長谷寺
寺・神社・教会
3.32
長谷寺 クチコミ・アクセス・周辺情報
麻布 観光 満足度ランキング 30位
クチコミ・評判
3.32
(20件のクチコミ)- アクセス:
- 3.56
- 人混みの少なさ:
- 4.00
- バリアフリー:
- 3.00
- 見ごたえ:
- 3.94
1~19件(全20件中)
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麻布大観音
- 3.0
- 旅行時期:2022/09(約3年前)
- 0
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東京の曹同宗の本山
- 4.5
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
- 0
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10mほどの大観音が祀られています
- 4.0
- 旅行時期:2020/09(約5年前)
- 0
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鐘楼や庭園もあり、表参道にしては広いお寺
- 3.0
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
- 0
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大きな観音様(西麻布長谷寺)
- 4.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 0
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西麻布交差点近くの広い曹洞宗のお寺
- 3.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
六本木通りの西麻布交差点の北西にある曹洞宗のお寺。六本木通りからやや細い真っ直ぐな路地を進むと、屋根付きの立派な山門がある... 続きを読む。境内に入っていくと、奥に大きな屋根を有する本堂が立っている。境内は大変広く、雲堂や鐘楼等があり木々も並んでいる。週末午後、境内は静かであった。お勧めの点は、天正12年(1584)赤坂溜池に創建、その後こちらに移転されて以来、多くの人々から敬拝されていること、当寺の観世音菩薩像は、養老年間に法道上人が楠材で造った三体の一つで見る価値があること、参拝すると願い事が叶うかもしれないこと、参拝後広い境内をゆっくり歩いていると心癒されること、江戸三十三観音霊場22番や東京三十三観音霊場6番になっていることである。 閉じる
投稿日:2017/06/26
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寺院らしい雰囲気を味わうことができて良かったです
- 3.5
- 旅行時期:2017/01(約9年前)
- 0
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正月前の光景でした
- 3.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
- 0
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広大な敷地
- 4.5
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
- 0
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境内に桜が
- 3.5
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 0
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背後には六本木ヒルズ
- 3.0
- 旅行時期:2016/01(約10年前)
- 0
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江戸33観音霊場第22番札所
- 3.5
- 旅行時期:2015/10(約10年前)
- 0
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曹洞宗大本山の別院です。
- 4.5
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
- 0
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鐘楼もはっきりとわかりました
- 3.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
- 0
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永平寺別院
- 3.0
- 旅行時期:2014/09(約11年前)
- 0
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高層ビルの間にある大きなお寺
- 3.5
- 旅行時期:2014/04(約12年前)
- 0
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立派なお寺です
- 3.5
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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西麻布の裏通りにある大きなお寺
- 4.0
- 旅行時期:2013/01(約13年前)
- 0
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曹洞宗大本山 永平寺東京別院 長谷寺
- 4.0
- 旅行時期:2012/03(約14年前)
- 0
長谷寺(ちょうこくじ)は、東京都港区西麻布二丁目にある曹洞宗の永平寺東京別院。 山号は補陀山(ほださん)。 本尊は釈迦牟尼... 続きを読む佛。 また、観音堂には十一面観世音菩薩(通称、麻布大観音)が奉安され、江戸三十三箇所観音霊場の第22番札所でもある。
[起源]
現在地は下渋谷村に属して渋谷ヶ原と呼ばれ、奈良の長谷寺と同一の木材で造られたと伝えられる観音像を祀った宇堂があった。 山口重政が天正19年(1591年)徳川家康に招聘され江戸に上った際、渋谷ヶ原に下屋敷を拝領し、慶長3年(1598年)、この渋谷ヶ原観音堂を基に補陀山長谷寺を創建し、菩提寺とした。 開山は家康と親交があり、泉岳寺の開山でもある門庵宗関であった。
その後、下野国大中寺末寺で天正12年(1584年)より溜池にあった普陀山瀧雲院と合寺し、寺格を高めた。
禅の修行道場として僧堂がある。
[江戸時代]
現在は高樹町交差点方面が正面口だが、江戸時代には西麻布交差点方面へ東に延びる道が表参道であった。 突き当たった通り沿いには天和元年(1681年)門前町(渋谷長谷寺門前)が起立し、その向かい側に渋谷川の支流笄川が流れ、川の両側には原宿村字五反田の田地が広がっていた。 現在笄川は暗渠となっている。
寺の裏手、現在の根津美術館には日向国高鍋藩秋月家下屋敷があり、屋敷内の池から境内の脇を通って笄川に至る支流が存在した。
寺の南側には広大な河内国丹南藩高木家屋敷や組屋敷が存在し、件の山口家下屋敷は高木家屋敷の南にあった。 宝永6年(1709年)、現在の高樹町センタービル付近に渋谷御掃除町が成立したが、大部分は武家地であった。
[近代]
明治になると、渋谷長谷寺門前・渋谷御掃除町・周辺の組屋敷と共に麻布区笄町に編入され、渋谷ではなく麻布地域に属することとなった。 しかし、現在の参道付近は赤坂区青山高樹町に属し、高樹町側に正面口が設けられると、寺も高樹町と認識されることも多くなった。
昭和20年(1945年)東京大空襲により本尊・寺諸共焼失したが、昭和52年(1977年)再興された。
坂本九、井上馨、榎本健一、黒田清輝 他の墓所がある。
(wikipediaより)
http://choukokuji.jiin.com/ 閉じる投稿日:2012/12/01
1件目~19件目を表示(全20件中)
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