『…此処より下に家を建てるな』の碑文で有名になった大津波記念碑
- 4.5
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
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by SUR SHANGHAIさん(女性)
宮古 クチコミ:245件
姉吉(あねよし)の集落にある大津浪記念碑は、明治29年、昭和8年の大津波を記念したものですが、2011年3月11日の東日本大震災で発生した大津波の後、『…此処より下に家を建てるな』の碑文で有名になりました。
明治29年、昭和8年の大津波では大きな被害があった姉吉集落も、この碑文を教訓にしてきたことから、東日本大震災の大津波からは難を逃れることが出来たようです。
その石碑の場所は、岩手県道41号重茂半島線から外れて、姉吉海岸へと下りて行く坂道の途中。
宮古市街地から車で行くと小1時間かかります。
一帯は、山が急激に海に落ち込むリアス式海岸なので、姉吉の集落も大津浪記念碑も海のそばと言うより山の中にある雰囲気で驚くと思います。
記念碑は、姉吉の集落が途切れたあとの道の脇にヒッソリと立っているのでお見逃しなく。
特に駐車場はありませんが、この石碑のあるあたりには車数台が停められるスペースあり。
岩手県北バスの≪宮古駅前⇔重茂⇔石浜⇔川代≫線だと、姉吉停留所で降りて、姉吉海岸への坂道を下って行けばいいのですが、便数が極端に少ないのが難。
最新情報は、下記の岩手県北バスの路線バスのページでご確認ください。
http://www.iwate-kenpokubus.co.jp/
東日本大震災前、本州最東端のトドヶ崎を訪れる途中でたまたま見かけた時には、碑文がコケで読み取れない部分もありましたが、震災後はきれいに清掃されていました。
有名になった碑文は:
高き住居は
児孫に和樂
想へ惨禍の
大津浪
此処より下に
家を建てるな
さらにその下には、下記のように記されていて、以前の大津波の被害の大きさを伝えています。
●注: 改行などは、原文のまま。
ここで言う≪部落≫とは、≪集落≫の意味。
碑文最後の≪要心何従≫というのは、≪用心何より≫と読むようです。
明治廿九年にも
昭和八年にも津
浪は此処まで来て
部落は全滅し生
存者僅かにも二人
後に四人のみ幾歳
経るとも要心何従
- 施設の満足度
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4.5
- アクセス:
- 2.0
- 岩手県道41号重茂半島線から外れて、姉吉海岸へと下りて行く坂道の途中にあります。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 普段は、姉吉の集落の人々、本州最東端のトドヶ崎へ行く人しか通らない道筋です。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 石碑の高さは130cmと大きくはありませんが、過去の大津波を経験した先人の『…此処より下に家を建てるな』の碑文は是非読んでみるといいですよ。
クチコミ投稿日:2013/05/31
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