1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 関東地方
  4. 東京
  5. 霞ヶ関・永田町
  6. 霞ヶ関・永田町 観光
  7. 工部大学校阯碑
霞ヶ関・永田町×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
航空券
旅行記

工部大学校阯碑

名所・史跡

霞ヶ関・永田町

このスポットの情報をシェアする

工部大学校阯碑 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11329853

クリップを編集する

ラベルを選ぶ

  • ラベルはまだありません

公開設定

クチコミ 2ページ目(32件)

  • 外堀通りの歩道にひっそりとありました

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/06(約6年前)
    • 26

    この石碑は外堀通りの歩道にひっそりとした感じでありました。工部大学校は明治時代に入り官職技術者の養成のため工部省が創設した...  続きを読む組織で、現在の東京大学工学部の前身の一つに当たります。設置された場所は現在の官庁街の一角で、中央合同庁舎など新しいビル群になっており、スーツ姿のエリートサラリーマンや国家公務員が闊歩していました。
      閉じる

    投稿日:2018/06/18

  • 東京大学の前身

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/12(約6年前)
    • 0

    官庁が集まる霞ヶ関の一角に、工部大学校の発祥の地の石碑がありました。工部大学校は後に帝国大学と合併して、現在の東京大学工学...  続きを読む部の前身になりました。関東大震災で倒壊した建造物の廃材を素材としており、大震災による大打撃を思い起こさせる史跡にもなっています。  閉じる

    投稿日:2017/12/27

  • 霞が関ビルの前

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/12(約6年前)
    • 0

    最寄り駅は東京メトロ銀座線の虎ノ門駅です。
    霞が関ビルの目の前で外堀通りに面した場所にこちらの工部大学校阯碑はあります。...  続きを読む
    茶色のレンガでできた校門の跡のようなものの横に説明板がありました。
    東京大学工学部の発祥の地だそうで、やはり霞が関という場所は英知の集まる場所なんだと改めて思いました。  閉じる

    投稿日:2017/12/23

  • 外堀通りに面した場所に

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/10(約7年前)
    • 0

    霞が関コモンゲートの敷地の外れで、外堀通りの歩道に面した場所にあります。関東大震災の被災建物のレンガを使用して造られた石碑...  続きを読むは、さながら学校の校門のようでした。その上に、四方位の表示板が取り付けられていました。  閉じる

    投稿日:2018/09/09

  • 霞が関コモンゲート前

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/06(約7年前)
    • 0

    中央官庁が入居する霞が関コモンゲート前の歩道にひっそりとありました。江戸時代、この一帯は、延岡藩邸を中心とした地域で、日本...  続きを読むの工学発祥の地だったこともあり、明治時代には、この地に工部大学校が開校されたようです。現在は、再開発もされ、当時の面影は全くありませんが、歴史的に貴重な場所だったと思うと印象的でした。  閉じる

    投稿日:2017/06/29

  • 歩道横にある

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/06(約8年前)
    • 0

    虎ノ門駅の北西側すぐ、霞が関コモンゲート内にある。地下鉄11番出口付近から、コモンゲートの敷地沿いの歩道を西側へ進んでいく...  続きを読むと、こちらの碑がある。碑は煉瓦造でしっかり刻まれた名札が残っている。碑の前は人が行き来しているが、この碑を見ている人は他にいなかった。明治6年、工業分野における日本人の人材育成を目的として工学校が工学寮内に開校し、後に工学寮が工部大学校と改称された。工学教育やこの界隈に関心や知識のある方は訪問するのもいいかもしれない。  閉じる

    投稿日:2016/11/08

  • 日本の工学発祥の地

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/03(約8年前)
    • 0

    「工部大学校阯碑」は、霞が関コモンゲートにあります。この場所は、江戸時代、虎門内延岡藩邸を中心とした地域で, 言わば、日本...  続きを読むの工学発祥の地だったようです。また、東京大学工学部の発祥の地でもありますが、現在は文部科学省や金融庁などの官公庁街の玄関口となっています。  閉じる

    投稿日:2016/03/24

  • 日本の工学の発祥の地

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/03(約8年前)
    • 0

    街を歩いているといろいろなものを見つけます。ここは虎ノ門から霞が関ビルに向かう途中にありました。碑の横には説明文があり、こ...  続きを読むこが日本の工学の発祥の地であったとのことが明記されていました。千代田区の指定有形文化財でもあります。  閉じる

    投稿日:2016/03/05

  • 工部大学校は、明治時代初期に工部省が管轄した大学校で、現在の東京大学工学部の前身の一つだそうです。
    工部大学校跡の碑は、...  続きを読む文部科学省の前の外堀通りを約100m程、赤坂方向に行った外堀通りに面して、建てられています。
    近くには、国立教育会館の碑や霞が関ビル等があります。
    工部大学校は、現在の東京大学工学部の前身の一つだそうですが、実地教育が重要視され、工部大学校出身者は、実務応用に秀で、東大と争うような先覚者を輩出したそうです。  閉じる

    投稿日:2015/09/16

  • 琵琶湖疏水

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/08(約10年前)
    • 1

    工部大学校といえば、現在の東京大学工学部、
    中でも土木学科の前身とも言える学校ですね。

    現在、日本に残されている、...  続きを読むいわゆる「近代化遺産」を手がけた人々がここを卒業していますが、
    中でも琵琶湖疏水を設計した田邉朔郎は、
    歴史的にも特筆すべき人物です。  閉じる

    投稿日:2014/10/03

  • 後の東京大学工学部

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/07(約10年前)
    • 0

    もともとこの辺りは、江戸時代虎門内延岡藩邸であった場所ですが、
    1873年(明治六6年)に、 工業分野における日本人の人...  続きを読む材育成を目的として工学校(工学寮内に設置)が開校したのが歴史のはじまりです。それを記念してこちらの碑があります。わざわざ行ってみるものではないかもしれませんが、霞が関に行った際についでに見てはいかがでしょうか?  閉じる

    投稿日:2017/01/29

  • 東大工学部の前身…

    • 2.5
    • 旅行時期:2014/02(約10年前)
    • 1

    コモンゲートの前にありますが、明治6年に工業分野における日本人の人材育成を目的として工学校が開校し、明治10年には工学寮が...  続きを読む工部大学校と改称しましたが、工部大学校では土木・機械などの学科がイギリスから招聘された外国人教師によって教授されていました。その後、明治19年に帝国大学と合併してその工科大学となりましたが、いわば東京大学工学部の前身にあたるようです…  閉じる

    投稿日:2014/04/10

21件目~32件目を表示(全32件中)

  1. 1
  2. 2

PAGE TOP