鎌倉時代末期、元弘の乱の舞台となったことで知られている笠置寺(かさぎでら)
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- 旅行時期:2012/05(約14年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
木津・加茂 クチコミ:30件
笠置寺(かさぎでら)は京都府相楽郡笠置町の真言宗智山派の仏教寺院で開基は大友皇子か天武天皇と伝えら、境内は鎌倉時代末期、元弘の乱の舞台となったことで知られている。
笠置寺は京都府の南東部・奈良県境の笠置町にあり、東西に流れる木津川の南岸の標高289mの笠置山を境内としている。
笠置寺は自然の岩壁に直接彫り刻んだ仏像・磨崖仏(まがいぶつ)の巨大な弥勒仏を本尊とする寺で、平安時代以降、弥勒信仰の聖地として栄えた。笠置山には山中の至るところに花崗岩の巨岩が露出し、古くから山岳信仰、巨石信仰の霊地であったと推定されている。巨岩は磐座(いわくら)などと呼ばれて、神の依代(よりしろ)=目に見えないカミの宿る場所とされていた。笠置山は巨石信仰、山岳信仰が仏教思想と結び付き、山中の巨岩に仏像が刻まれ、次第に仏教寺院としての形を整えていったものと推定されている。
1331年、鎌倉幕府打倒を企てた後醍醐天皇は御所を脱出して笠置山に篭り、挙兵した(元弘の乱)。笠置山は落城し後醍醐天皇は逃亡するが捕えられ隠岐国へ流罪になった。戦乱時の兵火で笠置寺は炎上し、弥勒磨崖仏も火を浴びて石の表面が剥離してしまった。笠置山には弥勒磨崖仏の他に薬師石、文殊石、虚空蔵石、両界曼荼羅石などがあり、かつてはそれぞれに線刻の仏像や曼荼羅図が刻まれていたが、兵火でほとんどが失われ、わずかに虚空蔵菩薩像の刻まれた石のみが当初の姿をとどめている。弥勒磨崖仏は高さ約16m、幅約15mの岩に刻まれたが、現状では光背の窪みが確認できる程度で像の姿は全く失われている。
寺は再興と焼失を繰り返すが最盛期の規模が復活しておらず山門をくぐると本坊、毘沙門堂、収蔵庫、鐘楼などが建ち、その奥に一周約800mの修行場がある。修行場には「胎内くぐり」「蟻の戸渡り」「ゆるぎ石」などと名付けられた岩が点在しており、途中に弥勒磨崖仏、正月堂(弥勒磨崖仏の礼堂)、石造十三重塔、虚空蔵菩薩磨崖仏、後醍醐天皇行在所跡などがある。
笠置寺の磨崖仏は中国の石窟寺院を連想させるもので、日本では貴重な歴史遺産のひとつだろう。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 2.5
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.5
クチコミ投稿日:2013/04/03
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