ここは東征中の神武天皇軍に倒された名草戸畔(なぐさとべ)の腹部を祀っていると伝えられる神社です。
伝承によれば、「毛...
続きを読む見ノ浜」に上陸した神武軍は、これを迎え撃つ地元勢力の女性リーダーである名草戸畔(なぐさとべ)の軍勢と死闘を繰り広げたとされます。このとき、現在の和歌山市と海南市との境にある汐見峠からクモ池の周辺で最後の戦闘が行われますが、形勢不利となった名草戸畔は高倉山に退却し、そこで惨殺されて、頭、腹、足の三つに切り裂かれたのです。このときそれぞれの亡骸が葬られた場所が、現在の宇賀部神社(頭)、杉尾神社(腹)、千種神社(足)であると伝えられており、これらの神社は今でも「おこべ(頭・こうべ)さん」「おはら(腹)さん」「あし(足)がみさん」と呼ばれて、それぞれ頭、腹、足に御利益のある神社として地域の人々の信仰を集めています。
こうしたことから、この杉尾神社はお腹の守り神として多くの人の崇敬を集めているのです。ただ、「お腹痛けりゃ杉尾のお宮、腹のくろいのはなおりゃせぬ」という戯れ歌が伝わっているそうで、腹痛は治してもらえますが、腹黒なのは直してもらえないそうです(^^;
杉尾神社は高倉山の南側の中腹に造営されています。この山が名草戸畔終焉の地と伝えられていることを考えると、杉尾神社は名草戸畔が亡くなったこの山そのものを聖地として守るために創建された神社なのかもしれません。
神社の石段の上からは、木々に隠れてはいるものの、高倉山の麓に広がる集落が見えます。今はバイパスが通って、近くにスーパーマーケットもある比較的賑わう場所となっていますが、かつてこのあたりに名草一族が暮らしていたと考えると感慨深いものがあります。
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投稿日:2015/09/24