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子規庵

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上野・御徒町

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子規庵 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11289119

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クチコミ 2ページ目(36件)

  • 根岸の路地にあります

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/11(約9年前)
    • 0

    根岸の路地にあります。鶯谷駅北口を出て徒歩6・7分の場所です。再建された建物のようですがなかなか味わいがあると思いました。...  続きを読む近くには書道博物館やねぎし三平堂もありますので、散策の途中でそれらとあわせて立ち寄られてはいかがでしょうか。  閉じる

    投稿日:2015/11/25

  • 正岡子規が移り住んだ家

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/10(約9年前)
    • 0

    言問通りの寛永寺橋から下に降りて、昼間歩くにはちょっと恥ずかしい感じのホテル街を進むと有ります。ここは加賀藩前田家下屋敷の...  続きを読む侍長屋の家で正岡子規が明治27年に移り住んだ家です。正岡子規は文学の近代化に尽力をつくし35歳で生涯を終えた。その後母と妹が住んでいたが、空襲により焼失、現在の子規庵は昭和26年に再建された家で27年には東京都文化史蹟に指定されています。  閉じる

    投稿日:2015/10/30

  • 正岡子規の旧居

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/09(約9年前)
    • 0

    正岡子規が明治27年に移り住んだ家です。
    正岡子規の死後、肉親が守り続けましたが、昭和20年の空襲で焼失し、翌年には再建さ...  続きを読むれ、東京都文化史蹟に指定されています。
    ただし、文化人の住居にしてはかなり似つかわしく無い、猥雑な場所ですが、昔は違ったのでしょうか…  閉じる

    投稿日:2016/06/22

  • 大正・昭和の香りがする場所

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/08(約9年前)
    • 0

    日暮里駅と鶯谷駅の中間ぐらいの場所にあって大通りから一本裏に入った場所にあるので、意外なほど静かです。目の前が書道博物館で...  続きを読む、すぐ近くにねぎし三平堂などスポットが集まっているので散策ルートに組み入れると良いです。子規庵自体は再建されたものですが大正・昭和の香りがする建物でタイムスリップした雰囲気が実に良いです。特に道路に面した木戸は最近はほとんど見かけなくなったものですが、下町らしい雰囲気を感じさせてもくれます。  閉じる

    投稿日:2015/09/03

  • 正岡子規の住居を再現・子規庵

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/08(約9年前)
    • 0

    正岡子規が病床に伏す中、夏目漱石をはじめとする文人たちと交流した住居は
    焼失してしまったが、その後忠実に再建したのがこち...  続きを読むらの子規庵。

    間取りも狭く、それほど見学に時間はかからないですが、
    スタッフさんの説明を聞きながら、当時の様子などに思いを巡らすと
    今までとは違った視点から子規の作品を楽しむことができます。

    帰りに正岡子規も食したという「芋坂の団子」、
    羽二重団子さんでいただくのもいいですよ。  閉じる

    投稿日:2015/08/13

  • 正岡子規最期の地

    • 5.0
    • 旅行時期:2015/04(約9年前)
    • 0

    「子規庵」はもとは、旧前田家御家人用二軒長屋だったと言われている。
    正岡子規は1894年にこの地に移り、故郷松山より母八...  続きを読む重と妹律を呼び寄せ、闘病生活を続けながら俳句や短歌の創作に勤しんだ。
    子規没後も母と妹が住んでいたが、老朽化のため1925年に解体し、旧材による重修工事を行った。1945年の空襲で焼失したが、1950年に弟子の寒川鼠骨の努力で再建された。  閉じる

    投稿日:2015/06/25

  • 場所がちょっと・・・残念

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/09(約10年前)
    • 0

    JR鶯谷駅から徒歩6~7分のところ、書道博物館のすぐ近くにあります。
    俳人として名高い正岡子規が晩年を過ごした住居で、一...  続きを読む般公開されています。
    侘びさびの俳人が住まっていた家・・・なんですが、場所柄ギラギラしたホテルがすぐ近くにあったりと立地が微妙です。正岡子規もまさか近所がこんな風になるとは思ってなかったんだろうなぁ。  閉じる

    投稿日:2014/09/21

  • 不思議な場所にある

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/08(約10年前)
    • 0

    駅から歩いていったのだが、なかなか分かりづらい場所にあるので、途中不安になってしまいました。家々の間の細い道をとおって、あ...  続きを読むやしげなホテルの間を通ると出てきます。子規の昔の家の場所にあり、くわしい看板もあります。近くに書道博物館もあります。  閉じる

    投稿日:2014/12/31

  • 正岡子規が暮らした家

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/05(約10年前)
    • 0

    街ブラで山手線の日暮里駅から徒歩で立ち寄ってみました。思っていた以上に建物が小さく、子規の質素な暮らしぶりを想像することが...  続きを読むできます。見応えはあまりなく、入場料をぼったくられた気分にもなりますが、文化財を維持管理するための寄附と思って割り切りますか。  閉じる

    投稿日:2015/02/22

  • 句会が行われていた場所です

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/05(約10年前)
    • 0

    JR日暮里駅と鶯谷駅の間、やや鶯谷寄りにあります。
    正岡子規は、明治27年からこの地に住み、何度も句会や歌会が開かれてい...  続きを読むた場所です。
    台東区には正岡子規ゆかりの場所がいくつかありますが、その中でも、特に印象に残るものの一つです。
      閉じる

    投稿日:2014/07/14

  • 正岡子規が晩年を過ごしたところです。

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/05(約10年前)
    • 0

    明治27年子規はこの地に移ったそうです。その後故郷松山から母と妹を呼び寄せて、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場としていたそ...  続きを読むうです。、子規没後も、子規庵には母と妹が住み、句会、歌会の世話をつづけたそうですが、その後、震災や老朽化、戦災などにより何度も建て替えられ、現在の子規庵は昭和25年高弟、寒川鼠骨等の努力で再建されたものだそうです。


      閉じる

    投稿日:2014/06/28

  • 明治と平成を行き来できるところ

    • 5.0
    • 旅行時期:2013/09(約11年前)
    • 0

    子規ファンで、毎年9月の糸瓜忌に合わせた特別展示を見に行っています。
    (去年は行けませんでしたが。。。)入場料500円で...  続きを読むすが、子規ファンなら良いのではないかと思います。子規の机から庭を眺めていると、明治にタイムスリップした気分になります。
    基本的にボランティアの方々が保存のために骨折ってくださっています。庭に土蔵があるのですが、歴史的に貴重なものがお金と時間がなくて整理しきれてないらしく、国や都が何とかしてほしいと思っています。
    皆さん親切で、質問に丁寧に答えてくださったり、奥から資料や本を持ってきて見せてくれ、勉強になります。庭には俳句投稿コーナーがあり、全員展示してくれます。
    子規関係の本もたくさん置いてあるので、後で読もうと書き留めたりしています。子規が書いた絵のハガキも売っています。
    13年9月に作った句(駄作失礼)
    名月見て 根岸の四畳半 訪れり
    庵出て 秋空見るやスカイツリー 明治と平成行き来する  閉じる

    投稿日:2015/02/09

  • 鰻7串食べた子規にびっくり!

    • 4.0
    • 旅行時期:2012/07(約12年前)
    • 0

    子規は、病床日記に食べたものが克明に書いており、異常な食欲だったようです。夕食に蒲焼七串食べたそうです。
    さすがに翌日は...  続きを読む「腹痛耐えがたく号泣す」だったそうです。

    子規庵で、そんなことを知り、子規の人物像が新たになりました。
    下町散策で、お寄りください。


      閉じる

    投稿日:2012/07/16

  • 「坂の上の雲」を思い出しました

    • 3.0
    • 旅行時期:2012/05(約12年前)
    • 0

    JR鶯谷駅近くの住居が建て込んだ下町の住宅街に正岡子規が亡くなるまでの8年間を過ごした子規庵があります。NHKのドラマ「坂...  続きを読むの上の雲」でおなじみですが、中に入ってみると、見たとおりのまま。香川照之演じる正岡子規やもっくん演じる秋山真之の姿がよみがえってきました。小さな庭もそのままでした。もっとも、こちらは1950年の復元。関東大震災で大きく壊れて再建、1945年4月14日の空襲で焼失しました。それにしても狭い家で、ここに母八重や妹律が住み、毎日のように弟子たちが押しかけて句会が開かれていたとは。まるで安めの居酒屋に詰め込まれたような感じだったのかも。当時から下町だったのでしょうけど、住宅街とはいえ、ラブホのような建物もあり、派手な女性の姿を見かけたりして、観光としては少々?という気分になりました。
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    投稿日:2013/05/21

  • 子規庵は正岡子規が晩年をすごしたところです。台所と二間という明治時代の庶民の一般的な住まいだったようです。ここに、母親八重...  続きを読むと妹律を呼び寄せ暮らしました。書斎であり、病室であり、かつ句会の場所でもありました。正岡子規が部屋から眺めた庭の風景はどのようなものであったか、一度みたいと思って出かけました。  閉じる

    投稿日:2012/05/13

  • 子規庵は、鶯谷駅から歩いて数分。ホテル街の中にあります。ここは、子規が明治27年に移り住み、故郷松山からは、母と妹を呼び寄...  続きを読むせ、終焉までの8年間を過ごしました。子規庵の病室兼書斎となった部屋も残されていて、展示された資料からは、句会や歌会の場として、多くの友人、門弟に支えられながら過ごした日々が偲ばれます。建物は、旧前田侯の下屋敷の御家人用二軒長屋を移築したもので、こじんまりしていますが、庭はけっこうゆったり。へちまは、子規の愛したもの。夏の時期に棚が造られて、雰囲気がありました。なお、見学は500円です。


      閉じる

    投稿日:2012/05/07

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