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原田甲斐首塚

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1~2件(全2件中)

  • 原田甲斐の首塚は、登米市立米谷小学校近くの東陽寺の境内にあります。首塚はお寺の山門脇を通りお堂の後ろへ回った大銀杏の木の前...  続きを読むです。なぜ、原田甲斐の首塚がここにあるかですが、もともと東陽寺は原田家の菩提寺で伊達家の転封に伴い原田氏と一緒に船岡へ移り1680年に、現在地に移築されました。銀杏の木は密葬された時の目印に植えられたといわれ推定樹齢約500年です。  閉じる

    投稿日:2021/08/03

  • 「樅の木は残った」の主人公

    • 5.0
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    東陽寺は、伊達家が米沢に居城を移した際、家臣の原田氏が1468年山形の小松に菩提所として創建した。伊達家が仙台に転封される...  続きを読むと、原田氏は船岡へ移り、東陽寺も1617年船岡に移った。伊達騒動で原田家が断絶となると、船岡は米谷の領主であった柴田氏の所領となり、東陽寺は柴田氏の旧領米谷に移転した。
    伊達騒動において、原田甲斐は酒井忠清邸で斬殺されたが、彼を慕う家臣が遺体を密かに船岡に持ち帰り、東陽寺の裏に埋めた。その後東陽寺が米谷に移った際、甲斐の首は梵鐘に隠されて運ばれ、本堂の裏に密かに葬り、目印に銀杏を植えたと言われている。甲斐の墓標と伝えられる石は、世を憚って偽名が刻まれ、伏せられていたという。  閉じる

    投稿日:2015/03/10

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基本情報(地図・住所)

施設名
原田甲斐首塚
住所
  • 宮城県登米市東和町米谷字越路83 東陽寺
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
bluejays さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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