天皇陵に定まったのは明治に入って
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- 旅行時期:2015/01(約11年前)
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by amaroさん(男性)
下鴨・宝ヶ池・平安神宮 クチコミ:30件
京大キャンパスの東側にある吉田山の東の麓で柵と鳥居がある天皇陵らしき物を見つけました。近づいてみると、「後一条天皇 菩提樹院陵」と宮内庁の看板が掲げられてました。緑地の端のような場所で、鳥居の向こう側にはこんもりとした森が見えます。調べてみると、後一条天皇は11世紀の人で、母親の彰子はあの藤原道長の娘でした。「おお、道長の関係者が登場してきたか」とあらためて歴史の近さを感じます。もっとも、こちらが稜として定まったのは明治に入ってのこと。1000年近くもたって「ここに墓があった」なんて言っても困るよなあ。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
クチコミ投稿日:2015/04/16
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