首のない「光秀首塚」
- 4.5
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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by bluejaysさん(男性)
東山・祇園・北白川 クチコミ:8件
小栗栖の村人が藪の中で光秀の首を見つけ、秀吉に届けた。秀吉はそれを、粟田口の刑場にさらした。
光秀の首はその後、明智軍のほかの首とともに埋められ、塚が築かれた。1771年、光秀の子孫を名のる明田利右衛門が、石塔を白川の自宅に移し、光秀の木像と位牌を祀った祠を建て、菩提を弔ったという。以来首塚は、首から上の病気にご利益があるとして地元民の信仰の対象とされてきた。明治に入り、首塚は少し西の現在地に移された。
「長存寺殿明窓玄智大禅定門」の光秀の戒名が刻まれた石碑は、明治36年に光秀を演じた歌舞伎役者の市川団蔵によって建立されたものである。
かつて祠の中に光秀の遺骨が納められていたという伝承は、事実ではないし、「光秀首塚」の下に光秀の首はないことになる。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/06/30
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