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神武東征軍に倒された名草戸畔の足を祀る神社、通称「あしがみさん」

  • 4.0
  • 旅行時期:2014/01(約10年前)
yoshimune-kunさん

by yoshimune-kunさん(男性)

海南 クチコミ:6件

ここは神武天皇東征伝に描かれた名草戸畔(なぐさとべ)ゆかりの神社です。
かつては、百草神社(ももくさじんじゃ)と言われていたそうですが、明治時代に周辺の他の神社を合祀したことから名前を千種神社と改めたそうです。

伝承によれば、神武東征の際、「毛見ノ浜」に上陸した神武軍は、これを迎え撃つ地元勢力の女性リーダーである名草戸畔の軍勢と死闘を繰り広げたとされます。
このとき、現在の和歌山市と海南市との境にある汐見峠からクモ池の周辺でる最後の戦闘が行われますが、形勢不利となった名草戸畔は高倉山に退却し、そこで惨殺されて、頭、腹、足の三つに切り裂かれたのです。このときそれぞれの亡骸が葬られた場所が、現在の宇賀部神社(頭)、杉尾神社(腹)、千種神社(足)であると伝えられており、これらの神社は今でも「おこべ(頭・こうべ)さん」「おはら(腹)さん」「あし(足)がみさん」と呼ばれて、それぞれ頭、腹、足に御利益のある神社として地域の人々の信仰を集めています。

こうしたことから、この千種神社には、神前に履物を供えて足腰の無病を祈る人が多く訪れており、崇敬を集めています。

また、この神社の境内には海南市の天然記念物に指定されている「千種神社のクスノキ」がそびえています。高さ約30mにも及ぶ大きなクスノキですが、伝承によれば、この木の下にお地蔵さまが安置されていたのですが、クスノキが生長するに伴い、いつしか幹の中に巻き込まれてしまったとされています。100年程前までは幹の間からお地蔵さまの一部を見ることが出来たとも言われ、地元には「行たら見て来ら 重根の宮の 楠に巻かれた地蔵尊」という歌が残っているそうです。
近くを走る県道海南金屋線から少し東側に上ったところにあり、ちょっと判りにくい場所にある神社ですが、境内に入ってから西を眺めると遠くに和歌山マリーナシティを望むことができます。

かつては現在の海南市街地がほとんど干潟のような状態であったことを考えると、古事記・日本書紀に記された時代には、この神社周辺が海岸部と内陸部との境界線に近い場所にあったのかもしれません。地図を見れば、宇賀部神社、杉尾神社、千種神社の3社は南北にほぼ直線的に並んでいますので、もしかすると、このあたりのラインが、海から攻める神武軍の勢力圏と、内陸を拠点として紀伊半島を支配する在地勢力(紀氏など)との境界線となったのかもしれません。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
3.0
人混みの少なさ:
3.0
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
3.0

クチコミ投稿日:2015/09/24

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