2019/09/29 - 2019/09/29
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さっとん姉さん
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2019年9月下旬から10月初めにかけて、26年ぶりにチェンラーイを訪れた。
26年前に初めて訪れたチェンマイ。そこからチェンラーイへ足を延ばし、メーサイへ日帰りで往復した。
メーサイでは、対岸のミャンマー側のタチレイとの間に架かる橋のたもとで、おそらくミャンマー側から出稼ぎに来ていると思われる小学校低学年ぐらいの民族衣装を着ている少女たちに出会った。
彼女たちにチップを渡して写真を撮影させてもらった。そもそも、私が山岳民族に興味を持ったのはこの出来事がきっかけである。
2019年、21年ぶりに海外の旅を再開することにした。かつてはネット環境の未整備から旅先で山岳民族にアプローチするのは極めて困難であった。
タイ北部に暮らすパドゥン・カレン族(俗称「首長族」)を手始めに、タイとミャンマーでいくつかの山岳民族の村を訪れ、その暮らしぶりの一端に触れることができた。
今回のタイ北部への旅は、今年に入ってからの山岳民族と関わる旅の中間決算的な意味合いを持つかもしれない。
今回は、少しだけマジに旅の振り返りもします。
(2019.11.07改訂)
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【09月29日(日)チェンラーイ2日目、日帰りツアー】
午前03時起床。昨夜はかなり疲れていたのだと思う。外ではアルコールを口にせず、部屋に帰ってから買って来た焼き豚二本とコンビニで買った塩ピーナッツをつまみに飲んだ。
缶ビール330ミリリットル缶を5本飲んだところで激しい睡魔に襲われた。
5時間ぐらいは寝られたかな。 -
06時20分から朝食。タイ式のお粥、キノコ入りで美味しかった。
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☆☆☆ホテルのロビー。☆☆☆
08時50分にロビーへ行くと、今日のプライベート・ツアーの女性ガイドさんに声をかけられた。
名前はドゥアンさんという。日本語を少し話す。
すぐに出発する。車内で「私は日本語を今習っているが、あまり上手ではないので英語を主に話します。」と言われてしまう。 -
08時51分出発。ドライバーはMr.チャンという。以下、それぞれガイドさん、ドライバーさんと表記することにする。
車はチェンライからハイウェイを北上する。道すがらガイドさんがいろいろなことを英語で話してくれる。
20年前から王室の協力で山岳民族がアヘン栽培をやめて他の農作物を栽培するよう、プロジェクトが進行している。
その結果、コーヒーがチェンマイとチェンライの特産品になりつつある。
私が、初めてチェンマイに来た時に訪れた山岳民族の村ではまだアヘンを栽培していた、と言うとガイドさんは苦笑いしていた。
幹線道路から脇道に入る。しばらく走って右手に大きなカトリック教会が見える。
左手に温泉が見え、湯が吹き出している。チェンライには三か所温泉が湧いている、とのこと。
少し走った先の村には、小さなモスクがあった。ラフ族とリス族。前者はムスリムが多く、後者はクリスチャンが多い。
リス族は貧しい。キリスト教団体が医療、教育を援助している。 -
最初に、ヤオ族の村Ban Yao Pong Pakhamを見学した。
09時50分、 村の集会所の前に着いた。
ミャンマーで訪れた、あまり裕福とは思えないリス族の村の雰囲気と共通するものを感じた。 -
☆☆☆村の手前にあった畑。☆☆☆
車を降りてしばらく歩くと、土産物を売りつけようとする幼い女の子二人が私たちの周りにつきまとった。少し後からもう一人少し年上の子も加わった。
決してグイグイ来ない奥床しさは、ミャンマーと同じだ。
この村では、ゴム、ライチ、パイナップル、米、トウモロコシなどを栽培している。 -
村の中にある教会。今日は日曜日なので、村の人々が集まっていた。
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☆☆☆村の風景。☆☆☆
この村には50家族が暮らしているが、村には学校がない。数キロ離れたところに通わなければならない。
高校に行くと、中国語を習い、若者たちは主に台湾へ出稼ぎに行く。
新しい家に立て替えているのが目につく。車やバイクをたくさん持っている。 -
蜂の子を食べるそうだ。日本の信州などと同じである。
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伝統的なスタイルの家。
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10時15分出発。次のスポットへ向かう途中、道路脇で目にしたとうもろこし畑は明らかに立ち枯れているようだ。問題ないのであろうか。
今回、メーホンソーンから訪れた村の一つでは、とうもろこしを豚の餌にしていると言っていた。(どの村かは忘れてしまった。) -
次に、幹線道路沿いにあるアカ族の村バンローサーを見学した。
ここは山岳民族の生活改善プログラムの一環として、完全に観光地化された村である。
入村料は一人50バーツ。今日のツアー代金に含まれている。
この村には現在60家族が住んでいる。 -
入場チケット。
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アカ族の民族衣装を身に着けたガイドの女性が私たちを案内してくれる。
崖を上った所に、かつて野生の動物を捕まえるために使われていたトラップが展示されている。
ウサギ、トラ!、ネズミ 、鳥。
動物の種類ごとにトラップも違っている。 -
罠の動きが緩慢で、実際には動物を捕まえられそうにないのだが。
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ガイド役のアカ族の女性が、苦笑しながらも実演してくれる。
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村の宗教儀礼に関わる施設。
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18禁?のオブジェ。どことなくユーモラス。
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糸作りの実演コーナー。
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☆☆☆アカ・レディースと記念撮影。この日の私の服装、デニムパンツとバンコクで150バーツで買ったTシャツが何となくシンクロしている?☆☆☆
広場のようなところへ出ると、 民族衣装を身につけた他のおばちゃんたちが集まって来て、私たちのためにダンスを踊ってくれた。動画の撮影も可である。
事前にWebサイトで見たこの村の観光プログラムとまったく同じである。 -
その後奥にある教会の方へ行く。日曜日なので多くの人が集まっているようだ。
中からコンサートのような音楽が聞こえてくる。 -
☆☆☆入り口横の休憩所の中で。☆☆☆
最初に受付をしてくれた場所に戻り、しばらく休憩させてもらった。
観光客の受け入れに慣れているのであろう。土産物をぐいぐい売りつけてくるようなことはなかった。 -
三番目にリス族の村を訪問。前の二つの村と違い、未舗装の道をしばらく進んで行く。
ミャンマーのロイコー滞在中に訪れたリス族の村へのアプローチを思い出す。 -
村の名前は、幹線道路から村へ至る脇道に入る手前に立っている看板に英語の表記があった。
ガイドさんが気を利かして車の外に出て撮影するよう言ってくれたが、車内からしか撮っていない。
今写真をじっくり眺めても、最初の「HA」しか読み取れない。BANは村という意味。 -
リス族の村の遠景。
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この村には100家族が暮らしている。新しい家が目につく。
五年前ぐらいから建て替えがどんどん進んでいるそうだ。
ミャンマーのロイコー滞在中に訪れたリス族の村は、車やバイクを所有する家が目立ったが、ここよりも生活水準はやや低いと思う。 -
奥に新しいきれいな家。
ガイドさんに、「 日本の家と同じだ」と言うと笑ってくれた。 -
車を降りる時にも声をかけて来たお婆さんの家に立ち寄る。
家の奥からケースに入った土産物をたくさん出して見せて来る。主に小物入れと女性用の帽子である。
私は民族衣装を着たお婆さんの写真を撮らせてもらう代わりに、100バーツの小物入れを一つ買った。ちょっと高いな。
※同じような品物が、チェンラーイの土産物屋で30バーツで売られていた。
ガイドさんは、お婆さんに出された帽子を取っ替え引っ替え見ていたが、気に入ったものがないらしく、結局一つも買わなかった。
この村の土産物屋は、他にも二、三軒あるとのこと。 -
この後、中国国民党の残党の子孫を含む多くの中国人が暮らす村があるメーサローンへ向かった。今日のツアーのハイライトだと思う。
山道に入るが、舗装されている。 -
☆☆☆ピンクのシャツがお母さん。左がガイドさん。☆☆☆
まず最初に、道路沿いにあるお茶屋さんに連れて行かれた。 「地球の歩き方」の地図には載っていない。Google Mapで調べると、国琴商店と出ている。口コミもある。
70歳台だと言う中国人のお母さんが一人でこの店を切り盛りしている。お母さんはとてもフレンドリーで、私たちの目の前で美味しいお茶を何杯も淹れて振る舞ってくれた。
今日の個人ツアーを申し込んだJ.トラベルと提携しているのであろう。そのことを示す、日本語で書かれた雑誌の切り抜き記事をパネルにしたものが壁に立てかけてあった。
お母さんから土産に茶葉を購入することを強く勧められたが、「日本では緑茶しか飲まない。」「烏龍茶はペットボトル入りの冷たいものしか飲まない。」と、のらくらかわした。
ガイドさんが私の代わりに、店頭に置かれていたバナナやその他の商品を買っていた。 -
そこからかなり歩いた。ガイドさんは1.2kmと言っていた。ほぼ下り坂だった。
道沿いに中国人の商店や食堂が多数立ち並んでいる。 -
ガイドさんは「大好物なの」と言って、露店のアボガドをたくさん買っていた。
大きな瓶に入った竹虫を売っている店もあった。
※この店で何も買わなかったが、竹虫の写真を撮らせてもらった。
※チェンラーイのサタデーマーケットの屋台における竹虫については、この旅行記の1日目を参照。 -
ホテルが集まっている場所があった。
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最後は「雲南麺餃館」という食堂に立ち寄った。
店名の通り、ラーメンと餃子の専門店のようだ。地元の人気店らしい。
ガイドさんが私たち三人分のラーメン(ワンタン麺)と餃子を注文した。
日曜日の12時台ということもあり、混んでいる。ほぼ満席である。半分以上は欧米人だった。
レンタカーやレンタルバイクでタイ北部を観光している欧米人は多い。 -
ワンタン麺は、うす味であっさりしている。細切りチャーシューが美味しい。
私は、日本でもこういうラーメンを食べたい。 -
餃子もあっさりした味だった。油をほとんど使わずに上手に焼いている。
ニンニクは入っていない。日本の中華食堂みたいに焼き過ぎて焦げついたりしていないのが良い。 -
☆☆☆この店のそばにあるコンビニ。こんな辺鄙な山の上にも大手のコンビニがある。今回の旅で、タイの地方における道路の整備に驚かされた。☆☆☆
美味しいものが食べられて満足した。
ガイドさんが店に入る時、「メーサロンに来たのにこの店で食べないなんて、あり得ない。」と言っていた理由がよく分かった。 -
最後は、チェンラーイの市街地の手前まで戻り、「首長族」を中心とする山岳民族の観光村Union of Hill Tribe Villages and Long Neck Karenに立ち寄った。
今回のチェンラーイの旅における「悲しき村」その一、である。
※大正時代の白樺派の「新しき村」とは無関係である。念の為。 -
園内はかなり広い。カヤン族(「首長族」)のエリアの奥にはカヨー族(「耳長族」)のエリアもある※。ただし後者は6家族だけとのこと。
他に、今日村を訪れたヤオ族、アカ族や、メーホンソーンで村を訪れたラフ族のエリアもある。 -
☆☆☆施設内の展示パネル。☆☆☆
アカ族とヤオ族。 -
カヨー族(「耳長族」)とラフ族。
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カヤン族(パドゥン・カレン族)の若い女性が写真撮影を快諾してくれた。
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カヨー族の若い女性も快く写真を撮らせてくれた。
上下の服装、膝下の真鍮製リングがカヤン(パドゥン・カレン)族と同じだ。 -
こちらのカヨー・レディースは休憩中。
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カヨー族の人形を見たのも初めてだった。
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これ以上この施設の解説を続けることにあまり意味はないと思う。
私が、この施設を「悲しき村」と感じた理由について。
今日ここで私が感じたのは、不適切な例えかもしれないが、日本のテレビプログラムにおける「やらせ」 もしくは「やらせに近い演出」のような気配である。
観光客の中には、このような施設で十分に満足感を得られる人もいるのであろう。
チェンラーイの市街地からさほど時間がかからない場所で、多種類の山岳民族の人々の衣装を見ることができ、写真を撮らせてもらえる。土産物も存分に買うことが可能である。こんな便利な施設は他にない。
彼らが実際に暮らす村を訪ねるとなると、トレッキングをしたり、舗装されていない険しい山道を車で上って行ったりしなければならないことも少なくない。
私は、タイやミャンマーを巡って、山岳民族の人々が暮らしている本物の村を訪れることで実に豊かな経験をすることが出来たと考えている。
そうした私にとって、このような施設は物足りない。さらには、とても物悲しい気分になる。
物悲しい気分になるもう一つの理由は、そうなると分かっていながら、このような施設に性懲りもなく私が来てしまうことである。
これだけはどうしようもない。他に選択肢がなければ、観光地化された、あまり好ましくない施設であると事前にわかっていても、訪れざるを得ないのである。
時間と費用の制約の下に旅をする中で、山岳民族の人々の生活に触れることを願い、それを追求する場合、時には妥協せざるを得ない場面がある。
私の山岳民族に関する旅の記録を読んで下さった読者の方には、私の考え方はお分かりいただけたと思う。
現地の人に、きちんと現地の言葉で挨拶をする。
写真を撮らせてもらうときは、必ず本人から直に許可をもらい感謝の気持ちを伝えるなど、人としての最低限の礼儀を忘れない。
旅行記に人物の写真を掲載する場合は、必ず説明を付す。 -
☆☆☆施設の入り口付近にて。☆☆☆
16時00分にツアーを終えてホテルに戻った。
ホテルの前で、ガイドのドゥアンさんとドライバーのMr.チャンに丁寧に挨拶をして、車を降りた。
【2日目、了】
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チェンライ(タイ) の旅行記
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旅行記グループ 再びのチェンラーイ、悲しき熱帯の村~タイ北部をゆるりと巡る旅【後編】~
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