南北之塔
名所・史跡
3.22
クチコミ・評判
1~2件(全2件中)
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数千の身元不明者の遺骨が祀られています
- 4.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 4
なかなか場所が判らず難儀しましたので、経路を詳しく記しますので参考にしてください。
県道250号線の真栄平バス停の西側2... 続きを読む0mほどのところにある(バス停から最初の脇道)間道を北に向かって道なりに500mほど進むと、右手に“めへだいらむら御嶽(宮里嶽)”があります。その先すぐを右手に入り、200mあまり進むと左手に「南北之塔」が祀られています。
激戦地であった真栄平で戦没された、身元不明の遺骨を住民が収骨し集落後方のアバタガマに納め、当初は真栄平納骨堂と呼んでいたが、1966(昭和41)年、地区世帯からの分担金と内外からの寄付金によりこの場所に恒久平和を祈念し永続に残す慰霊碑として建立されたもの。
人気もない畑地の一角に建つ塔ですが、周辺は綺麗に整えられ、千羽鶴や飲み物が供えられて大切に祀られている様子を見て、少しだけ心が安らぎました。 閉じる投稿日:2017/04/10
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真栄平集落の住民が集めた身元不明の遺骨数千体を祀った真栄平納骨堂に始まります。
- 5.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 9
山雨の塔を出発し僅かしか離れていない南北之塔に迷い迷って到着しました。
沖縄県南部糸満市真栄平は、沖縄戦末期に史上稀... 続きを読むに見る地上戦が行われた戦場として多くの犠牲者を出しました。真栄平集落でも900名のうち600名の住民が犠牲となりました。戦後収容所から集落に戻ってきた真栄平の住民は、直ちに屋敷内や道路・田畑・山野に散らばっていた遺骨の収集をはじめました。中南部からの避難民、軍人等数千柱の身元不明者の遺骨を集めながら現在の南北之塔後方に位置するアバタガマに収め、昭和21(1946)年?真栄平納骨堂?を建立したことが最初になります。その後昭和41(1966)年には真栄平遺族会や篤志家のご芳志を受けて改築を行い、現在の南北之塔が完成したそうです。毎年6月23日に慰霊祭が行われており、平和の尊さを子々孫々に伝える行事として慰霊祭が行われていると真栄平自治会が建立した南北之塔由来分には書かれています。
なぜ南北之塔なのか…。これは知る人ぞしることになっているのかも知れませんが、この真栄平は沖縄戦終焉の地のひとつとも言われる激戦地帯であり、住民や学徒隊も多くの犠牲者を出しています。また沖縄戦に投入された将兵は日本全国で徴兵され、この沖縄へとやってきて、多くは故郷から遠く離れたこの沖縄の地で命を落としました。
沖縄に於ける住民の手による遺骨収集がされ、その後慰霊碑が建立されたものの特徴として?所属を問わない?という考えがあります。沖縄県民は勿論、戦闘を行った日本軍と米軍兵士を問わずその遺骨を収集し収めたもの。同様なものは多々ありますが、この南北之塔もそのひとつです。当初は真栄平納骨堂となっていましたが、恒久平和を祈念し永続に残す慰霊碑として?南北之塔?が建立、命名されました。南北問わずこの地で犠牲となった遺骨全てを慰霊するため、?南から北まで?という意味でつけられたそうです。
終戦直後に建立された慰霊塔に収められたご遺骨の多くは、現在国の事業として国立沖縄戦没者墓苑に転骨し祀られており、元来の慰霊塔には分骨という形で残されているものが多い現実があります。しかしその反面住民によって収骨された慰霊碑の多くは、住民の遺骨を多く集めており、自分のお墓には入れられないものの何らかの形でそのまま残したいという気持ちが込められています。南北之塔の場合現在約300柱の遺骨が納骨されており、その中には一家全滅を含む?無縁仏?ではあるものの、生前同じ集落の住民として家族同様に付き合っていた?知り合い?のものに他なりません。そのため永続的に同じ場所で供養したいという気持ちがあり、国の政策だからと言って首を縦に振らなかった事実もあるようです。しかし多くの慰霊碑に納められた遺骨が同様な扱いを受ける中、本来の意図とは違う取られ方をしてしまうこともあり、南北之塔でも建立時の不明瞭な扱いの部分を取り沙汰されてしまい、真栄里集落で激戦を戦って命を落とした第24師団歩兵第89連隊の部隊に所属していた北海道出身の兵士のうち?アイヌの兵士?を祀る慰霊碑として、噂だけが独り歩きしてしまった事実もあります。?キムンウタリ?アイヌ語で?山の仲間(同胞)?という意味ですが、塔の改修を行ったときに寄付を受けたアイヌ民族の元兵士の方が刻んだその一文によりヒートアップしてしまったというのがその経緯だったそうです。数年に一度?イチャルパ(アイヌ民族の先祖供養の儀式のこと)?がこの地で行われるときに、賛否両論者の小競り合いがあるそうです。ことの真実は該当者が既に亡くなっているためわからない…ゆえに揉め事も収まらないという状態のようです。
確かに?山の仲間?という意味には重みを感じるところはあります。第24師団司令部終焉の地に建立された?山部隊??雨宮司令官?から?山雨の塔?という事実も確認はできていることなので…。しかし思想論でこのような争いをするのはできれば辞めていただきたいように思えてなりません。戦争によって命を落とした人々が、せっかく静寂の地と場所を得たにも拘らずそれをぶち壊すことは…。慰霊という意味もこめて…そう思いました。 閉じる投稿日:2016/05/30
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基本情報(地図・住所)
- 施設名
- 南北之塔
- 住所
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- 沖縄県糸満市字真栄平872
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