神武東征伝ゆかりの神社、「最後の日本兵」小野田寛郎さんの実家でもあります
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- 旅行時期:2014/01(約11年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
海南 クチコミ:6件
「宇賀部神社」は、正式には「うかべじんじゃ」と呼ぶのが正しいそうですが、一般には「おこべじんじゃ」、あるいは「頭の宮 おこべさん」として親しまれており、特に受験シーズンには合格を祈願して多くの参詣客が訪れる有名神社です。
また、先日亡くなられた「最後の日本兵」小野田寛郎(おのだ ひろお)さんのご実家が代々同神社の宮司職を務められているということでも良く知られています。
宇賀部神社が「頭の宮」として知られるようになった背景には、日本書紀に描かれる神武天皇の東征の物語があります。
伝承によれば、「毛見ノ浜」に上陸した神武軍は、これを迎え撃つ地元勢力の女性リーダーである名草戸畔(なぐさとべ)の軍勢と死闘を繰り広げたとされます。このとき、現在の和歌山市と海南市との境にある汐見峠からクモ池の周辺で最後の戦闘が行われますが、形勢不利となった名草戸畔は高倉山に退却し、そこで惨殺されて、頭、腹、足の三つに切り裂かれたのです。このときそれぞれの亡骸が葬られた場所が、現在の宇賀部神社(頭)、杉尾神社(腹)、千種神社(足)であると伝えられており、これらの神社は今でも「おこべ(頭・こうべ)さん」「おはら(腹)さん」「あし(足)がみさん」と呼ばれて、それぞれ頭、腹、足に御利益のある神社として地域の人々の信仰を集めています。
宇賀部神社が「頭の宮」とされているのは、名草戸畔の頭をお祀りしているからなのですね。
ところで、小野田寛郎さんによれば、小野田家はこの名草戸畔の末裔であるという伝承が代々伝えられているそうです。これが事実であれば、日前宮の宮司家であり日本最古の家系の一つであると言われる紀(きい)家に匹敵する歴史を有する家系であることになります。小野田さんの不撓不屈の精神は、こうした家系の中で培われたものであったのかもしれませんね。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/09/24
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