山本邸および吉田稔麿終焉の地
- 5.0
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
-
-
by bluejaysさん(男性)
二条・烏丸・河原町 クチコミ:18件
京都府顧問となった山本覚馬は、京都府権大参事槙村正直邸の隣に、新門辰五郎の土地を購入して居を構えた。その場所は、八重の回想録に「その頃私達は河原町通りの京都ホテルの前で、大黒屋書店の南隣に居りました」、また「山本覚馬伝」に「河原町御池下ル即ち今の京都ホテルの西南向ひの家に移られた」と記されていることから、河原町通西側に面した現在の御池通路上であったと考えられる。
またこの碑は、池田屋事件における吉田稔麿終焉の地をも示している。
いったん池田屋に入った吉田稔麿は、長州藩邸に戻るが、池田屋が新選組に襲撃されたという知らせを聞き、池田屋に向かう途中、加賀藩邸前で会津藩兵に遭遇し討ち死にしたという。
別の説では、池田屋が襲撃を受けたことを長州藩邸に知らせに走ったが、門が開けられなかったため門前で自刃したともいわれる。
- 施設の満足度
-
5.0
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/06/27
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する