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回向院

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回向院 クチコミ・アクセス・周辺情報

両国 観光 満足度ランキング 3位

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振袖火事と称した江戸の大火で死んだ人を弔うため建てた。以来無縁仏や無縁犬猫を供養する。

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  • 満足度の高いクチコミ

    赤穂義士は休息のため入るのを拒絶されましたが、誰でも分け隔てなく埋葬してくれる無縁寺です。

    4.0

    「両国回向院」は、墨田区両国2丁目にあります。「両国回向院」へのアクセスは、JR総武本線「両国駅」の西口を出て、左方向に進...  続きを読むむと140m先に「国道14号」(京葉道路)があります。横断歩道を渡るとすぐ目の前に「両国回向院」の朱色の「山門」があります。その「山門」の両脇には、「回向院」を守るように二体の仁王像が安置されています。 「回向院」は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院で、「諸総山無縁寺回向院」と呼ばれています。そして、「回向院」の理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」で、江戸時代から変わることなく引き継がれています。なぜ、それは何故かと言うと、「回向院」が開かれた明暦3年(1657年)に、江戸では、「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。そのようなことから無縁寺とも呼ばれている訳です。江戸は火事が多い街で、人口の増加による家屋の密集、冬場に吹く「からっ風」がその要因に挙げられます。その中でも明暦の大火は「振袖火事」でその名が知られています。そして、当時の将軍「徳川家綱」は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸にある現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが「回向院」の歴史の始まりです。 では、「回向院」の「山門」を潜ります。「回向院」の「正門」は、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです。「正門」の「扁額」と「寺号碑」に注目してください。扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。 次が、「力塚の碑」が参道を進むと右手にあります。「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。 更に進むと「塩地蔵」があります。「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。 次に、「鳥居清長顕彰碑」です平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。「鳥居清長」は、江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。 更に進むと「鼠小僧次郎吉の墓」です。「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。その他の見どころである、「水子塚」、「千体地蔵尊」、「馬頭観世音菩薩像」、「オットセイ供養塔」、「猫塚」など多数ありますので、下記に取りまとめてありますから、ご覧いただければ幸いです。 01_【一口メモ】 ⑴ 所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国2丁目8-10 電話:03-3634-7776 ⑵ 回向院の概要 ①山号…諸宗山 ②院号…回向院 ③寺号…無縁寺 ④宗派…浄土宗 02_【アクセス】 1 電車を利用して ⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩4分290m ⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩10分700m 03_【「両国回向院」の見どころ】 ⑴ 「本尊阿弥陀如来」 「回向院」の御ご本尊は、宝永2年(1705年)に安置された銅の「阿弥陀如来座像」です。かつては、野外に置かれ、濡仏さまと呼ばれていました。「阿弥陀如来座像」は、「釜屋六右衛門」の作によるもので、現在は、東京都の有形文化財にも指定されています。「阿弥陀如来座像」は、身の丈六尺五寸五部、蓮座三尺四寸五分もある大きな銅作りの坐像で、数多くの無縁仏を見守ってきたその眼差しは慈愛に満ち溢れています。 ⑵ 「水子塚」 「回向院」の「水子塚」は、寛政5年(1793年)に老中「松平定信」の命によって造立されたもので、「水子供養の発祥」とされています。ちなみに、「水子塚」とは、陽の目をみずに葬られた水子の霊を供養するためものです。「水子塚」の板石には、地蔵菩薩坐像と他では見られないような「水子塚」という大きな文字が刻まれていました。 ⑶ 「塩地蔵」 劣化が激しく「塩地蔵」の建立年は不詳ですが、「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。「東都歳時記」所載の江戸東方48ヶ所地蔵尊参りには、その42番目として数えられています。現在、私の知る限りでは、「西新井大師」、「浄土宗常光山源覚寺(こんにゃく閻魔)」など都内10社寺で確認していますが、かつては48ヶ所にあったのですね。 ⑷ 「千体地蔵尊」 「千体地蔵尊」は、ご本尊の背面にあり、ご先祖の供養や家運や社運の隆昌・繁栄を祈願する人々によって奉安されたものです。関東大震災により焼失してしまった尊像で「増上寺」の「黒本尊」と同木といわれ、「恵心僧都」の作と伝えられた「備中千体阿弥陀如来像」をその由縁としております。後光のようにご本尊を守護するさまは必見です。 ⑸ 「力塚の碑と回向院相撲」 「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。ちなみに、日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集め(寺社建立の資金となる浄財を集めるなど)のための「勧進相撲」興行の形態をとっていました。貞享元年(1684年)、江戸での「勧進相撲」が許可されると相撲はさらに盛んになりました。その後、「勧進相撲」が「回向院」境内で初めて行われたのは明和5年(1768年)で、天保4年(1833年)以降は春秋2回の興行の定場所として江戸での「勧進相撲」を独占しました。そして、明治42年(1909年)の旧両国国技館が完成するまでの76年の間、「回向院相撲の時代」が続きました。「回向院」が定場所となり、回向院で行うことが定例となり、この「回向院」の定場所が今に続く、両国国技館の前身ということですね。そして、「力塚」の敷地内には、「角力記」、「東京相撲記者碑」という相撲の発展に寄与した相撲記者の慰霊碑も建てられています。 ⑹ 「馬頭観世音菩薩像」 「馬頭観音堂」は第4代将軍「徳川家綱」の愛馬の供養として創祀されました。また、「回向院」は動物供養でも知られ、犬、猫、オットセイ、小鳥などの塚や碑もあります。供養のために建てられた「馬頭観音堂」は、回向院二世信誉貞存上人が建立し、自らが鑿をとって彫刻した「馬頭観世音菩薩像」を安置しました。「馬頭観世音菩薩像」は、享保年間頃から「江戸三十三観音」でした。「回向院」の「馬頭観世音菩薩」に祈願をこめると、当時最も恐れられた瘧疾(熱病)や疱瘡(天然痘)にかからぬといわれ、時代が下るにつれて諸病平癒の霊験顕かな観音様として、人々の厚い信仰を集めたそうです。現在も昭和新撰「江戸三十三所観音参り」での第四番札所となっています。 ⑺ 「一言観音像」 「一言観音」は、奈良の「唐招提寺」の像と同じ木で彫られたもので「恵心僧都源信」作と伝えられています。 元禄16年(1703年)10月に回向院四世「観誉上人」の夢枕にこの観音様が現れ、他所へ遷すように告げられたため、「観誉上人」はこの聖観音像を墓所へ遷したところ、ちょうどその年11月に大地震及び火災により、寺院は倒壊・類焼してしまいました。この移転により聖観音像が倒壊を免れたことが知れ渡り信仰を集めるようになるとともに、その御前で一言願をかけると願い事が叶うと慕われ、いつしか一言観音と呼ばれるようになりました。 ⑻ 「鼠小僧次郎吉の墓」 「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。計90回の盗みの後、ようやく御用になり処刑されてしまいましたが、長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。 ⑼ 「関東大震災供養塔」 東京が一朝にして焼土と化した大正12年(1923年)の関東大震災において、当時の住職であった第21世「浄厳師」は、役僧を引き連れ焼野原を歩き、亡骸を見つけては巡回回向し、また被服廠跡や隅田堤で日夜読経念仏したと伝えられます。大正14年(1925年)に東京市は遺族に対して遺骨の引き取り方を公告しました。各区にわたる死者は分骨して「回向院」にも納骨されました。 ⑽ 「正門」 「回向院」は一般的な表記ですが、「正門」の扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。令和元年(2019年)に、「正門」に「仁王像」が安置されました。「回向院」の「正門」は、かつては、現在の「両国2-8-10」あたりの位置にありました。残念ながら「回向院」の伽藍は東京大空襲で焼失しましたが、戦後、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです ⑾ 「鳥居清長顕彰碑」 「鳥居清長」は、鳥居派四代目として八頭身の美人画を確立したことで知られる浮世絵師です。江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。「鳥居清長」の墓碑は以前から「回向院」にあったとされていましたが、「関東大震災」や「東京大空襲」により所在不明となっていましたが、近年の調査で過去帳に名が記されていることが発見され、平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。 ⑿ 「オットセイ供養塔」 「オットセイ供養塔」は、大正15年(1938年)に建てられたオットセイのための供養塔です。漢字で書くと非常に難しく、「膃肭臍」と書いてオットセイと読みます。大正時代に「回向院」のなかにあった見世物小屋にいたオットセイを供養するために建てられたものです。これだけでも「回向院」の栄華が分かりますね。 ⒀ 「猫塚」 「歌川国芳」は、大の猫好きで知られる江戸後期の浮世絵師です。常に数匹、多い時には十数匹の猫を飼い、猫の戒名の書かれた位牌で飾られた猫用の仏壇を自宅に設けていたそうです。「歌川国芳」が生きていた時代にはすでに「回向院」の猫塚は存在し、「歌川国芳」は何匹もの愛猫の供養をお願いしていたそうです。「猫塚」が回向院に築かれることになったきっかけは、次の様な逸話からです。猫を大変かわいがっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が困窮してしまいます。すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。ある日、猫は姿を消し戻ってきません。ある商家で、二両くわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。このようなことにより「回向院」の猫塚が築かれたそうです。   閉じる

クチコミ・評判 18ページ目

341~360件(全462件中)

  • ネコも恩返しするんだってさ

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    回向院の境内にある。
    マンガ風の招き猫が描かれたは、高札風の案内板と墓がある。
    鶴の恩返しは知っていたが、猫の恩返しは...  続きを読む知らなかった。
    不勉強だなあ。
    それに、落語も聴かないしね。
    回向院は、ネコだけでなく、犬、オットセイなど動物の供養も引き受ける。
    もともと身元不明の人でも、だれでも受け入れてきた歴史があるから、ネコの墓があっても不思議はない。
      閉じる

    投稿日:2015/02/16

  • あいにく、なんの知識もなかった

    • 2.0
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    加藤千蔭墓は江戸中期の国学者、歌人。
    回向院の参道の左手、力塚など墓や石碑が集まっているちいさな広場に、墓と墓碑というか...  続きを読む説明文がある。
    東京都指定の旧跡とあるが、和歌に関心のない人には、面白みも何もない。
      閉じる

    投稿日:2015/02/16

  • 大量の焼死者を供養

    • 2.0
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    回向院の参道を入って左手にいくつかの石碑、高札とともにたっている。
    明暦3(1657)年1月の大火は、江戸市中の繁華街を...  続きを読む焼きつくし、数多くの焼死者を出した。
    また牢死者、行き倒れなど多くの不幸の死に方を人たちを供養する。
    高3?、1657年ころに建立。
      閉じる

    投稿日:2015/02/16

  • 回向院の一番人気

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    回向院の境内で、一番人気がここじゃないか。
    数多くの墓や石碑の中でも、ひときわ立派な線香立てや賽銭箱がある。
    鼠小僧は...  続きを読む、江戸時代後期に実在した盗賊。
    貧しい庶民の家には押し入らなかったことから、義賊として歌舞伎や小説でもてはやされた。
    貧乏人の家に押し入っても盗むものはないからね。
    結局捕まって処刑されたが、千住小塚原の刑場にお参りにいくのは遠い。
    刑場にあった回向院別院の本寺である両国回向院の境内に供養碑を建て、霊を弔った。
    手前に小さな「欠き石」という石碑があり、鼠小僧の墓石を欠いて持つと、金回りが良くなるなどといわれた。
    このため、欠け石専用の墓碑を作った。
    参拝客の多くが小さなハンマーで石を割っている。
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    投稿日:2015/02/15

  • 相撲記者の記念碑もある

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    相撲興行発祥の地、回向院の参道左側の玉垣のなかにある。
    最も大きい「力塚」と刻まれた石碑を中心に5基あり、総称して力塚と...  続きを読む呼ぶ。
    ?角力記(相撲記者慰霊のため)
    ?法界万霊塔(初代梅ヶ谷が建立)
    ?力塚(歴代相撲・年寄慰霊のため)
    ?回向院相撲記(江戸時代からの相撲の歴史を刻んだ石碑)
    ?東京相撲記者碑(角力記の続き)
      閉じる

    投稿日:2015/02/15

  • 時代小説の楽しみや回向院 (チャンバラ映画でおなじみの寺。

    両国駅西口から国技館通りを南に2,3分。
    間口は小さい...  続きを読むけれどもドーンと立派な鳥居がそそり立つ。
    鳥居も本殿も新しくて、江戸時代からはかけ離れた印象だが、中に進むと、珍しい碑や墓がたくさん並んでいて、江戸情緒がたっぷり詰まっている。
    浅草寺と同様、ここは無宗派。
    死んだ人は、誰でも、どこの宗派でも受け入れた。
    無縁仏や遊女らがここに葬られたという悲しい歴史も遠い昔となってしまった。  閉じる

    投稿日:2015/02/15

  • 回向院は懐が大きいお寺。

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    回向院の敷地、一番奥の方、鼠小僧のお墓の隣にあります。
    猫と鼠……は偶然?または意図的なのか分かりませんが、ちょっと笑っ...  続きを読むちゃいますね。

    この猫塚のそばには「両国物語 猫の恩返し(猫塚)」と書かれた案内板が設置されていてそこにエピソードが記されています。

    事実かどうかは読み手に任されるでしょう。

    回向院は行き倒れや身元不明の人等も懇ろに葬ったことでも知られているので、来るものは拒まず、猫も犬も受け入れていたと言うことなのでしょう。
      閉じる

    投稿日:2015/02/15

  • 時代劇や時代小説に良く登場するお寺。

    • 4.5
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    このお寺は1657年にできた浄土宗のお寺。
    その年起きた明暦の大火で10万人以上がなくなり、その人々を手厚く葬り、法要も...  続きを読む行われた歴史が始まりだとのこと。


    ここはまた国技館が出来る以前、相撲の開催がされてきたことでも知られ、そのために関連の像や、碑などが多く見られます。

    マンションやビルに囲まれた都会のお寺ですが、中は静かでお参りの人も結構いました。

      閉じる

    投稿日:2015/02/15

  • 相撲の歴史を物語るものが色々。

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    回向院の中には相撲にまつわるものが色々ありました。

    それは1768年9月にこの境内で相撲が行われたという歴史に関係が...  続きを読むあるようです。
    細かい謂われは、側にある墨田区教育委員会の案内板に書かれています。

    お寺も相撲もこの街の人々の中に長い間馴染んでいる物だと言うことが感じられました。
      閉じる

    投稿日:2015/02/14

  • 回向院の一番奥まったところにお墓はあります。

    墓石には「教覺速善居士」横に俗名中村次良吉と刻まれていますので、側の立...  続きを読むて看板がなければ分からないでしょう。
    墓石の前には高さが3~40センチの石が置かれ、順番を待ってその石を刻んで石の粉を集め持ち帰っていました。小さな金槌と筆もようなものが置かれています。

    鼠小僧が長年捕らえられなかった強運にあやかろうとしているからのようです。
    またに金運が良くなるとの言われもあるようです。

    でもその前に錠剤を入れる賽銭箱があったので、こちらのお寺が一番金運にあやかっているのでは、と思ってしまいました。  閉じる

    投稿日:2015/02/14

  • 相撲・ねずみ・猫

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    JR両国駅からも徒歩ですぐです、明暦の大火(振袖火事)の際に命を落とした無縁の人々を弔うために当時の将軍徳川家綱の命により...  続きを読む法要が行われたました。また江戸末期から76年間ここで興行相撲も催された。
    有縁・無縁、人・動物に関わらず仏の慈悲を説くため、震災や事故で亡くなった方、犬・猫・馬・鳥などの慰霊塔や碑が境内に数多くある。
    ねずみ小僧次郎吉や猫の報恩伝説の猫塚などがよく知られている。  閉じる

    投稿日:2015/02/03

  • お前立を削って・・

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    回向院の境内にあります。江戸時代に大名屋敷を専門に盗みに入った義賊?「鼠小僧次郎吉」のお墓、小塚原刑場で処刑された。永年捕...  続きを読むまらなかった幸運にあやかろうとお前立を削って持っておくとご利益が!?お前立はかなり削られています(私も持ち帰りましたが・・)。隣には「猫の恩返し」の猫塚があります。  閉じる

    投稿日:2015/02/03

  • 猫と鼠

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    回向院のねずみ小僧次郎吉の墓の横にあり、「猫」と「鼠」が仲良く?並んでいます。
    猫報恩伝説「猫の恩返し」に登場する猫の供...  続きを読む養塚です。スタジオジブリの「猫の恩返し」じゃありませんよ。回向院では人だけではなく、命あるものの供養をしているそうです。境内には犬や猫の供養塔の他、オットセイや小鳥の供養塔もあります。ニャンズもいました!  閉じる

    投稿日:2015/02/03

  • 霊感の強い方は・・・

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/01(約11年前)
    • 0

    霊感の強い方にとっては、ちょっと注意の場所かもしれません。
    回向院と言えば、明暦の大火、相撲、鼠小僧次郎吉などが浮かびま...  続きを読むすが奥の方に行くと災害で亡くなった方のとても背の高い石碑があります。
    今回ではありませんが、以前一緒に行った霊感の強い友人の様子がおかしくなり「気分が悪い」としゃがみ込んでしまいました。場所柄、人によっては注意が必要かもしれません。
      閉じる

    投稿日:2018/01/24

  • 次郎吉さん

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/01(約11年前)
    • 0

    なんとなくご利益がありそうな気がして新年早々に行きました。
    両国駅から徒歩で数分というアクセスの良さもいいです。
    ねず...  続きを読むみ小僧次郎吉さんはいつも混んでいます。
    私も墓石(削り用)を削って粉を持ち帰り財布の中にいれています。  閉じる

    投稿日:2015/01/31

  • 立派な供養碑

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/01(約11年前)
    • 0

    回向院の奥にあり、ネズミ小僧の供養碑の脇にある、かなり立派な石造りの供養碑です。回向院自体が江戸時代に災害などでお亡くなり...  続きを読むになられた方を供養するためにつくられたお寺さんなので境内にはこれらの石碑がたくさんあります。歴史を感じさせる石碑です。  閉じる

    投稿日:2015/01/26

  • 立派な供養碑

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/01(約11年前)
    • 0

    回向院の一番奥にある供養碑ですが、かなり大きくて立派で、きちんと整備されておりました。日曜日の昼頃訪問しました、参拝者もち...  続きを読むらほら居て、削って持ち帰ると金回りが良くなるとのことで、皆さんここにある石を削って持ち帰っており、当然ながら自分も持ち帰りました。このような形の参拝のスタイルは聞いたことがないですね。  閉じる

    投稿日:2015/01/25

  • 力強さを感じる石碑

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/01(約11年前)
    • 0

    回向院の門をくぐって先へ進むと左手にある石碑で歴代のお相撲の年寄を慰霊するために建立された石碑ですがかなりの大きさで、大相...  続きを読む撲にゆかりのある方々の慰霊碑だけあってかなりの力強さを感じます。きちんと手入れもされております。  閉じる

    投稿日:2015/01/25

  • ネズミ小僧のお墓がある

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/01(約11年前)
    • 0

    両国駅から南側に徒歩5分ぐらいの場所で京葉道路沿いの立派な門構えなのですぐにわかります。門をくぐって奥に進むと左手に力塚、...  続きを読むその先に近代的で立派な都心部立地らしい本堂があり、その奥にいくつかの慰霊碑があり最奥部にネズミ小僧のお墓があって、訪問したのが日曜日の昼頃でしたがちらほら人が来ていました。  閉じる

    投稿日:2015/01/25

  • 気仙沼とご縁をつないでいるお寺

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/12(約11年前)
    • 0

    14年の12月、気仙沼の地福寺ご開帳がおこなわれていた時に伺いました。
    311の震災のとき、住職さんたちに背負われて津波...  続きを読むの難を逃れたというありがたいお地蔵様たちでした。
    ご開帳は終わってしまいましたが、そのときにいたふたつのお地蔵さまのうち、ひとつは気仙沼に戻られたけれどひとつはそのまま回向院にとどまったとのこと。ふたつのお寺、ふたつの土地のご縁がつながっているようで、手をあわせながら暖かい絆を感じました。
    駅からほど近い、雰囲気のよいお寺です。  閉じる

    投稿日:2015/05/13

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
回向院
住所
  • 東京都墨田区両国2-8-10
電話番号
03-3634-7776
アクセス
JR総武線両国駅 徒歩 5分
その他
創建年代 江戸
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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