旧西原村役場壕跡
名所・史跡
3.23
クチコミ・評判
1~3件(全3件中)
-
戦争の過酷さを知る
- 3.5
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
- 0
-
沖縄戦に於いて第二防衛線が引かれた場所?西原?。
- 5.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
- 8
やがて始まる沖縄戦に対し陸軍沖縄守備第32軍が創設され、首里に司令部が置かれることになります。太平洋戦争開戦後次第に悪くな... 続きを読むる日本軍の戦況に対し、防衛線が敷かれることとなり、ここ西原村(当時)は第二防衛線が敷かれ、西原国民学校等に1,200余名の兵士が駐屯していました。沖縄戦が不可避の状況となった昭和19(1944)年6月頃、西原村役場でも地元住民から人夫を雇って役場壕を掘り、戸籍簿、土地台帳などの重要書類や、公金、公印、出納簿、戦時債券などを重さ1トンほどもある壕内の金庫に収納していました。
役場の事務仕事は米軍が沖縄に上陸する寸前まで行われており、毎朝出勤すると役場壕から書類を持ち出して事務を行い、夕方再び書類を壕内に運んで保管していました。避難壕ではあったものの、戦後そのまま放置されていました。
その後話題にのぼることのなかった役場壕でしたが、壕前面に整地をした際に主壕の壁を業者が誤って道路に面した部分を取り崩してしまったことによって開口してしまい、その後保存が言われるようになりました。戦争の歴史的教訓が年々風化するなかで太平洋戦争の悲惨さを物語る西原町の数少ない戦争遺跡のひとつとなって現在に至っています。
現在大きく開口している壕には鉄格子が取り付けられており、無断では入ることができなくなっています。またその部分に?旧西原村役場壕?の石碑が建立されているため、この部分が入口だと思われがちですが、実はこの場所は元々開口していなかった場所であり、道路建設時に誤って壁を壊してしまったとこから開口した部分です。入口は向かって右方向にふたつあり、風通しも考えられた造りとなっています。
役場へと鍵を借りに行けば中の見学もできるようですが、その時間も今回はなかったため壕内の写真を撮るだけにしました。見た限り丁寧に掘られたように見えることは、ある程度の余裕が壕の構築時にはあったことを示しているように思います。役場壕の保全に関して、町制施行20周年を迎えた平成11(1999)年に行われ、現在のような様式となったようです。
現在でも高速道路等があり交通の要所となっている西原町ですが、沖縄戦に於いても軍事上の拠点として歴史に残る熾烈な戦いが繰り広げられた場所でもあり、西原村の住民の5,016名、実に47%が犠牲となり、一家全滅世帯数476という多大な犠牲を払っています。
戦後生き残った住民の手によって軍民問わず収集された遺骨は、近くの西原の塔に祀られました。そして戦後70余年余り経過した西原の街は、那覇のベットタウン化して人口も増え続けています。過疎の街にはならなかった西原町ですが、沖縄戦の激戦地として必ず名前が挙がるところでもあります。
この旧西原村役場壕、道路に向かってぽっかり穴をあけた人工壕ではあるもののそこには熾烈な戦いを目の当たりにしてきた史実があります。なかなか目的なくて行く場所ではないかとは思うものの立ち寄る価値はおおいにあるように思います。 閉じる投稿日:2016/07/12
-
太平洋戦争の悲惨さを物語る戦争遺跡
- 3.5
- 旅行時期:2014/04(約12年前)
- 1
1件目~3件目を表示(全3件中)
基本情報(地図・住所)
このスポットに関するQ&A(0件)
旧西原村役場壕跡 について質問してみよう!
宜野湾・北谷・中城に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
まあちゃんさん
-
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
-
はまちゃんさん
周辺スポット
周辺のおすすめホテル
-
地図で見る