池田屋騒動之址碑
- 4.0
- 旅行時期:2013/11(約12年前)
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by たびたびさん(男性)
二条・烏丸・河原町 クチコミ:486件
文久3年(1863年)、会津藩に薩摩藩が中心となった公武合体派が、長州藩を主とする尊皇攘夷派を京都から追放。七卿落ちで知られる、クーデター事件が起きます。
これを挽回しようと長州藩を中心とする勤皇派が京都御所に火を放ち、その混乱に乗じて徳川慶喜や松平容保を暗殺するという計画を立てるのですが、これを察知した新撰組が密謀の現場を急襲。新撰組の名を一気に高める出来事となったのがこの池田屋事件です。
薩摩でも島津久光は基本は公武合体派。はっきりと討幕に進むのは島津斉彬になってから。幕末は複雑な思惑が絡み合いながら進むのですが、その中心こそが京都なんですね。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2013/11/14
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