「樅の木は残った」の主人公
- 5.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
南三陸・登米 クチコミ:2件
東陽寺は、伊達家が米沢に居城を移した際、家臣の原田氏が1468年山形の小松に菩提所として創建した。伊達家が仙台に転封されると、原田氏は船岡へ移り、東陽寺も1617年船岡に移った。伊達騒動で原田家が断絶となると、船岡は米谷の領主であった柴田氏の所領となり、東陽寺は柴田氏の旧領米谷に移転した。
伊達騒動において、原田甲斐は酒井忠清邸で斬殺されたが、彼を慕う家臣が遺体を密かに船岡に持ち帰り、東陽寺の裏に埋めた。その後東陽寺が米谷に移った際、甲斐の首は梵鐘に隠されて運ばれ、本堂の裏に密かに葬り、目印に銀杏を植えたと言われている。甲斐の墓標と伝えられる石は、世を憚って偽名が刻まれ、伏せられていたという。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 登米からバス、本数少ない
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/03/10
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