西軍の副将・宇喜多秀家
- 4.0
- 旅行時期:2021/11(約2年前)
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by カブト虫さん(男性)
関ヶ原・垂井 クチコミ:36件
西軍の副将・宇喜多秀家は1万7千の兵力で南天満山に陣取った。合戦の朝、東軍の井伊・松平隊の宇喜多陣への発砲で合戦が始まったことは有名な話。最終的に小早川の裏切りで宇喜多隊も敗走。秀家はなんとか島津を頼って薩摩に逃げたが最終的に捕らえられる。諸藩からの嘆願により斬首は逃れ、八丈島への流刑となった。
宇喜多陣跡があるのは、南天満山麓です。開戦地からもう少し進むと、右手に「天満神社」の碑があり、その参道を登って行けば宇喜多陣跡(天満神社境内)に着きます。車が入れない参道ですが、自転車は入れますので、私は境内まで自転車で行けました。ただし、昇りです。
境内には神社本殿と宇喜多陣跡碑があるだけ。本殿の横に「宇喜多」ではなく「浮田秀家陣跡」と書かれた碑もあります。秀家は八丈島に流刑の後、「浮田」に改名したと言われていますが定かではありません。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
クチコミ投稿日:2021/12/01
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