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伝通院

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伝通院 クチコミ・アクセス・周辺情報

水道橋 観光 満足度ランキング 8位

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慶長8年(1603)徳川家康が生母お大をこの地に葬った。後に堂宇を建立し伝通院となった。境内には、お大の方、千姫(豊臣秀頼妻・2代徳川秀忠の長女)をはじめとして徳川家ゆかりの女性の墓が数多くある。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    於大の方のお墓があります

    4.0

    • 旅行時期 2023/11
    • by kiraさん

    徳川ゆかりの地を歩くウォーキングコースでこちらに立ち寄りました。 徳川家康の生母、於大の方のお墓があります。 於大の方...  続きを読むは京都伏見城で死去しましたが、遺言により家康がこの地に埋葬したそうです。 増上寺・上野の寛永寺と並んで江戸の三霊山と称され、徳川家ゆかりの方のお墓が他にもありますが、 第2次世界大戦の際に本堂や山門は焼失してしまったので、現在あるのは後に再建されたものです。  閉じる

クチコミ・評判 3ページ目

41~60件(全191件中)

  • 左右の目の色が違うネコのいる伝通院

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/04(約7年前)
    • 9

    本当は古い「傳」を使います。まだアメリカ大陸が発見されるよりも前の1415年に、浄土宗のお寺として建立されたお寺です。
    ...  続きを読むアクセスは 
    JR大塚駅から都バス錦糸町駅行で15分ぐらいが便利です。
    メトロ丸の内線後楽園/南北線春日/都営三田線春日から歩けば、10分ちょっと。
    或いは都バスで伝通院前まで行けば、3分ぐらい。
    伝通院の交差点から、門が見えています。
    白猫がお墓に住み着いており、左右の目の色が違うので、話題になりました。徳川のお墓のエリアで会えます。

    www.denzuin.or.jp/

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    投稿日:2019/04/25

  • 墓を巡って歴史を感じます

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/02(約7年前)
    • 0

    伝通院の山門前に、新選組の前身である浪士組がこの地で結成されたことが記されていますが、その浪士組の結成に参加した清河八郎の...  続きを読む墓が伝通院に建てられていました。清河八郎は山形で生まれ、昌平坂学問所で学び、浪士組の結成に参加したものの、土方歳三らと対立して、最後は暗殺されたそうです。墓をめぐるだけで色々な歴史を見ることができました。  閉じる

    投稿日:2020/02/01

  • はじめて聞く名前です

    • 2.5
    • 旅行時期:2019/02(約7年前)
    • 0

    伝通院には江戸時代の著名人の墓が複数建立されていますが、その中に杉浦重剛がいました。それぞれ表示板がお墓の近くに建てられて...  続きを読むいるので、著名人の墓はよくわかります。杉浦重剛は1855年に近江に生まれ、文部省留学生としてイギリスへ留学した後、文部省の要職を歴任した人物だそうですが、初めて聞く名前でした。  閉じる

    投稿日:2020/02/01

  • 徳川家光の正室

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/02(約7年前)
    • 0

    伝通院に眠る江戸時代のヒロインと言われる女性の一人に鷹司孝子がいます。千姫のお墓のすぐ近くにお墓があり、表示板も設置されて...  続きを読むいました。鷹司孝子は徳川家光の正室で、徳川家初の五摂家からの輿入れでした。将軍家と関わりある女性たちのお墓をめぐるのも感慨深いものがありました。  閉じる

    投稿日:2020/02/01

  • 歴史に翻弄された女性

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/02(約7年前)
    • 0

    小石川の伝通院は徳川家康の生母於大の菩提寺であることから、江戸時代の女性が多く眠っており、その中に千姫の墓もありました。千...  続きを読む姫と言えば徳川秀忠の娘で、豊臣秀頼に嫁いだ後、本多忠刻に再嫁した女性として知られ、忠刻が31歳の若さで亡くなったのちに、江戸城に戻りました。五輪の立派な墓を前に歴史に翻弄された女性に思いをはせました。  閉じる

    投稿日:2020/02/01

  • 徳川家康の生母

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/02(約7年前)
    • 0

    小石川にある伝通院にお参りに行きましたが、江戸時代のたくさんの人のお墓があるのに驚きました。墓所は山門を入って本殿の左手に...  続きを読む行くとあり、それぞれのお墓の配置図があるので場所はわかりやすかったです。於大は徳川家康の生母で、於大の法名から伝通院の名前が付きました。家康の生母のお墓だけあって立派ですが、歴史を感じさせる古さもありました。  閉じる

    投稿日:2020/02/01

  • 存在感のある指圧の指

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/02(約7年前)
    • 0

    伝通院にお参りした際に、日本指圧専門学校によって建立された指塚を見つけました。とても存在感のある石碑で、指圧をする指の力が...  続きを読む感じられるほどでした。マリリンモンローに指圧を施したとして知られる、ガハハと高笑いする浪越徳治郎氏のお墓も伝通院にあります。  閉じる

    投稿日:2020/01/30

  • 徳川家ゆかりの女性が多く眠る寺院

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/02(約7年前)
    • 0

    徳川家康が生母お大を弔うために建立した伝通院にお参りしました。都営三田線春日駅から善光寺坂を通って伝通院まで15分ほど歩き...  続きを読むました。将軍家への帰依も厚く、常時1000人以上の修行僧がいたという浄土宗関東18檀林の一つです。千姫など徳川家ゆかりの女性の墓が多いのでお参りする価値があります。  閉じる

    投稿日:2020/01/30

  • 浪士組が結成された場所

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/02(約7年前)
    • 0

    伝通院の前に、今はない処静院の石柱が残されていました。そばには説明板も添えられており、処静院の歴史を知ることができます。新...  続きを読む選組の前身である浪士組が、清河八郎の呼びかけでこの地にあった処静院で結成されたそうです。その後の歴史を考えると、血気盛んな当時の様子が見えてくるようでした。  閉じる

    投稿日:2020/01/30

  • 大きな墓標が3つ建っていました。

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    伝通院の墓地の狭い通路に「杉浦先生墓道☞」と石柱が立っていました。(こういう案内は、ほかの方には見掛けませんで...  続きを読むした)不勉強で杉浦先生とは初めて聞いたお名前だったので、ちょっと興味本位でお墓にお参りさせていただきました。大きな墓標が3つ建っていました。真ん中には杉浦重剛之墓、右に楠陰杉浦先生之墓、左に杉浦家代々之墓と太い字で刻まれていました。なお、楠陰杉浦先生とは重剛さんのお兄さんの様です。   閉じる

    投稿日:2019/01/10

  • 文化勲章の受章者です。

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    佐藤春夫さんのお墓は、伝通院の墓地の西域にありました。イチョウの木の右の袂です。佐藤春夫さんは明治25年(1892年)に和...  続きを読む歌山県新宮の生まれで、上京後、詩人、小説家などとして活躍し、昭和35年(1960年)には文化勲章も受けています。昭和39年(1964年)に72歳で亡くなっています。余談ですが、よくモテた様でスキャンダルには事欠かない様ですね。   閉じる

    投稿日:2019/01/10

  • 奥さんのお蓮さんのお墓と並んでいました。

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    稀代の策士と呼ばれた清河八郎さんのお墓は、伝通院の墓地の西域にありました。イチョウの木の袂です。お墓には3つの墓標があり、...  続きを読む真ん中に「清河八郎正明墓」と刻まれ墓標があり、その左は、奥さんのお蓮のお墓で「貞女阿蓮墓」と刻まれています。また、右側は本名である斎藤家のお墓となっています。なお、一般には清河さんとなっていますが、墓前に建つ石柱には清川となっていました。山形の清川村出身ですからね・・・。   閉じる

    投稿日:2019/01/10

  • お墓は千姫と同じ五輪塔墓です。

    • 5.0
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    孝子(本理院)の方の墓は、千姫の墓の後ろ、墓地の北端部になるところにあります。お墓は千姫と同じ五輪塔墓ですが、周りを囲む石...  続きを読む柱の柵はありません。ある意味人質の様な生活だったそうですから、亡くなった後も差を付けるためにそうしたのか、あるいは、倒壊するなどしてなくなってしまったのでしょうか。公武合体の融和策の犠牲となった可哀想な人だった様に思います。延宝2年(1674年)に葬られています。   閉じる

    投稿日:2019/01/10

  • 二重の石柱の柵で囲まれています。

    • 5.0
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    於大の方のお墓から、そのまま少し先に進むと徳川将軍家の墓地エリヤとなりますが、最初の目立つところに千姫(天樹院)のお墓があ...  続きを読むります。五輪塔墓が二重の石柱の柵で囲まれています。戦国時代の末期に産まれたことが不運だったのか、正に時代に弄ばれた生涯だったといえると思います。なお、年代でいえば左隣の亀松君(家光の次男)の方が正保4年(1647年)で先に建立され、千姫のお墓は寛文6年(1666年)に建立されています。   閉じる

    投稿日:2019/01/10

  • 14歳で結婚、15歳で出産。若いですねぇ。

    • 5.0
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    本堂の横の観音堂(休憩所)で墓地参拝の手続きをして、そのまま墓地内を北にちょっと進むと、左手に大きな於大の墓がありました。...  続きを読むこの大きさからも丁重に葬られたことが偲ばれます。今の時代では考えられませんが、於大の方が松平家に嫁いだのは14歳で、竹千代のちの家康を産んだのは15歳ですから驚きます。享年は74歳ですから、当時としては体の丈夫な方だったのだろうと思います。   閉じる

    投稿日:2019/01/10

  • 指もてもろもろの病を癒し・・・。

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    伝通院の山門を潜ったすぐの左手に親指を立てた大きな手首の像がありました。指塚というそうです。そこの碑文に「指もてもろもろの...  続きを読む病を癒し・・・」と刻まれています。そして昭和四十五年と日本指圧協会 会長 浪越徳治郎となっています。これは指圧師の先輩諸氏を顕彰したものでした。なお、指圧の効果か、浪越徳治郎さんは94歳のご長寿だったそうです。   閉じる

    投稿日:2019/01/10

  • 伝通院の名称は於大の方から。

    • 5.0
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    伝通院の墓地の奥には徳川家の墓地が拡がっていました。そこからちょっと離れたところに於大の方のお墓がありました。家康の生母で...  続きを読むある於大の方は再婚した久松俊勝が亡くなった後は、剃髪して「伝通院」と号していました。(戒名にも伝通院が入っています)伝通院の元の名称は無量山寿経寺ですが、於大の方の菩提寺になる時に、伝通院の名を加え、無量山伝通院寿経寺と改め、以降伝通院と呼ばれるようになったものです。
      閉じる

    投稿日:2019/01/10

  • 歴史にちょっとだけ顔を出したお寺さん。

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    伝通院の門前に「不許葷酒入門内」の石碑がありました。場所から云っても、伝通院のものであってもおかしくはないのですが、これは...  続きを読む伝通院の塔頭の1つだった元処静院にあったものだとのことです。ここから西方向に60~70m行ったところに処静院跡の案内板が立っていますが、それによると処静院は、現在の墓地の西隣にあったとのことです。歴史の表舞台にちょっと顔を出し、そしてなくなってしまったお寺さんです。   閉じる

    投稿日:2019/01/10

  • 教育者、思想家だった方だそうです。

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    墓標は、独特な書体の、太く大きな文字で刻まれていました。杉浦重剛さんのお名前は初めて知りました。お墓に立っている案内板によ...  続きを読むれば、安政2年(1855年)に滋賀県生まれです。明治3年(1870年)東京大学南校(政府所轄の洋学校)に入学、明治9年(1876年)には英国に留学しています。その後、教育者、思想家として活躍し、大正3年(1914年)には東宮御学問所御用掛となり、若き日の昭和天皇、秩父宮雍仁親王、高松宮宣仁親王に帝王学の一環として倫理を進講したそうです。大正13年(1924年)に70歳で亡くなっています。   閉じる

    投稿日:2018/12/27

  • 芥川賞の最初の詮衡委員でした。

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/12(約7年前)
    • 0

    佐藤春夫さんのお墓は、伝通院の墓地の西寄りのところに、清河八郎さんのお墓と並んでありました。佐藤春夫さんは明治終わりから、...  続きを読む大正、昭和に掛けて、詩人、小説家、評論家と多面にわたって活躍した人です。また、昭和10年に制定された芥川賞ではその詮衡委員となっています。芥川賞の受賞が悲願だったとされる太宰治の作品をかっていたともいわれています。   閉じる

    投稿日:2018/12/27

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
伝通院
住所
  • 東京都文京区小石川3-14-6
電話番号
03-3814-3701
アクセス
都営地下鉄春日駅 徒歩 10分
東京メトロ後楽園駅 徒歩 10分
その他
創建年代 1415
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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