世界最大の孔子銅像です!
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
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by hiroさん(男性)
御茶ノ水・本郷 クチコミ:13件
『湯島聖堂 孔子銅像』は、1975年(昭和50年)に「中華民国台北ライオンズクラブ」から寄贈されたもので、文京区湯島1丁目に位置する『湯島聖堂』敷地内に設置されている世界最大の『孔子銅像』(丈高4.57メートル、重量約1.5トン)です。
「儒教」の創始者である『孔子』については、世界の偉大な思想家としてインドの「釈迦」・ユダヤの「イエス・キリスト」・古代ギリシアの「ソクラテス」とともに「四聖人」に数えられている人物であり、近隣諸国間での争いが盛んであった春秋時代末期となる紀元前552年(紀元前551年説もあり)に現在の「中華人民共和国(中国)」東部の黄海に面する「山東省」(当時の魯国・昌平郷)で生まれ、紀元前479年に逝去するまでの74年間にわたる生涯を全うしています。
ちなみに『孔子』が生存していた当時の日本国内は、縄文時代晩期から弥生時代早期となる「第2代・綏靖(すいぜい)天皇」から「第4代・懿徳(いとく)天皇」の時代となります。
思想家の『孔子』が自身の弟子たちと交わした問答については、『孔子』の死後およそ400年の歳月をかけて「論語」として編纂されており、その思想は戦国中期の「孟子」のほか戦国末期の「荀子」などにより継承され、2000年以上にわたり正統な思想として各地に浸透しています。
その『孔子』が唱えた「儒教」には、「五常」の徳目「仁・義・礼・智・信」を守ることで「五倫」とされる「父子・君臣・夫婦・長幼・朋友」の関係を維持するなど武力による支配を批判し、上下の秩序を守り徳によって政治をおこなうといった思想があり、定かではありませんが日本国内には「仏教」よりも早く「第26代・継体(けいたい)天皇」の時代となる513年に伝来したとされ、その後に伝来した「仏教」の信仰とともに僧侶のたしなみとして「儒教」の思想が日本国内に浸透していきますが、江戸時代になると学問としての「儒学」として捉えられるようになり、1690年(元禄3年)に「儒学」の振興を図ることを目的とした徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」により、「湯島聖堂」が現在の地に創建されています。
徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代である1797年(寛政9年)になると私塾の学問所であった「湯島聖堂」が徳川幕府直轄教学機関となる「昌平坂学問所(通称:昌平校)」となり、幕末後の1871年(明治4年)に「儒学」の学問所としての歴史に幕を閉じて文部省が設置され「近代教育発祥の地」として近代教育の原点となる施策が講じられるようになっています。
さらに1922年(大正11年)になると「湯島聖堂」が国の「史跡」に指定されますが、翌年に発生した「関東大震災」により1799年(寛政11年)に改築された「湯島聖堂」敷地内に建つ各所施設の大部分が焼失し、現在の敷地内に建つ建物のほとんどが1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造として再建されたもとなります。
今回は、お茶の水周辺を訪れた際に久しぶりに「湯島聖堂」に立ち寄りましたが、敷地内には世界最大の『孔子銅像』のそばに『孔子』の墓所(中国山東省・曲阜)に今も植えつがれている楷(かい)の木の子孫とされる大木があるほかに「湯島聖堂」のメインの建物となる「大成殿(孔子廟)」など『孔子』にまつわる見どころが多数あります。
「湯島聖堂」敷地内は、日本の神社・仏閣と異なる独特で神聖な異国の雰囲気が感じられる空間が広がりお薦めの観光スポットです。
なお「大成殿(孔子廟)」の内部には、『孔子像』をはじめに『孔子』の高弟とされる四賢像の「孟子像」、「顔子像」、「曾子像」、「子思像」などが祀られており、平日を除く土曜・日曜・祝日のみ「大成殿(孔子廟)」内部が公開されて拝覧可能となりますので土曜・日曜・祝日に立ち寄ることをお勧めします。(入場無料です)
今回は平日に立ち寄ったので「大成殿(孔子廟)」内部に入ることができませんでした。
機会があれは、土曜・日曜・祝日および「孔子祭」(4月第4日曜)などの行事が開催される日にあわせて立ち寄ってみたいと思います・・・
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR:御茶ノ水駅・東京メトロ:新御茶ノ水駅から聖橋を渡ってすぐの湯島聖堂敷地内にあります。
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 平日の午後でしたが、ほとんど人はいませんでした。
- バリアフリー:
- 2.5
- 敷地内は高低差があり石段があります。
クチコミ投稿日:2021/03/23
いいね!:3票
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