三条小橋の佐久間 象山遭難之碑
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- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
二条・烏丸・河原町 クチコミ:96件
佐久間 象山(さくま しょうざん、ぞうざん1811−1864年)は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家で呼称については、一般に「しょうざん」、地元では「ぞうざん」と呼ばれている。1845年に象山自身が松代本誓寺への奉納文書に「後の人我が名を呼ぶなばまさに知るべし」として反切法を用いて「しょうざん」と呼ぶように書き残している。象山は松代藩の下級武士の出であり、若年期に経学と数学を学び洋学研究へと進んだ。
1864年、象山は一橋慶喜に招かれて上洛し慶喜に公武合体論と開国論を説いたが当時の京都は尊皇攘夷派の志士の潜伏拠点となっており、「西洋かぶれ」とのレッテルを張られた象山は
三条木屋町で前田伊右衛門、河上彦斎等の手にかかり暗殺された。三条小橋には佐久間 象山遭難之碑が建てられている。
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3.5
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/08/29
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