2026/02/12 - 2026/02/16
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mom Kさん
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〈 象の檻 〉と言って読谷と結び付く人は、もうあまりいないかもしれない。初めて読谷村を訪れ、私が座喜味グスクの美しさに心打たれるきっかけだった。
以来沖縄本島を訪れれば、必ず城壁の上からの眺めやドレープに見える石積に、うっとりしている。
- 旅行の満足度
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩 Peach ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- Agoda
-
伊江島から戻ってきた翌日、目が覚めたらまだ3時。謝花悦子さんの本を開いて朝を待つ。
6時半、座喜味グスクに向かった。 -
空全体がオレンジに輝く。一瞬だった。
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7時10分。新しい日が始まる。
マルシアさんのBottleと記念写真。一昨年の夏、私達は読谷で出会った。別れの朝、「ねえ、まむちゃん。記念品を交換しましょう。」と言った。彼女のスカーフを願ったら、このボトルも私の手に。 -
いつでも訪れることができる座喜味グスク。
勝連グスクは残念ながら、あの頂からの素晴らしい朝日は見られなくなった。だから、ここはますます大切な場所になっている。 -
“優美” に包まれ圧倒される幸福感。私、今、一人ここにいる。
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午後は、サトウキビ畑を横切って読谷役場内 ” からは~い ”へ。初めてこの村に泊まってから4年目になった。スタッフの笑顔と共に「来てくれたんですね。」の言葉は、一層ワタシを喜ばせてくれる。
今日は読谷産の人参を搾ったものと教えてもらったので、それを。
Mサイズ分しか代金を渡していないのに「Lサイズにしておきました。」ですって。 -
<ゆんた市場>お魚コーナーで、”みじゅん”があればなあと、冷蔵庫陳列を覗いてみた。あら?鰯に見えるけれど、うろこと顔が微妙に違う。シールにカタカナで「ニシン」。表示の解凍は当然。北海道産昆布消費量日本一の沖縄。一緒に来たのね。
塩水に浸けて半日冷蔵庫へ。オリーブオイルたっぷりににんにくを入れてアヒージョ風に。伊江島のちぎりてんぷらを豚肉の代わりにして、人参を加えて、”くーぶいりちー”。朝食のビーガン向け豆腐サラダが多すぎて、残したもの。お米は、二合だけ持ってきていた。久米仙の炭酸割り。完璧な夕食。 -
朝、<ユンタンザミュージアム>に向かう途中、この石垣に立ち止まる。
宿近くの300年石塀が座喜味で唯一残った物と教えてもらっていた。なのにここにもあったようです。
手を触れて想像していたら、そばのお家から男性が出てこられた。たずねた。まだミドル世代にみえる彼は、石垣についてはご存じなく、思いがけないことを話し始められた。
「この道が、昔はメイン道路だったのですよ。この裏に見える道は、グスクに通信施設を米軍が建てようと造った道路なんです。」洗車の手を止めてお話が続く。下のほうの農地だった土地は戻ってこない事情まで。ここも ”伊江島” だった。それを穏やかに話される彼の表情に見入って聴かせて貰った。 -
この道が軍用道路として作られた。現在は座喜味グスクへの観光アクセス道。
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目を向けるだけで、階段を上がってそばまでいったことがなかった。説明看板もそれほど以前からではない。
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今日はゆっくり拝見。
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説明文に”よんたん”の風土と人々の姿が見えるよう。
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小さな家。石垣の殿内のようなものではないのです。民家がこのように大事に保存されることに感じ入る。
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木の臼は、私の知る形とは違うなあ。お米ではない気がする。もしかしたら、臼でもない。
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ユンタンザ ミュージアム
訪れるのは二年ぶり。今回の企画展は、“やちむん”。
石塀そばで話してくれた男性の代々の家はあの場所で、農地は海側の広い平地にあった。 -
米軍が上陸した象徴的な地、ここ読谷。平和と自治を握りしめて、村づくりを始める。
パンフレットの言葉にこもる村民一致の願い。それを生み出した戦争時の彼らの体験を思うと胸がふさがれる。
これほどの犠牲を払わないと、私達は「平和」と「自治」の意味を理解しえないのだろうか。 -
40年間他のことに転用されず、破壊のままも大切な場所として守られてきたのに違いない。出合った時の今帰仁城址のように。(伊江島で出合った本部出身のひとが呟いた。「私は前の今帰仁グスクの方がいい。」私は激しく頷いた。あの頃の今帰仁城址はよそ者である私の目にも気高いと感じた。孤高だったと思う。)
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本土では米の品種に工夫し続けるように、この地ではサトウキビなのですね。
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広く平坦な、農地に最適な土地が。
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屋良朝苗さんの愛用品とノート。
宿のオーナーが「この間、台湾から屋良朝苗先生のお墓参りに来ましたというゲストがいたのですよ。」
90歳を過ぎておられるかもしれない。HOTELに投宿されずにゲストハウスというのも、なんだか温かい気持ちにさせる。
それにしても歴代沖縄県知事のお顔は、“政治をつかさどる者” にふさわしいと、また思う。と、萱野茂さんもまた。 -
TOILETコーナーの続きに乳児のための部屋。赤ちゃんの手当てに別室で畳台というのは、初めてお目にかかったような。高さと広さにも設置担当者の考えを見る。扇風機に読谷村力。
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ここはまだ訪れていない宿題の場所
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“人間性豊かな環境・文化村 ”
この村の覚悟はここなのですね。あの図書館でも伝わります。
”美術館” の存在意義も学べる読谷。 -
早朝のお散歩。全てが止まっている空間。
昼間も時々ここに立ち、静かな気持ちを取り戻す。
座喜味地区内の御嶽。 -
私が立つこの位置まで枝が伸びているのです。地面に張っている根がところどころ地表に盛り上がっています。あの戦火を見つめ、生き抜いたガジュマル。
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午後、農道を下って図書館へ向かっていた。向こうからタオルを頬被りした年配男性がゆっくり歩いてくる。この道で人に会うのは初めて。「こんにちは!」声を張り上げた。
彼は立ち止まってじっと私を見つめる。私は近づきながらもう一度挨拶をする。すると、「掩体壕に行ったか。」と返ってきた。「いいえ。」と応えるや、行った方がいいと行き方を教えてくれた。戦争の遺物があるとは知っていたが、そちらへは足を向けていなかった。
工事中の敷地内を「左に行って右に曲がって」と教えられた通りに進むと、これがあった。 -
耕地に最適なこの広い平地部。作物はつぶされ、村民は駆り出され、建設させられたに違いない。
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二つのガマの明暗。二年前、琉球新報だったと思う。
米軍側にいたハワイ出身の二世による日本語の呼びかけで命拾いをした。その人はずっと恩人を探し続け、ようやくUSA在住の家族を探し当て、読谷で再会できたことが写真付きの記事で読んでいた。 -
読谷村役場も私の “お詣り場所” みたいになっている。この気概がまぶしくうらやましい。
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昨秋、役場のお向かいに突然現れた姿を見て、度肝を抜かれた。心も広がる平屋なのです。“読谷図書館”
入ってすぐの正面ここ、訪れるたびにまだ立ち止まって惚れ惚れする。左右は向こう端が見えないほど広い。本棚も贅沢で誘うような陳列。
残り少ない人生、[読谷詣で]は、エイサー時期の年に一度では足りない。 -
やちむんの作品も売られている。
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お隣が沖縄本の古書販売コーナー。選ぶのにもほどよいセレクト量。
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希少本と思われるものも多い。天満のフォルモサ書房店主と次に会えた時のトピックができた。
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夕方、もう一度図書館へ。前日の沖縄タイムスの記事が気になっていた。コピーさせてもらう。
夜の10時迄開館。
扉から出たところで、村民と間違われ(光栄です)、図書館について尋ねられた。聞けば北谷から時々来ていると言う。
「素晴らしいですよねぇ。」と言う私に、50代に見える女性も嬉しそうに頷かれた。 -
3年前、同室で出会った若い女性は読谷村民になり、私が滞在している時は必ず会いに来てくれる。オーナーが知らせるようだ。彼女の差し入れ、読谷一美味と言う島豆腐。チャンプルーにして同宿者とシェア。本日の鰊料理は、軽く小麦粉を振り、胡椒を加えてソテーにした。
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図書館に出かけようと下っていたら、昨日の午後同じところで出会った男性が、前をひょこひょこ歩いている。「こんにちは!」男性、立ち止まって振り返る。♂「掩体壕へ行った?」「はい、行けました。」
自然とそのまま連れ立って歩くようになり、再びここへ。
今日は、プロ野球のキャンプの様子を見ようと朝から出かけてきたという。 -
登ってはいけないと看板に書かれているが、彼はてっぺんで私を待っている。意を決して這ってあがった。
戦後、壕はサトウキビの葉を入れるのに使っていたこと。子供たちの遊び場でもあったこと。村役場は、これだけは残しておこうと、飼われていた牛を出し、唯一補強して保存していること。 -
あそこにもここにも10個以上あったと繰り返す。ようやく定年になり、毎日身体の為に2時から3時ごろ歩いている。今日は、中日のキャンプの様子を見にいくので朝から出てきた。あのトタンの壁が見える隣がワシの家。
競技場の工事がこの掩体壕を守るようにぐるりと囲んでいる。 -
毎日ここまで散歩をしていること。
お墓のように造花が添えられ、前に一円玉がぎっしり入った瓶が置かれている。
手に取って、“お賽銭”を入れようとしたら、男性が「入れんでいい。入れんでいい。」と手を振って言う。貯めていた一円玉が空き瓶一杯になったら、彼はここに持ってくる。すると、役場の人が引き取ってくれる。らしい。
蓋を開けた私の手元を見たら、隙間に押し込んだように500円玉や100円玉も入っていて、男性が驚く。
頼んで後ろ姿を撮らせてもらう。そのあと、工事で迂回する道を図書館まで送ってくれた。前日も同じ銘柄のお茶ペットボトルを持っておられた。 -
コザへのバスは、午後。
最後にもう一度 “からは~い” へ。
お昼前に行かないと、売り切れるお弁当。お取り置きの専用台があるほど。
読谷産人参ジュースに次に会えるのはいつかしらん。
からは~いの意味は、「羅針盤」。私も正しい方向を見失うまい。 -
1時31分のバスを待っていた。どこからか声がする。
向こうの二階から手を振る人がいる。掩体壕のNさんだった。よく私が分かったこと。服装もちがっているし、サングラスもかけているのに。
バスは、まだ来そうにない。
すると、歩いてくるNさんが見えた。私は笑った。
タオルの頬被りをとったお顔は、とても若くて驚いた。そういうと、大笑いされた。
♂「今度来たら、都屋漁港へ一緒にご飯を食べに行こう。」私は快諾した。
バスの窓ごしに見送られる私は、とても幸せな旅をしているなあと思った。 -
昨秋は、「アイスクリームバナナ」だった。今回は、「ブラジルアップルバナナ」。
“からは~い” でもとめて、もう2週間は過ぎた。我慢できなくて、ほぼ黄色くなったのを2本食べた。もっと甘くなるはず。我慢する。 -
読谷村が、平和と自治と文化を揺るぎない核とし、村民の“幸せ”の在り方を求めて胎動し始めたころからのことが書かれている。
読谷村立図書館古書コーナーで入手。
読谷村は、在りたい私を支えてくれる場所になっている。
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