創成川の礎、大友堀と札幌開拓の先鞭を記念して
- 3.0
- 旅行時期:2014/07(約10年前)
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by しそまきりんごさん(男性)
札幌 クチコミ:1116件
大友亀太郎は、明治維新の2年前、1866年、江戸幕府(箱館奉行所)の命により箱館から札幌へ赴任し、札幌開拓の先鞭をつけ、故郷、神奈川県の小田原に帰る1870年までの4年間にわたり、札幌の開拓にあたった人物です。
亀太郎の像は、テレビ塔の裏あたり、創成川のほとりに建っています。創成川は彼が帰還した後に出来ましたが、一部は彼が主導して開削した「大友堀」が元になっており、川の開削に大友堀が果たした役割も大きく、札幌の開拓と併せて記念する像が、ここにも立っているのだと思います。
彼が開拓した札幌は、明治政府の開拓使の開いた現在の札幌とは微妙に異なり、実は、現在でも残っています。札幌市東区役所から東へ700~800mのところに札幌村郷土記念館というのがあります。そこが彼の役宅だった場所だそうです。そこにも彼の像があります。周辺部は碁盤の目状の街割りとは一変し、道が変な角度で交差していたり、あちこちで折れ曲がっていたりします。札幌とは碁盤の目状の街だと思っていると、この界隈を訪れると、妙な違和感を覚えることでしょう。その辺りから札幌駅の方に向けて、所々いびつに折れ曲がった一本道があるのですが、ほぼそのルートに近いところを大友堀が近年まで流れていたそうです。また、札幌市東区の領域は、昔、札幌村として彼の開いた札幌が元となって、その後の入植エリアを併せて発展したものだそうです。
ここ、創成川のほとりにある彼の像から、札幌村郷土記念館までは、旧大友堀に沿って行くと2km強あります。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2014/07/24
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