湯島聖堂
寺・神社・教会
3.92
湯島聖堂 クチコミ・アクセス・周辺情報
御茶ノ水・本郷 観光 満足度ランキング 4位
孔子をまつる本堂は,中国明代の様式をとりいれた中国風の建物。昭和10年再建された。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
お薦めのコースは、正門から入って大成殿(孔子廟)を見て、西門から出るのが便利
4.0
- 旅行時期 2025/10
- by RON3さん
江戸時代に、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟が創建されて、幕府直轄の学問所も開設されたことで、「日本の学校... 続きを読む教育発祥の地」とされています。 私は西門から入って、正門から出たので聖橋の下に出てしまいました。その後聖橋を渡ってJR御茶ノ水駅に戻るのに苦労しました。街中にそれがわかる案内板が一切ありません。 お薦めのコースは、正門→大成殿(孔子廟)→西門から出るのが便利です。 都道405号線(外堀通り)に面した正門の横に昌平坂の石碑があります。「昌平坂学問所」の名になった坂道です。 正門から入って、斯文会館(休憩所や売店、文化講座の教室や事務所があります)でパンフレットを入手して、神農廟(毎年11月23日のみ一般公開)の場所を確認して、構内1番目の門、仰高門から入るのがお薦めです。 孔子銅像(世界最大)と楷樹を見てから、右に入徳門が洗われます。(ここを素通りすると、聖橋門で境内から出て端に直行するのに便利です)ここで右手の入徳門に入ります。すると大きな杏壇門があって、その内部が大成殿(孔子廟)になります。 帰りは、杏壇門から出たらすぐ右に進むと西門があって、聖橋にも、反対の神田明神にも便利です。 閉じる
クチコミ・評判 5ページ目
81~100件(全485件中)
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”仰高門”は、幕末期に新撰組の一員であった”斎藤 一”が晩年に看守を務めていた総門です!
- 4.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 5
『湯島聖堂 仰高門』は、1690年(元禄3年)に儒教の教えを学問の儒学として重んじていた徳川幕府・第5代将軍「徳川綱吉」の... 続きを読む命により、儒学の更なる振興を図ることを目的に儒教の創始者「孔子」と儒教の先哲を先師・先聖として祀る「孔子廟」とあわせて「学問所」施設として創建された『湯島聖堂』(現:文京区湯島1丁目)の総門となります。
ちなみに総門の名前の由来は、孔子がどんな人物かと尋ねられた弟子の顔回が答えた内容「先生は仰げば仰ぐほど高さを増す素晴らしい人です」を引用したといわれています。(「論語」子罕第九による”顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅”)
そのほか『湯島聖堂』が創建したことにより、江戸時代初期の徳川幕府に仕えていた朱子学派の儒学者「林 羅山」が私邸内に開設していた私塾「忍岡聖堂」(現:上野恩賜公園内)が『湯島聖堂』に移転となり、『湯島聖堂』が林家の学問所(私塾)となっています。
儒教については、世界の偉大な思想家「四聖人」のひとりに数えられ魯国・昌平郷(現:中華人民共和国・山東省曲阜市)の地に誕生した「孔子」(生誕:紀元前552年頃・死没:紀元前479年)が唱えた「五常」の徳目「仁・義・礼・智・信」を守ることで「五倫」とされる「父子・君臣・夫婦・長幼・朋友」の関係を維持するなど武力による支配を批判し、上下の秩序を守り徳によって政治をおこなうといった思想が含まれ、「孔子」が弟子たちと交わした問答が「孔子」の死後およそ400年の歳月をかけて「論語」として編纂されています。
日本国内においては、仏教の信仰にあわせて僧侶のたしなみとして儒教の思想が日本国内に浸透し、江戸時代を迎えると学問の儒学として捉えられるようになっています。
徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代である1797年(寛政9年)になると林家の学問所(私塾)から徳川幕府直轄教学機関となる「昌平坂学問所(通称:昌平校)」が設立され、その2年後の1799年(寛政11年)になると敷地を拡大して各施設の大規模な改築工事が執り行われています。
当時の『湯島聖堂』全景が1836年(天保7年)に刊行された江戸府内とその近郊(武蔵)の地誌となる「江戸名所図会・5巻(14冊)」に『聖堂』として鳥瞰図を用いて紹介されており、各施設の配置などが現在と変わらない様子がうかがえます。
明治時代を迎えると明治政府の「官立・昌平学校」となるものの1871年(明治4年)に閉鎖となり、文部省が設置され「近代教育発祥の地」として近代教育の原点となる施策などが講じられるようになっています。
また、幕末期に新撰組の一員として活動していた「斎藤 一」が晩年の1894年(明治27年)からの約4年間を当時「東京高等師範学校附属東京教育博物館」(現:国立科学博物館)となっていた『湯島聖堂』の看守(守衛長)を務めており、『仰高門』脇の門衛で勤務していたといわれています。
大正時代を迎えると『湯島聖堂』は、1922年(大正11年)に国の「史跡」に指定されますが、その翌年に発生した「関東大震災」により敷地内のほとんどの施設が焼失しており、焼失した各施設は1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造として再建されたもとなります。
今回は、お茶の水エリアを訪れた際に久しぶりに『湯島聖堂』に立ち寄り、正門出入口となる総門の『仰高門』から敷地内に入り、高低差のある敷地内の石段を上り「大成殿」(正殿)前に広がる石畳の「前庭(広場)」までいきました。
以前にも数回に渡り『湯島聖堂』に立ち寄っていますが、静寂でどことなく異国を感じる敷地内に入ると都会の中にいることを忘れ現代社会と切り離されたような誰もいない空間の中で時の経つのも忘れて立っていると時空を超えて雑念が洗い流されたような清々しい気分となり、機会があればまた立ち寄りたいと感じるお薦めのエリアです。
そのほか敷地内は見どころも多いですが、土曜・日曜・祝日など限定で正殿である「大成殿」内部が公開されますので、『湯島聖堂』が初めての方は「大成殿」内部が公開される日にあわせて立ち寄ることをお勧めします。 閉じる投稿日:2021/08/29
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”杏壇門”は、正殿となる大成殿に通じる敷地内最大規模の門です!
- 4.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 6
『湯島聖堂 杏壇門』は、現在の文京区湯島1丁目に位置する神田川の北側を神田川と並行して東西方向に通る「外堀通り(都道405... 続きを読む号)」と神田川を聖橋で跨ぎ南北方向に通る「本郷通り(都道403号)」に面する『湯島聖堂』敷地内の正殿(孔子廟)である「大成殿」前に広がる石畳の「前庭(広場)」を両側の「回廊」とともに囲むように建つ入母屋造り屋根の門(間口20メートル、奥行4.7メートル)であり、敷地内に建つ門の中では最大規模となります。
ちなみに『湯島聖堂』は、インドの「釈迦」・ユダヤの「イエス・キリスト」・古代ギリシアの「ソクラテス」とともに世界の偉大な思想家「四聖人」と称される儒教の創始者である中国の「孔子」および儒教における先哲を先師・先聖として祀る施設(孔子廟)であり、儒教の教えを学問の儒学として重んじていた徳川幕府・第5代将軍「徳川綱吉」により更なる儒学の振興を図ることを目的として1690年(元禄3年)に創建され、江戸時代初期の徳川幕府に仕えていた朱子学派の儒学者「林 羅山」が上野忍岡(現:上野恩賜公園)の私邸内に開設していた私塾の「忍岡聖堂」と称する「孔子廟(先聖殿)」を『湯島聖堂』に移転させることにより儒学の学問所となっています。
その他に『湯島聖堂』東側の坂道が「孔子」の生誕地であった当時の「魯国・昌平郷」(現:中華人民共和国・山東省曲阜市)にちなんで「昌平坂」と命名されています。
その後に度重なる火災などに見舞われ荒廃していた『湯島聖堂』は、徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代である1797年(寛政9年)になると林家の私塾としての学問所から徳川幕府直轄教学機関として「昌平坂学問所(通称:昌平校)」が設立され、2年後の1799年(寛政11年)になると敷地を拡大しての大規模な改築が行われ正殿である「大成殿」は創建時のおよそ2.5倍に拡張した規模の建物になっています。
当時の『湯島聖堂』については、1834年(天保5年)と1836年(天保7年)の2回に分けて刊行された江戸府内と近郊(武蔵)の地誌として、寺社・旧跡・橋・坂などの名所が鳥瞰図を用いながら記されている「江戸名所図会」(全7巻20冊)の中で後半の1836年(天保7年)に刊行された5巻(14冊)に『聖堂』として『湯島聖堂』全景が鳥瞰図により「大成殿」をはじめ『杏壇門』、「入徳門」、「仰高門」、「昌平坂」、「神田川」などが描かれており、現在の配置と変わらない様子がうかがえます。
明治維新後になると明治政府に引き継がれ官立の「昌平学校」となりますが、1871年(明治4年)に閉鎖となり儒学の学問所としての歴史に幕を閉じて文部省が設置され「近代教育発祥の地」として近代教育の原点となる施策が講じられるようになっています。
1922年(大正11年)には、国の「史跡」に指定されたものの翌年に発生した「関東大震災」により「入徳門」と「水屋」が被災を免れたもののその他の施設が焼失し、現在の建物は1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造として再建されたもとなります。
今回は、平日の午後にお茶の水周辺を訪れた際に少し時間に余裕があったので久しぶりに『湯島聖堂』に立ち寄りました。
『湯島聖堂』の敷地内は、高低差があり正門の「仰高門」から「入徳門」を通り最上部の「大成殿」につながる『杏壇門』までは石段が続きます。
過去にも数回に渡り『湯島聖堂』を立ち寄っていますが、日本の寺院とは異なりどことなく異国を感じさせる『杏壇門』をくぐり「大成殿」と「回廊」で囲まれた静寂で誰もいない「前庭(広場)」に立ちしばらく目を閉じていると都会の中にいることを忘れて時空を超えて雑念が洗い流されたような清々しい気分になり、近くを訪れた際にまた立ち寄りたいと思えるお薦めのエリアです。
また、土曜・日曜・祝日など限定で「大成殿」内部が公開されますので、初めて『湯島聖堂』に立ち寄る方は、土曜・日曜・祝日をお勧めします。 閉じる投稿日:2021/07/24
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孔子尊像とその高弟とされる四賢像が祀られている孔子廟の正殿です!
- 4.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 4
『湯島聖堂 大成殿』は、儒教の創始者である「孔子」(生誕:紀元前552年頃から死没:紀元前479年)および儒教における先哲... 続きを読むを先師・先聖として祀る「孔子廟」の正殿であり、江戸時代初期の徳川将軍家4代(家康・秀忠・家光・家綱)に仕えていた朱子学派の儒学者「林 羅山」が徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代となる1632年(寛永9年)に当時の「上野忍岡」(現:上野恩賜公園)にあった私邸内の私塾に「忍岡聖堂 先聖殿」と称した「孔子廟」を創建したのが起源とされています。
この「孔子廟」を儒教の教えを学問の儒学として重んじていた徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」によって、1690年(元禄3年)に儒学の振興を図ることを目的とした学問の場となる当時の「神田湯島」(現:文京区湯島1丁目)に新たな「孔子廟」を創建し、林家の私塾を「神田湯島」に移転させ名称も「忍岡聖堂 先聖殿」から新たに『湯島聖堂 大成殿』と改称しています。
そのほか『湯島聖堂』の地にある坂の名称も「孔子」の生誕地であった当時の「魯国・昌平郷」(現:中華人民共和国・山東省曲阜市、中国東部の黄海に面する地域)にちなんで「昌平坂」と命名されましたが、その後に度重なる火災などに見舞われた『湯島聖堂』も荒廃が進み、徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代である1797年(寛政9年)に林家の私塾としての学問所から徳川幕府直轄教学機関となる「昌平坂学問所(通称:昌平校)」が設立されています。
その2年後の1799年(寛政11年)に敷地を拡張しての大規模な改築工事がおこなわれ、『大成殿』は創建時のおよそ2.5倍の規模となる建物となっています。
明治期になると明治政府に引き継がれ官立の「昌平学校」となりますが、1871年(明治4年)に閉鎖となり儒学の学問所としての歴史に幕を閉じて文部省が設置され、「近代教育発祥の地」として近代教育の原点となる施策が講じられるようになっています。
さらに1922年(大正11年)になると国の「史跡」に指定されたものの翌年の1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」により、1799年(寛政11年)に改築された『大成殿』をはじめ多くの施設が焼失し、「関東大震災」で焼失した『大成殿』ほかの現在の施設は1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造として再建されたもとなります。
今回は、「お茶の水」周辺を訪れる機会があったので久しぶりに『湯島聖堂』に立ち寄り、『湯島聖堂』正門出入口「仰高門」から敷地内に入りました。
高低差のある敷地内の石段を上りながら途中「入徳門」を通り、さらに石段を上がった最上部の「杏壇門」をくぐると正面に位置する『大成殿』とその両側に「回廊」で囲まれた静寂で日本の神社・仏閣と異なる独特で異国の雰囲気が漂ってくる神聖な石畳の「前庭(広場)」空間が広がっています。
以前にも数回に渡り『湯島聖堂』を訪れていますが、この静寂で独特な雰囲気の空間に立つと時空を超えて雑念が洗い流されたような清々しい気分になります。
また、『湯島聖堂』で最大規模の間口20メートル、奥行14.2メートル、高さ14.6メートルとなる『大成殿』の入母屋造り屋根の上には中国想像上の霊獣などの像が配置されており、その建物内部には「孔子尊像」と「孔子」の高弟とされる「四賢像」(孟子像・顔子像・曾子像・子思像)が祀られているほか、その手前には満州国・皇帝「溥儀」から寄贈された香炉と香炉台が配置されているなど見どころも多くあります。
ただし『大成殿』内部の公開は平日を除く土曜・日曜・祝日のみとなっており、今回は平日の午後に立ち寄ったため『大成殿』内部を拝覧することができませんでした。
『湯島聖堂』に立ち寄る際は、『大成殿』内部が公開されている土曜・日曜・祝日をお勧めします。
機会があれば、『大成殿』内部が公開されている土曜・日曜・祝日などにあわせて立ち寄ってみたいと思います。 閉じる投稿日:2021/06/23
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湯島聖堂最古の第5代将軍・徳川綱吉の時代となる唯一の木造建造物です!
- 4.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 2
『湯島聖堂 入徳門』は、中華人民共和国(中国)の春秋時代に思想家かつ儒教の創始者であった「孔子」(生誕:紀元前552年頃か... 続きを読むら死没:紀元前479年)の霊とあわせて儒教における先哲を先師・先聖として祀る文京区湯島1丁目にある「孔子廟(大成殿)」を中心に構成された『湯島聖堂』の関連施設であり、『湯島聖堂』が1922年(大正11年)に国指定の「史跡」となった翌年の1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」において多くの施設が被災する中で被災を免れて現存する唯一の木造建造物です。
『湯島聖堂』の歴史については、江戸時代初期に徳川将軍家4代(家康・秀忠・家光・家綱)に仕えた朱子学派の儒学者である「林 羅山」が徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代となる1632年(寛永9年)に「忍岡聖堂」と称する私塾でもある「孔子廟(先聖殿)」を現在の上野恩賜公園である私邸内の上野忍岡に創建していますが、儒教の教えを学問の儒学として重んじていた徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」により儒学の振興を図ることを目的として「忍岡聖堂」を新たな現在の文京区湯島1丁目となる神田湯島の地に移転させ『湯島聖堂』と称する「孔子廟(大成殿)」を中心とした施設を1690年(元禄3年)に創建したのがはじまりとされ、現在の『入徳門』は徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」末期の時代である1704年(宝永元年)に建造されたものとなります。
その後に度重なる火災などに見舞われ荒廃していた『湯島聖堂』を徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代である1797年(寛政9年)に林家の私塾としての学問所から徳川幕府直轄教学機関の「昌平坂学問所(通称:昌平校)」が設立され、2年後の1799年(寛政11年)になると敷地を拡大しての大規模な改築が行われ「孔子廟(大成殿)」は創建時のおよそ2.5倍に拡張した規模の建物になっています。
ちなみに『湯島聖堂』の地が昌平坂と呼ばれる由来は、「孔子」の生誕地である中国東部の黄海に面する当時の魯国・昌平郷(現在の山東省曲阜市)の地名からつけられたものです。
明治維新を迎えると明治政府に引き継がれ官立の「昌平学校」となりますが、1871年(明治4年)に閉鎖となり儒学の学問所としての歴史に幕を閉じて文部省が設置され「近代教育発祥の地」として近代教育の原点となる施策が講じられるようになっています。
また、1923年(大正12年)の「関東大震災」で『入徳門』と「水屋」以外の被災し焼失した現在の建物は、1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造による建造物として再建されています。
今回は、平日の午後にお茶の水エリアを訪れた際に少し時間があったので久しぶりに日本の寺院とは異なり独特な異国を感じさせる『湯島聖堂』に立ち寄りました。
高低差のある『湯島聖堂』の敷地内は、正門となる「仰高門」から石段を上がりながら『入徳門』を通り、さらに石段を上がった最上部の「杏壇門」をくぐると正面に「孔子廟(大成殿)」とその両側を「回廊」で囲まれた神聖な雰囲気が漂ってくる石畳の「前庭(広場)」空間が広がります。
過去にも数回に渡り『湯島聖堂』に立ち寄ったことがありますが、毎回とても静寂で独特な雰囲気が漂ってくる敷地内の石段を上がって『入徳門』を通り「孔子廟(大成殿)」のある石畳の「前庭(広場)」空間に立つと時空を超えて雑念が洗い流されたような清々しい気分になります。
また、土曜・日曜・祝日などの限られた日のみ「孔子廟(大成殿)」内部が公開され、「孔子像」と「孔子」の高弟とされる四賢像の「孟子像」、「顔子像」、「曾子像」、「子思像」などが拝覧できますので土曜・日曜・祝日に立ち寄ることをお勧めします。
機会があれは、土曜・日曜・祝日および「孔子祭」(4月第4日曜)などの行事が開催される日にあわせて立ち寄ってみたいと思います・・・ 閉じる投稿日:2021/05/03
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世界最大の孔子銅像です!
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 3
『湯島聖堂 孔子銅像』は、1975年(昭和50年)に「中華民国台北ライオンズクラブ」から寄贈されたもので、文京区湯島1丁目... 続きを読むに位置する『湯島聖堂』敷地内に設置されている世界最大の『孔子銅像』(丈高4.57メートル、重量約1.5トン)です。
「儒教」の創始者である『孔子』については、世界の偉大な思想家としてインドの「釈迦」・ユダヤの「イエス・キリスト」・古代ギリシアの「ソクラテス」とともに「四聖人」に数えられている人物であり、近隣諸国間での争いが盛んであった春秋時代末期となる紀元前552年(紀元前551年説もあり)に現在の「中華人民共和国(中国)」東部の黄海に面する「山東省」(当時の魯国・昌平郷)で生まれ、紀元前479年に逝去するまでの74年間にわたる生涯を全うしています。
ちなみに『孔子』が生存していた当時の日本国内は、縄文時代晩期から弥生時代早期となる「第2代・綏靖(すいぜい)天皇」から「第4代・懿徳(いとく)天皇」の時代となります。
思想家の『孔子』が自身の弟子たちと交わした問答については、『孔子』の死後およそ400年の歳月をかけて「論語」として編纂されており、その思想は戦国中期の「孟子」のほか戦国末期の「荀子」などにより継承され、2000年以上にわたり正統な思想として各地に浸透しています。
その『孔子』が唱えた「儒教」には、「五常」の徳目「仁・義・礼・智・信」を守ることで「五倫」とされる「父子・君臣・夫婦・長幼・朋友」の関係を維持するなど武力による支配を批判し、上下の秩序を守り徳によって政治をおこなうといった思想があり、定かではありませんが日本国内には「仏教」よりも早く「第26代・継体(けいたい)天皇」の時代となる513年に伝来したとされ、その後に伝来した「仏教」の信仰とともに僧侶のたしなみとして「儒教」の思想が日本国内に浸透していきますが、江戸時代になると学問としての「儒学」として捉えられるようになり、1690年(元禄3年)に「儒学」の振興を図ることを目的とした徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」により、「湯島聖堂」が現在の地に創建されています。
徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代である1797年(寛政9年)になると私塾の学問所であった「湯島聖堂」が徳川幕府直轄教学機関となる「昌平坂学問所(通称:昌平校)」となり、幕末後の1871年(明治4年)に「儒学」の学問所としての歴史に幕を閉じて文部省が設置され「近代教育発祥の地」として近代教育の原点となる施策が講じられるようになっています。
さらに1922年(大正11年)になると「湯島聖堂」が国の「史跡」に指定されますが、翌年に発生した「関東大震災」により1799年(寛政11年)に改築された「湯島聖堂」敷地内に建つ各所施設の大部分が焼失し、現在の敷地内に建つ建物のほとんどが1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造として再建されたもとなります。
今回は、お茶の水周辺を訪れた際に久しぶりに「湯島聖堂」に立ち寄りましたが、敷地内には世界最大の『孔子銅像』のそばに『孔子』の墓所(中国山東省・曲阜)に今も植えつがれている楷(かい)の木の子孫とされる大木があるほかに「湯島聖堂」のメインの建物となる「大成殿(孔子廟)」など『孔子』にまつわる見どころが多数あります。
「湯島聖堂」敷地内は、日本の神社・仏閣と異なる独特で神聖な異国の雰囲気が感じられる空間が広がりお薦めの観光スポットです。
なお「大成殿(孔子廟)」の内部には、『孔子像』をはじめに『孔子』の高弟とされる四賢像の「孟子像」、「顔子像」、「曾子像」、「子思像」などが祀られており、平日を除く土曜・日曜・祝日のみ「大成殿(孔子廟)」内部が公開されて拝覧可能となりますので土曜・日曜・祝日に立ち寄ることをお勧めします。(入場無料です)
今回は平日に立ち寄ったので「大成殿(孔子廟)」内部に入ることができませんでした。
機会があれは、土曜・日曜・祝日および「孔子祭」(4月第4日曜)などの行事が開催される日にあわせて立ち寄ってみたいと思います・・・
閉じる投稿日:2021/03/23
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孔子とその高弟とされる四賢像を祀る江戸時代の儒学に関する学問所です!
- 4.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 3
『湯島聖堂』は、江戸時代初期の徳川幕府に仕えた朱子学派の儒学者である「林 羅山」が徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代とな... 続きを読むる1630年(寛永7年)に上野忍岡(現:上野恩賜公園)の私邸内に開設した私塾の学問所および文庫とあわせて、儒教の創始者である「孔子」および儒教における先哲を先師・先聖として祀る「忍岡聖堂」と称する「孔子廟(先聖殿)」を1632年(寛永9年)に創建した施設に代わり、儒学を重んじていた徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」が更なる儒学の振興を図ることを目的に現在地となる神田湯島(現:文京区湯島1丁目)への移転を命じて、1690年(元禄3年)に新たに創建された「孔子廟(大成殿)」を中心とした関連施設の総称となります。
また『湯島聖堂』の地は、「孔子」の生誕地とされる「魯国昌平郷」にちなんで「昌平坂」と命名されています。
その後の『湯島聖堂』は、度重なる火災などに見舞われ荒廃が進む中で徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代である1797年(寛政9年)になると林家の私塾としての学問所から徳川幕府直轄教学機関として「昌平坂学問所(通称:昌平校)」が設立され、2年後の1799年(寛政11年)になると敷地を拡大しての大規模な改築が行われ「孔子廟(大成殿)」は創建時のおよそ2.5倍に拡張した規模の建物になっています。
明治維新後になると明治政府に引き継がれ官立の「昌平学校」となりますが、1871年(明治4年)に閉鎖となり儒学の学問所としての歴史に幕を閉じて文部省が設置され「近代教育発祥の地」として近代教育の原点となる施策が講じられるようになっています。
1922年(大正11年)には、国の「史跡」に指定されたものの翌年に発生した「関東大震災」により1799年(寛政11年)に改築された「孔子廟(大成殿)」などほとんどの施設が焼失し、現在の建物は1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造として再建されたもとなります。
今回は、お茶の水周辺を訪れた際に久しぶりに『湯島聖堂』に立ち寄りました。
『湯島聖堂』の正門から敷地内に入りましたが、メインの「孔子廟(大成殿)」までには順番に「仰高門」、「入徳門」、「杏壇門」の3つの門が存在し、特に「入徳門」は1704年(宝永元年)に建造されたものであり「水屋」とともに「関東大震災」の際に焼失を免れた建造物となります。
一番大きな「杏壇門」(間口20メートル、奥行4.7メートル)をくぐると正面に「孔子廟(大成殿)」(間口20メートル、奥行14.2メートル、高さ14.6メートル)、その両側を「回廊」で囲んだ日本の寺院とは異なり独特な異国を感じさせる神聖な雰囲気が漂ってくる石畳の「前庭(広場)」空間となっています。
とても静寂な四方を「孔子廟(大成殿)」、「杏壇門」、「回廊」で囲まれ現代社会と切り離されたような誰もいない空間の中で時の経つのも忘れて立っていると時空を超えて雑念が洗い流されたような清々しい気分になりました。
今回は、平日でしたので「孔子廟(大成殿)」の内部に入ることができませんでしたが、土曜・日曜・祝日には「孔子廟(大成殿)」内部が公開されており、「孔子像」をはじめに「孔子」の高弟とされる四賢像の「孟子像」、「顔子像」、「曾子像」、「子思像」などを拝覧することが可能なので、土曜・日曜・祝日の立ち寄ることをお勧めします。
その他に『湯島聖堂』敷地内にある1975年(昭和50年)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたとされる世界最大の「孔子銅像」(丈高4.57メートル、重量約1.5トン)も必見です。
機会があれは、土曜・日曜・祝日および「孔子祭」(4月第4日曜)などの行事が開催される日にあわせて立ち寄ってみたいと思います・・・ 閉じる投稿日:2021/01/17
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風格を感じる建物だった。
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
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交通量の多い本郷通り隣りにありますが、緑の多い湯島聖堂は静寂の世界です。
- 4.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
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杏壇門は黒い重厚感があり、門と言うより大きな建物です。
- 4.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
- 0
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本郷通りに面している聖橋門辺りから見る入徳門が好きです。
- 4.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
- 0
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新春大成殿特別公開として元日~5日の午前9時半~日没に限定して公開されているようです。
- 4.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
- 0
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人出の多い本郷通りに面している門から入ると、入徳門から入って大成殿にお参りしてそのまま帰るパターンが多いようです。
- 3.0
- 旅行時期:2020/11(約5年前)
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JRお茶の水駅から本郷通りを進んで神田川に架かる聖橋を渡ったところに湯島聖堂かあります。
仰高門は湯島聖堂の正門から入っ... 続きを読むたところに有る門です。
正門は相生坂に面していますが、現在ではどちらかと言えば正門が裏門的に静かな佇まいです。
一方人出の多い本郷通りに面しているのは聖橋門と西門で、これらの門から入ると、入徳門から入って大成殿にお参りしてそのまま帰るパターンが多いようです。
というのも仰高門は写真で見る限り普通の門で、地味な門という印象だからでした。
今回初めて仰高門をくぐって見ましたが、やはり普通の門でした。
「仰高」の文字が有ったので、ああ此処かと思った程度でした。 閉じる投稿日:2020/12/12
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元々孔子廟ですので、孔子銅像には是非お参りを。
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- 旅行時期:2020/11(約5年前)
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静寂な感じのする敷地
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- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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湯島聖堂
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- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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徳川綱吉が建てた孔子廟で、「日本の学校教育発祥の地」だそうです
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- 旅行時期:2020/10(約5年前)
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学問の神様がまつられてる
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- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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学問の神様
- 4.0
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大成殿前の門
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- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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世界最大の孔子像
- 3.5
- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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