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感應寺

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谷根千

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感應寺 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11555032

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クチコミ 2ページ目(34件)

  •  前回訪ねた折探したが分からなかったが、今回見付けることが出来ました。
     墓所は本堂の左手横から5,6mのところで、本堂...  続きを読むを背にし、極普通の墓石と並んで「抽斎澁江君墓碣銘」と読み取れる結構大きな石碑が建ててあります。
     碑文は難しくて読めないが、山門右手前に立つ説明板によると
     江戸末期の医師・儒学者。 安政5年 (1858) コレラに罹り、54歳で没し、当寺に葬られた。
     没後、森鴎外の史伝『渋江抽斎』によって、初めて抽斎の名が一般に知られるようになった。
     とのことです。
     ここへ来て初めて知った方だが、墓所を見付けることが出来満足した次第です。
     ところで、墓地の奥 (北側) に樹齢が5,600年はしているだろうと思われる大きなクスノキがあり、隣りの墓地との境界のブロック塀に挟まれて立っています。
     この珍しい様子からすると、両側の墓地が今のようになる前から立っているのでは と思われます。
     渋江抽斎墓や感應寺を訪ねた折は、この大きなクスノキもご覧になることをお忘れないように!
     尚、ここへは地下鉄・根津駅からも来れるが、JR日暮里駅南改札から谷中霊園を散策しながら10分位で来れるのでこちらがお勧めです。  閉じる

    投稿日:2017/06/26

  •  谷中霊園の南側に点在する寺院の一つが、台東区谷中6丁目にあるここ日蓮宗の感應寺です。
     大きくはないが立派な山門があり...  続きを読む、右手前には整った松の木の下に 「渋江抽斎墓」 の説明板が立ててあります。
     山門をくぐると正面に本堂が、手前に良く手入れされた草木があり静かで落ち着けるところです。
     「渋江抽斎墓」 を探したが分からず、また来てみようと思ったところです。
     ここへは地下鉄・根津駅からも来れるが、JR日暮里駅南改札から谷中霊園を散策しながら10分位で来れるのでお勧めです。  閉じる

    投稿日:2017/05/23

  • 感応寺にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/02(約8年前)
    • 0

    江戸時代の儒学者や医師として活躍した渋江抽斎のお墓。谷根千観光の人たちが多い一角にある感応寺にあります。寺社めぐりの中には...  続きを読む近代的に生まれ変わったお寺も多いですが、ここはまだ歴史を感じさせる重厚感がただよっていました。
      閉じる

    投稿日:2017/12/13

  • 立派な碑があります

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/11(約8年前)
    • 0

    谷中霊園南端近くにある感應寺の墓地にあります。感應寺の山門前には渋江抽斎の墓についての説明板が立っています。本堂のそばにあ...  続きを読むる墓地に大きな墓碑があるのですぐ見つかりました。説明を読むまで渋江抽斎を知りませんでした。江戸末期の医学者だったそうです。碑文に書かれてある文章は難しくて読めませんでした。著名人の墓が多い谷中の寺院を巡り歴史を学ぶのも面白いです。  閉じる

    投稿日:2016/11/15

  • 江戸末期の医師・儒学者

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/02(約9年前)
    • 0

    JR日暮里駅の南西、寺院が点在する路地沿いの感応寺内にある。お墓は一般的な形状で、隣に石碑もある。渋江抽斎は江戸末期の医師...  続きを読む・儒学者で、種痘治療法を記述した「護痘要法」や、日本に伝わる漢籍の所蔵・伝来・体裁等を記した「経籍訪古志」を著した。渋江抽斎やこの界隈に関心や知識のある方は訪問するのもいいかもしれない。  閉じる

    投稿日:2016/07/13

  • 言問通り1本北側の路地にある日蓮宗のお寺

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/01(約9年前)
    • 0

    JR日暮里駅の南西、寺院が点在する路地沿いにある日蓮宗のお寺。路地が少し下がった処に屋根付きの立派な山門がある。参道を進む...  続きを読むと、本堂がひっそりと佇んでいる。境内はあまり広くないが、参道や本堂の周りには木々がかなり並んでいる。週末午後、他に参拝者はいなく静かであった。慶長元年(1596)神田に創建、その後こちらに移転してきた。日蓮宗やこの界隈に関心や知識のある方は訪問するのもいいかもしれない。  閉じる

    投稿日:2016/04/14

  • 谷中寺町の真ん中

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約9年前)
    • 0

    日蓮宗のお寺で、山号を光照山と号します。
    歴史は森織部義安が開基となり、弘法寺十世日感上人が開山となり、1596年神田に創...  続きを読む建され、明暦の大火後、谷中の寺町の真ん中に移転しました。
    ちなみに同宗同名の寺院が近くにあったことから、神田感應寺と称されたといわれています。  閉じる

    投稿日:2016/05/08

  • 江戸末期の医師、儒学者

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/09(約9年前)
    • 0

    江戸末期の医師であり、儒学者だった人物で、1805年に弘前藩医の子として江戸神田に生まれました。
    一番有名な医師としての業...  続きを読む績は、種痘治療法を記述した護痘要法の著書などで、確か日本史の教科書にも載っていていた有名な人物かと思います。  閉じる

    投稿日:2016/05/08

  • 渋江抽斎の眠る寺院

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/08(約9年前)
    • 0

    日蓮宗の寺院で、山号が光照山と称します。
    森織部義安が開基、弘法寺十世日感上人が開山し、その後ここに移転しました。
    ...  続きを読む戸時代末期の医師・考証家・書誌学者である、渋江抽斎氏の眠る寺院として、案内板があります。
    この周辺は寺院が多いです。  閉じる

    投稿日:2015/08/09

  • 立派な石板の墓

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/07(約9年前)
    • 0

    谷中の感應寺を訪問した際に入り口に台東区が設置した説明板があったので、境内の奥の墓地まで行った見ました。お寺の墓地らしい雰...  続きを読む囲気のところにあって、お隣は普通の渋江家の墓でその隣に大きな石板スタイルのものが建っています。もちろん江戸時代末期に活躍した医者であり、その没後100年以上が経過しているので石もだいぶ風化していますが、この時代に亡くなった著名人の墓は、政治家や貴族など以外は質素なものが多いですが、こちらはかなり大きくて立派です。さすが医療に命をささげた方のお墓なのかなと思います。  閉じる

    投稿日:2015/07/13

  • 趣ある本堂と山門

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/07(約9年前)
    • 0

    こじんまりとしたお寺ですが、山門は仏式の木造建築で木の素材が経年で、茶褐色というか黒光りのような状態になっており、渋さがで...  続きを読むています。植わっている木々は決して大きくないですが、管理がきちんとされていて美しく植えられています。特に山門の脇にある松や楓は小ぶりながらも、趣ある山門と相まって良い雰囲気をつくっています。本堂については、古い感じはしませんが、金文字で山号が記された山額が風格を出しており、木の素材感もあって重厚感がある本堂だと思います。場所は根津駅でも日暮里駅でも鶯谷駅でもアクセスは良好で都会の寺院らしい立地です。  閉じる

    投稿日:2015/07/13

  • 渋江抽斎の墓もあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/06(約9年前)
    • 0

    感應寺は日蓮宗の寺院です。鶯谷から言問通りを根津方面に進み、上野桜木町の交差点を右折して少し進み、右手に交番が見えたら左折...  続きを読むして少し行った右手にあります。あまり大きな寺院ではありませんが、渋江抽斎の墓もありますので谷中の寺院めぐりをされる際などに訪れてみてはいかがでしょうか。  閉じる

    投稿日:2015/10/01

  • 感應寺にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/06(約9年前)
    • 0

    日蓮宗の寺院である感應寺にあります。感應寺は、鶯谷から言問通りを根津方面に進み、上野桜木町の交差点を右折して少し進み、右手...  続きを読むに交番が見えたら左折して少し行った右手にあります。渋江抽斎は、江戸時代末期の弘前の医官で考証学者であった人物です。森鴎外が史伝を書いたことでも知られています。鴎外ファンのかたは訪れてみてはいかがでしょうか。  閉じる

    投稿日:2015/10/01

  • 渋江抽斎は、医学を伊沢蘭軒って人から学んで、
    儒者や医師達との交流を持ち、
    医学・哲学・芸術分野の作品を著したそうです...  続きを読む

    考証家として当代並ぶ者なしと謳われ、
    漢・国学の実証的研究に多大な功績を残し、
    特に経籍訪古志は優れたものだそうです。
    1858年にコレラに罹患し、亡くなる。

    森鴎外が歴史小説『渋江抽斎』を発表し、
    一般にも広く知られました。
      閉じる

    投稿日:2015/06/27

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