1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 関東地方
  4. 東京
  5. 両国
  6. 両国 観光
  7. 旧国技館跡
両国×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
航空券
旅行記
Q&A

旧国技館跡

名所・史跡

両国

このスポットの情報をシェアする

旧国技館跡 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11341610

クリップを編集する

ラベルを選ぶ

  • ラベルはまだありません

公開設定

クチコミ 2ページ目(72件)

  • かつての国技館の跡

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/11(約3年前)
    • 0

    回向院と複合商業施設の両国シティコアの間あたり、京葉道路沿いにこの案内板が立っていました。明治時代の終わり頃に相撲興行用と...  続きを読むして、現在のシティコアのある場所に国技館が建てられていた事を示しています。ドーム型屋根の洋風建築だったようで、当時としてはかなりモダンな建物のように見受けられます。  閉じる

    投稿日:2021/02/04

  • 昔の国技館はここにあったそうです

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/09(約4年前)
    • 0

    回向院の隣は、今は「シティコア」という商業施設があり、奥の建物はマンションのように見えます。
    そこが、昔の国技館の跡地だ...  続きを読むそうで、看板が立っていました。
    天保4年から回向院で相撲興行が始まったことから、明治42年に、その境内に建設されましたそうで、建設費は28万円で、現在の価値では75億円程になるそうです。
    横網町公園にある東京都慰霊堂と同じように、明治らしい洋風建築のドーム型をしていたとの事ですが、今は何も残っていないようでした。
      閉じる

    投稿日:2020/09/08

  • 昔懐かし場所

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/02(約4年前)
    • 0

    R両国駅から国技館通りを100m程南下したところにある回向院山門の東側に旧国技館跡の立て札が立っています。小さいころ日大講...  続きを読む堂として記憶がある旧国技館はここにあったんだとちょっと感動しました。丸いドーム型の建物に覚えがありますが、1983年までここにあったとは今の場所をみると想像もつきません。
    何も残っていませんが、昔懐かし場所に思えました。  閉じる

    投稿日:2020/03/20

  • 墨田区両国2丁目の回向院のすぐ脇に旧国技館跡の説明板が立っています。明治42年(1909年)に回向院境内にドーム型屋根の国...  続きを読む技館が建設されました。すぐ近くには土俵の跡も残っています。相撲ファンであれば、一度は立ち寄っておきたいスポットです。   閉じる

    投稿日:2020/06/06

  • 現在は看板だけ

    • 2.5
    • 旅行時期:2019/04(約5年前)
    • 0

    両国駅より南に3~4分ほど歩き、京葉道路を超えたところに看板があります。
    戦前はこの辺りに両国国技館があったことがわかり...  続きを読むます。
    付近には、吉良邸跡地や勝海舟生誕の地(両国公園)がありますので、あわせて立ち寄ると良いかと思います。  閉じる

    投稿日:2019/04/17

  • 建物が残っていないのが残念だと思いました

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/01(約5年前)
    • 0

    両国国技館に大相撲の興行を見に行く前に回向院に行ったら門前の左側に、説明書きが書かれた立て札のようなものがありました。19...  続きを読む09年に建てられ、収容人員は13,000人もあったそうで、建物が残っていないのが残念だと思いました。  閉じる

    投稿日:2019/01/30

  • 薄くて見えづらい案内板

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/12(約5年前)
    • 0

    昔国技館があった場所です。現在は木でできた案内板と金属の案内板の二種類が設置されています。

    場所は同じ両国の回向院の...  続きを読む前です。

    金属の案内板は昔の国技館の様子がわかる写真もあって、当時の国技館がどんなものだったか示されています。

    ただ、説明の文字がとても薄くなってしまってとても見えづらくなってしまっています。そろそろ新しくするとよいかもしれません。  閉じる

    投稿日:2019/04/06

  • 昔の国技館はここ

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/12(約5年前)
    • 0

    江戸時代の天保4年まで回向院内で相撲の興行が行われていたのですが、明治42年に旧国技館が建てられ、以降はそこで行われていま...  続きを読むした。

    ドーム型の屋根の国技館で、13000人を収容できる当時を思うととても大きな建物でした。

    しかし、火災に見舞われたり、東京大空襲により被害もありました。戦後はGHQに接収されてしまったこともありました。

    現在は両国コアシティビルというビルになってしまいましたが、両国コアシティビルの中にある円形の中庭は旧国技館の土俵の位置だそうです。

    今は写真でしか見られないのが残念です。

      閉じる

    投稿日:2019/01/07

  • 回向院前に

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/09(約6年前)
    • 0

    回向院の山門横に説明板が立っています。大鉄傘と呼ばれた大きなドーム型の鉄屋根をまとった当時の国技館の航空写真が説明板にあり...  続きを読むました。横から見た写真も見てみたかったです。現在はビルになっており、中庭に土俵跡を示す円形のタイル表示がありました。  閉じる

    投稿日:2020/04/18

  • 回向院の境内にあったのです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/04(約6年前)
    • 0

    旧国技館は昭和58年に解体されています。そのことを示すために今は回向院の入り口山門わきに表示板がたてられています。それによ...  続きを読むると明治42年にのドーム型の洋風様式の建物でした。戦後まで残っていたのですが進駐軍にされた後に日大の講堂として使用されたのです。その頃の思い出があります。たてもの自体は見ごたえがあったのです。今は写真のみで残念です。  閉じる

    投稿日:2018/04/25

  • 当時の土俵跡もあり

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/12(約6年前)
    • 0

    現在の両国国技館と両国駅と線路を挟んで反対側にあります。
    かつてはドーム型の13000人収容の大型のものでしたが、
    ...  続きを読む物は残っていません。
    しかし、土俵の位置だけは、両国コアシティビルの中庭の円形として残っています。
    なかなか味な演出ですね。  閉じる

    投稿日:2019/11/04

  • 両国界隈を散策し回向院を訪れた際に、その近くで旧国技館の説明プレートを見つけました。初代は東京駅の設計で有名な辰野金吾の手...  続きを読むにより作られ、そのあと関東大震災や東京大空襲を経て何度も改修・再建を繰り返して来たということを知りました。日大講堂の大鉄傘といった方が馴染があるかもしれません。プレートには写真入り(もちろん白黒)で旧国技館の歴史についての説明があって、旅行者がイメージがつかみやすいよう工夫されていました。  閉じる

    投稿日:2018/02/08

  • 昔は回向院の境内でした

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/11(約6年前)
    • 0

    回向院にお参りをして、ここに旧国技館があったことを初めて知りました。もともと回向院で相撲興行が始まったことから、その境内の...  続きを読む中に国技館が建てられたそうです。その名残として、回向院そばの両国シティコアの中庭にある円形が当時の土俵の位置を示しているということでした。  閉じる

    投稿日:2017/12/04

  • 土俵のあった場所だけが残されています

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/10(約7年前)
    • 0

    回向院の山門の東側に小さな広場があり、そこに旧国技館跡の高札があります。江戸時代 回向院で相撲が行われていたことから、明治...  続きを読む42年にこの辺りに、国技館が建てられたそうです。写真が載っていますが、大鉄傘と言われるドーム型屋根の洋風建築で、大変新しさを感じられるものです。震災や大戦を潜り抜けましたが、昭和58年に解体されたそうです。跡地には、現在、ショッピングセンターとマンションが建っていて、土俵のあった場所だけが今もわかるようになっています。  閉じる

    投稿日:2017/10/14

  • 金属製輪があります

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/09(約7年前)
    • 0

    両国駅から徒歩4分、回向院の隣に旧国技館がありました。1833年から回向院で相撲興行が行われていたことから、1909年にド...  続きを読むーム型屋根の洋風建物が建設され、大相撲が行われていました。戦後は蔵前国技館で相撲興行が行われ、1983年に解体されました。現在はオフィス棟や住宅棟のある両国シティコアが建っていて、国技館があった場所とは分かりません。両国シティコアの劇場前にある駐輪場床に輪がはめ込まれています。その場所に旧国技館の土俵がありました。その輪がここに国技館があったことを教えてくれます。回向院山門前に旧国技館跡の説明板が2か所立っていて、由来や歴史を知ることができました。回向院と旧国技館跡と両国国技館を巡り相撲興行の移り変わりを知るのも面白いです。  閉じる

    投稿日:2017/09/27

  • 旧国技館があった場所

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/07(約7年前)
    • 0

    JR両国駅から徒歩5分程、京葉道路を渡ったところにはかつて国技館があったようです。案内板によると、1833年から相撲興行が...  続きを読む回向院の境内で行われていたことから、この地に国技館が建設されたようです。現在は、複合商業施設(両国シティコアビル)がありますが、中庭の円形が当時の土俵のあった位置を示しているようです。これ以外には当時の面影はないので積極的に観光する場所ではありませんが、すぐ脇には回向院があるので、回向院に行った際に立ち寄ってみるのも良いです。  閉じる

    投稿日:2017/07/23

  • 回向院の山門前に旧国技館跡の案内板

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/07(約7年前)
    • 0

    回向院の山門前に旧国技館跡の案内板がありました。
    回向院の境内には丸の内東京駅舎などを設計した建築家の辰野金吾が監修した...  続きを読むドーム型の旧国技館があったそうです。驚いたことに現在の国技館よりも収容人数が多かったそうです。当時は今以上に相撲は人気を博していたんですね。  閉じる

    投稿日:2017/07/20

  • 回向院の山門のところにありました

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/04(約7年前)
    • 0

    2年ほど前にも両国の「回向院」を訪問したのですが、そのときはあまりよく認識していなかったので、今回は境内の隅々まで見学して...  続きを読むきました。
    「旧国技館跡」は、かつて1781年頃から境内で勧進相撲が興行されており、それが現在の大相撲の起源とも言われていることから、こちらが「旧国技館跡」となっているようです。
    両国と言えば、やはり相撲の街ですので、ある意味こちらは「聖地」でもあると思いました。
    両国駅からはちょっとだけ歩きますが、両国訪問の際は是非訪問してください。  閉じる

    投稿日:2017/08/01

  • 76年間本場所をやっていた

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/04(約7年前)
    • 0

    久しぶりに両国界隈を散策して、回向院を再訪したときにこちらの場所も自然と立ち寄りました。かつて相撲は神事であって現代の大相...  続きを読む撲は勧進相撲が発祥で、76年間の間国技館に大相撲が移されるまで、この回向院の境内で大相撲の本場所が行われていたようです。日銀や東京駅を設計した有名な建築家の辰野金吾が監修した建物でドーム型の建物です。今は跡形もないですが、その当時の写真が説明ボードに白黒写真付きでのっており、当時の技術の粋を集めて建てれていたことが容易に想像できます。  閉じる

    投稿日:2017/04/23

  • ドーム型屋根の洋風建築

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/02(約7年前)
    • 0

    JR両国駅西口を出て横綱通りを約200mほど、浄土宗諸宗山無縁寺回向院の半円柱状の大きな印象的な山門の左側に、墨田区が設置...  続きを読むした高札型案内板がありそれによると、ドーム型屋根の洋風建築で、収容人数一万三千人とかなり大きな建物で、昭和10年代の写真がありますが現在の風景とどうしても一致しないほど、いや現在よりもおしゃれで先端的な感じ、昭和58年に解体される前に見ておくべきだったと思います。
    現在も両国シティコアビルの中庭に当時の面影として土俵の円形が残っているそうです。
    相撲ファンなら一度は見に行く価値あるスポットだと思います。  閉じる

    投稿日:2019/02/17

21件目~40件目を表示(全72件中)

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4

PAGE TOP