大村益次郎、本間精一郎、佐久間象山などが殉難している木屋町通り(きやまちどおり)
- 4.0
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
二条・烏丸・河原町 クチコミ:96件
木屋町通り(きやまちどおり)は、京都市の南北の通りの一つで北は二条通から南は七条通まで全長約2.8kmで先斗町の西、高瀬川の東側。
慶長年間(1596−1615年)の角倉了以の高瀬川開削に伴って1611年に二条樵木町を起点に開通開通当時「樵木町」(こりきまち)と呼ばれていた。
江戸時代初期(17世紀)大坂や伏見から薪炭・木材が高瀬舟に積まれて集まり、材木問屋・材木商が倉庫や店舗を立ち並べるようになったため、「木屋町」と呼ばれた。木屋町周辺に残されている材木町、紙屋町、鍋屋町、米屋町などの地名は江戸時代の商取引の拠点だったことを示している。
幕末(19世紀)には勤皇志士が密会に利用したため坂本龍馬や桂小五郎らの潜居跡や事跡の碑が繁華街に立っており大村益次郎、本間精一郎、佐久間象山などが殉難している。木屋町通り(きやまちどおり)は明治維新の歴史を刻んだ街でもある。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/09/15
いいね!:3票
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