緑の中にひっそり佇む京都の近代遺構。
- 4.0
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
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by つるまるこさん(女性)
下鴨・宝ヶ池・平安神宮 クチコミ:4件
南禅寺の水路閣から少し歩くと見えてくる蹴上のインクライン。
インクラインとは、船が上がれない急な坂を貨車を使って引っ張り上げるための線路跡のことだそうです。
一帯は公園として整備され、線路の跡が残されています。
ちょっとした高台になっているので、京都市内の街並みも一望できます。
なぜこの地に船を運ぶための線路がわざわざつくられたのでしょうか?
それは、明治期に行われた疏水工事の事業に端を発しているのです。
疏水工事以前、京都と大津の間の輸送は人馬に頼っており、大規模な輸送を行うことは至難の業でした。
そこで、琵琶湖疏水工事によって水路を開き、船による輸送を可能にすることで、明治維新後、首都機能が京都から東京に移り、活力をなくしかけていた京都に発展をもたらそうと、この一大事業に希望が託されたそうです。
この疏水事業は、琵琶湖から京都市内まで、山を貫通して水路で結ぶという壮大な工事であっただけではなく、舟運の向上と水道用水の確保、灌漑、さらには発電などを目的とする、実に大掛かりな開発事業だったのだそうです。
ちなみに、写真の水路の奥に見える「第3トンネル」の上部には、公家出身の初代内大臣、三条実美が揮毫した「美哉山河」の石額があります。
反対側の入口には、当時の初代大蔵大臣、薩摩出身の松方正義が揮毫した石額があります。
この他にも琵琶湖疏水のトンネルの石額は、伊藤博文・山縣有朋・井上馨などなど、歴史に名だたる要人の揮毫によるものだそうです。日本史の教科書で見覚えのある名前がずらり。凄い!実に、当時の一大事業であったことがしのばれます。
トンネルの手前の煉瓦造りの建物は、旧九条山浄水場ポンプ室。これは当時、京都の御所に防火用水を送るために造られた建物だそうです。
お寺や神社だけではない、近代期の京都の姿をうかがい知ることのできるスポットです。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.5
- 南禅寺水路閣経由のお散歩コースでどうぞ
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 桜の時期は人出も多くなるかも
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.0
- お寺や神社だけではない、近代期の京都を学べる遺構
クチコミ投稿日:2012/05/26
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