクレーンの2台を使って、やっとのことで引き上げに成功したのです。
引き上げてみると、幹周り12m、高さ7m、重さ40tという巨大なクスノキで、年代測定の結果、樹齢は350年程度、今から1,300年ぐらい前に枯れて紀の川に沈んだものとわかりました。
つまり、このクスノキが生きていた時代は、西暦で言えば350年頃から700年頃であったと考えられます。この頃、日本の歴史では「古墳時代」から「飛鳥時代」、「奈良時代」へと移り変わっていく時期ですが、和歌山ではちょうど岩橋千塚古墳群が築造された時代にあたります。
そんな繋がりもあり、この巨大クスノキは防腐処理を施した上で、岩橋千塚古墳群のある「紀伊風土記の丘」に移設し、常設展示されることとなりました。また、一般公募により「紀伊大王」という愛称も付けられました。
岩橋千塚古墳群は、紀の川の南岸に築かれた700基以上の古墳の集積地で、当時この地域を支配していた紀氏を祀ったものであると言われています。
紀氏は現在も日前神宮・國懸神宮の宮司職を務めていますが、このクスノキもまた古墳時代の紀氏の活躍を身近に見つめていたのかもしれません。
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- 利用した際の同行者:
- 一人旅
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- 人混みの少なさ:
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- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
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クチコミ投稿日:2015/10/13
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