豊町御手洗重要伝統的建造物群保存地区
名所・史跡
3.35
豊町御手洗重要伝統的建造物群保存地区 クチコミ・アクセス・周辺情報
大崎下島・豊島・下蒲刈島 観光 満足度ランキング 2位
江戸時代に開かれた風待ち・潮待ちの港町で,北前船や諸大名の交易船の寄港地として栄え,18世紀前半の町家から昭和初期の洋館まで多種多様な建物が並んでいる。有料の観光ガイドあり。 【規模】面積/6.9ha
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
もっとも資料的価値のある北前船の寄港地は、ココかも
5.0
- 旅行時期 2024/02
- by せらおさん
「北前船の寄港地」が、日本海から瀬戸内へと点在していますが 私達が知る限り、おそらくココが「最も良く保存」され 「当時... 続きを読むの存在意義も大きかった」港町です。 呉駅の観光案内所で情報を得て 「サイクリングルートの下見」的に訪れることを決めた、「とびしま海道」の先端部にあたるこのエリア。 自転車ルートとしては、しまなみの島や今治へとフェリーがあるぞ、などと調べを進めるなか、 全国を旅する中で夫婦そろって興味を持つに至ったテーマが「北前船」。なので、 観光ガイドに入っている、この文字。。。見落とすわけには行きません。 呉の町からバイパスを30分ほど車で走ると「とびしま海道」の入り口である、有料の大橋。 そして、そこから島伝いに30分。ココ「御手洗地区」へと、まっすぐ向かいました。 同地を訪れ、街歩きを始める前に、まず、観光案内所で話を聞いたのですが 一番気になっていたのが「御手洗地区の対岸の島からが、愛媛県」 という、この位置関係。 「安芸と、伊予のさかい目にある町だから、関所としても機能したのかな?」 などとテキトーに予想していたのですが。。。 なんと、案内所のおばさま、おじさま方からの第一声が「そもそもココは伊予なのよ」 でした。 秀吉さんが半ば無理やり安芸に併合するまで、西どなりの「豊島」と、この「大崎下島」は、伊予だったの。お金が儲かりそうだから?なのか、秀吉さんが、無理やり安芸に藩替えをしちゃったのよ。と。。 今はココまであるいは、もう一つ先の島(ココだけ愛媛県)まで橋を伝って移動できる「とびしま海道」ですが、エリア内の資料館などを見ていても2008年に「豊島大橋」ができるまで、以前の「伊予と安芸」の地域境のとおり、豊島の手前で陸上交通は途切れたままだったのだ、とか。 もう、こういう話、大好物なんですよ(笑) そして、北前船の寄港地について、良く出てくる「風待ち、潮待ちの港」という単語。 ですが、実は、日本海側の寄港地は、事実上「風待ち」の港であって「潮待ち」ということは、めったにありません。 瀬戸内海は、太平洋と接続している場所が、西端と東端にある いわば「巨大な塩水湖」です。 太平洋から押し寄せる上り潮と、太平洋へと流れ出る下り潮が 一日のうち、4回、大潮、小潮などの差こそあれ、「必ず」発生する。 この「潮の流れを利用して、安定した海運が可能」であるからこそ こうやって「潮待ち」をする価値がある。わけです。 超省力海運。ですよね。 「潮待ちの港」としては、ポニョの町「鞆の浦」の方が、先に有名になっちゃった。 ということを否定するつもりはありません。が 鞆の浦が、福山の城下から、ほど近い距離にあるのに対して ここ「御手洗」の町は、「海からのアクセス以外、あり得ない」島の「大都会」 村上水軍による「水先案内」によって、安全な航海が約束された、このエリア。 時間もかかり、風の運任せの要素がより強い「地廻り(本土の港ホッピング)航路」を使わない、大多数の「瀬戸内の海運」を担当する船が、ココに寄港し 「来たときと同じ向きに、潮が動き始めるタイミング」を待ち、 また、瀬戸内で3箇所だけが許された「米を貯めるだけでなく売買も可能」な港として、大いに栄えたことでしょう。 古い寺社の石垣が「昔の海岸線」で、そこから海側へと、幕府、藩の許可を得て埋め立てが行われる。その結果、ブラタモリで出てくるような「海岸線があったところで折れ曲がる路地」とかも散見されるし それらを遡って確認できる地図資料もちゃんと残っている。展示されている。 さらには「日本ではほぼココだけ」という「伊能忠敬が測地をしているところを絵図にして残してある」なんてもの、まあ、大興奮できちゃう資料。 街なかを散策していると、白い土壁が印象的な、古い木造の住居の路地に面したところに、それぞれ「18◯◯年ごろの建築と見られる」なんて木札が、軒並みかかってて、それにもびっくり。 江戸期、この狭いエリアに4軒もの遊郭が競うように営業していた、ということでもわかるように、ここは「とても豊かな街」だったことは確実。。。なのですが 2008年になるまで「船でしかアクセスできない」場所だったことが幸いして、平成の世になるまで、バブルの開発から取り残され また、昭和の後半、明らかに「稼げない地」としての(福山市のベッドタウンたり得た鞆の浦とは対照的)時代を送ったこともあって、広島や大阪で一旗揚げた子孫が居ても「御手洗の実家を建て替える」ということが、ほとんど起きなかった。のだそうで。 そこへ、平成3(1991)年。台風19号によって大規模な高潮被害が発生し、国レベルの「調査」が入ります。1年前に、広島の大学教授によって、その資料的価値が公になって居た、とは言うものの、町並みを修復保存するようなお金は、どこにも無い。。。 はずだったものがココで「歴史的な資料価値がある港町が、台風の被害を受け、復旧、復興を補助されるべき場所」としてクローズアップ。されたのです。 3年後。平成6(1994)年に「重要伝統的建造物群保存地区」として国から選定を受けるに至ります。 時期的、時代的に、最高のときに、選定が成されたと、思います。台風さまさまデス。 そして、きっちりと国のお金を使って、調査、復旧、町並みの保存が始まり、そして、2008年に「豊島大橋」が架橋されて、車でのアクセスが可能に。ようやく「観光」が御手洗の街を潤す、その土台が完成しました。 隣接する「しまなみ海道」の隆盛に、「とびしま海道」というネーミングで、全域の観光振興も始まり今に至ります。 ここ「御手洗」は、「今、日本人が目指すべき観光地」として、もっとクローズアップされるべき。です。 訪れるみなさまには、是非、観光案内所でしっかりと歴史をひもとく話、ストーリーを聞き、その後、点在する資料館で、自ら、その内容を補完し、深く味わっていただければ、と思います。 今回、御手洗にはランチを含め、4時間半の滞在でしたが、ぜんぜん、、足りませんでした(笑) 次回、なんなら、「今治」から海路を伝って御手洗に入る。など、そう言う楽しみ方もしてみたい。と思っています。案内所のおばちゃんも「今でこそ呉方面に行くけど、橋がかかるまで「買い物は、今治に行くのが当たり前だった」って話です。 今でも、この島、この地区は、広島県にあっても「伊予の一部」なのかもしれません。 閉じる
クチコミ・評判
3.35
(19件のクチコミ)- アクセス:
- 2.83
- とびしま海道の、ほぼ先っちょです。 by せらおさん
- 人混みの少なさ:
- 3.68
- 週末は、東西2個所の駐車場が混雑することも。 by せらおさん
- バリアフリー:
- 2.93
- エレベータはなくても、昇降椅子のある施設もあり。 by せらおさん
- 見ごたえ:
- 4.00
- あると思います。 by NH SFCさん
1~18件(全19件中)
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風待ちの港町
- 4.0
- 旅行時期:2023/08(約2年前)
- 0
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町並み
- 4.5
- 旅行時期:2023/07(約2年前)
- 0
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伝統的な街並みが美しく保存されている地区を散策しました
- 5.0
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 0
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呉市豊町御手洗伝統的建造物群保存地区
- 5.0
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
- 0
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この様な街並みが残されていることに感心させられる。
- 3.5
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 0
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風待ちの港の港町。
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
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タイムスリップしたよう
- 4.5
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
- 0
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御手洗
- 4.0
- 旅行時期:2020/03(約6年前)
- 1
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広島県では重要伝統的建造物群保存地区が二つあって
- 4.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 0
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オランジーナのCMにも使われた理髪店もあります
- 3.5
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
- 0
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とびしま海道に来たらここへ
- 3.5
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
- 0
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じっくりと歩いてみたい。
- 4.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
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呉市街地から遠いです
- 4.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 0
-
こういう風景、なにか心が動きますね
- 4.0
- 旅行時期:2015/11(約10年前)
- 0
朝10時過ぎに呉で借りたレンタカーでとびしま海道をドライブし、夜には宮島で夜景を見物しようというスケジュール。とびしま海道... 続きを読むに特別な思い入れがあったわけではなく、宮島へ夜に渡るまでにどこなら行けるだろう?というチョイスでした。11月末の土曜日、晴天で絶好のドライブ日和。
往復の時間を考えると大崎下島の御手洗というところが折り返しのポイントだな、と。江戸時代、瀬戸内海を往来する船人たちで賑わった街の風情が残るという触れ込みでした。歴史的町並みという言葉に殊のほか弱い蝦夷っ子、まして自分は田んぼと畑に囲まれて育ったわけで、旅の目的地とするには魅力十分です。
ドライブルートは風光明媚で、途中いろいろと立ち寄って写真など撮っているうちに、御手洗に到達したのはもう陽がかなり傾いた午後2時半過ぎ。地区の入口の道路右手に観光案内所があり、左手には観光バスも置ける駐車場がありました。10台以上は停まれそうですが、自分の先客は乗用車が1台のみ。季節外れなんでしょうか、観光客はいくつかのグループを他に見かけただけで、至ってのんびりした雰囲気が街全体を包んでいました。狭い通りに板張りの家、瓦屋根が奥まで続いています。北海道では見たことがありませんけれど、タイムスリップした気分になりました。日本に暮らす者の原風景なんでしょうかね。 閉じる投稿日:2017/02/21
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かつての港町の様子がわかる地区
- 4.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
- 0
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のんびりお散歩
- 4.5
- 旅行時期:2014/09(約11年前)
- 0
呉市内から橋を渡ってどんどん行くと、御手洗町並み保存地区へたどり着きます。距離は結構ありますがその間に小さな漁村や島の風景... 続きを読む、藻塩の工房、など飽きることはありません。ちょうどお昼時で保存地区の一角にあるレストランで食事をすると、駐車場がタダで観光している間も停めていていいそうで、そのまま散歩へ。レストランでガイドマップをもらってそれを見ながら歩きました。路地裏とさざなみの音、レトロな建物、タイムスリップしたようです。人影もまばらで、まるで映画のようでした。特にここが見所!というものはないのですが、妙に観光地化されているよりずっといいムードでした。 閉じる
投稿日:2014/11/25
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【ももへの手紙】 イワ カワ マメから逃げるシーン
- 5.0
- 旅行時期:2012/08(約13年前)
- 1
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潮待ちの港町 御手洗を歩く
- 5.0
- 旅行時期:2010/04(約16年前)
- 3
風待ち 潮待ち 江戸港町 御手洗。
広島県大崎下島には,昔の遊郭の名残を強く残している御手洗(みたらい)の街があり... 続きを読むます。 江戸時代から続く歴史的な町並みが保存されており,遠い昔を肌に感じることができます。
江戸時代の中継貿易港御手洗には、人が集い、物が集まり、文化が育ちました。町には江戸から明治、大正、昭和初期までに建てられた貴重な建物が混在しており,すばらしい景観を感じることができます。
過去の栄華の残像が、今なお日本文化を伝えてくれます。
御手洗(みたらい)の港には,江戸時代に石で造られた高燈籠と白い灯篭形の灯台のある大波止があります。
高灯篭が今の御手洗の港に立つ姿は,当時の御手洗の繁栄を感じることができます。
大波止は,江戸時代に築造された大きな波止場です。(石積みの波止場では日本一かもしれないそうです) 波止場の先から見た御手洗の風景は時を忘れ、心が洗われる様な眺めです。
歴史の見える丘に上がれば,御手洗の町並みと瀬戸内海,遠く来島海峡大橋や四国を望むことができます。
呉市川尻から海峡を渡る橋を経由して,車で行くことができます。
お勧めのドライブコースです。
閉じる投稿日:2013/05/28
1件目~18件目を表示(全19件中)
投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
- 施設名
- 豊町御手洗重要伝統的建造物群保存地区
- 住所
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- 広島県呉市豊町御手洗
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- 大きな地図を見る
- 電話番号
- 0823-67-2278
- アクセス
- 広島呉道路呉IC 車 70分 40km 平成20年11月 豊島大橋開通
呉駅前 バス 90分 40km
竹原港 船 40分
大長港 バス 3分 御手洗港バス停下車
御手洗港バス停 徒歩 3分
今治港 船 80分
岡村港 その他 40分 9km 自転車
しまなみ海道からのサイクリスト向け
宗方港 船 23分
岡村港 その他 40分 9km 自転車
しまなみ海道からのサイクリスト向け
- 公式ページ
- 詳細情報
※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。
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