香取・佐原旅行記(ブログ) 一覧に戻る
江戸時代、佐原(さわら)の小野川両岸とその周辺には、河岸問屋や醸造などの商工業者が軒を連ねていました。<br />北総大地は江戸へ食糧を供給する一大穀倉地帯として、米作、味噌、醤油、日本酒の醸造業が盛んに行われていたと伝えられています。<br />明治25年(1892)に大火があり、これを契機に防火構造の蔵が増え始めました。<br /><br />現在も、隆盛を極めた当時を彷彿とさせる古い商家や蔵が建ち並び、商都としての歴史的景観をよく残しています。<br />昔からの家業を引き継ぎ今も営業している商家、古い建物を利用してカフェや雑貨類を売る新しい店などが集まっています。<br />平成8年に関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。<br /><br />今日の午後は、水郷佐原あやめパークからバスで移動し、古い町並みの中心地「忠敬橋」からスタートします。<br /><br />なお、旅行記は佐原観光プロモーション推進協議会、馬場本店酒造などの資料を参考にしました。<br />

水運で栄えた商家の町並み「小江戸の佐原」(千葉)

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2017/06/10 - 2017/06/10

39位(同エリア571件中)

4

51

かっちん

かっちんさん

江戸時代、佐原(さわら)の小野川両岸とその周辺には、河岸問屋や醸造などの商工業者が軒を連ねていました。
北総大地は江戸へ食糧を供給する一大穀倉地帯として、米作、味噌、醤油、日本酒の醸造業が盛んに行われていたと伝えられています。
明治25年(1892)に大火があり、これを契機に防火構造の蔵が増え始めました。

現在も、隆盛を極めた当時を彷彿とさせる古い商家や蔵が建ち並び、商都としての歴史的景観をよく残しています。
昔からの家業を引き継ぎ今も営業している商家、古い建物を利用してカフェや雑貨類を売る新しい店などが集まっています。
平成8年に関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

今日の午後は、水郷佐原あやめパークからバスで移動し、古い町並みの中心地「忠敬橋」からスタートします。

なお、旅行記は佐原観光プロモーション推進協議会、馬場本店酒造などの資料を参考にしました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 佐原の案内図<br /><br />小江戸と呼ばれる古い町並みは、JR佐原駅から10分ほど離れた小野川沿いと忠敬橋を通る香取街道沿いにあります。<br /><br />江戸時代の水運は、小野川から利根川を通り江戸まで物資を運び、逆に江戸の文化を佐原に取り入れていました。<br /><br />そして、伊能忠敬(いのう ただたか)が30年あまり過ごした旧宅があります。<br />

    佐原の案内図

    小江戸と呼ばれる古い町並みは、JR佐原駅から10分ほど離れた小野川沿いと忠敬橋を通る香取街道沿いにあります。

    江戸時代の水運は、小野川から利根川を通り江戸まで物資を運び、逆に江戸の文化を佐原に取り入れていました。

    そして、伊能忠敬(いのう ただたか)が30年あまり過ごした旧宅があります。

  • 忠敬橋バス停<br /><br />「ちゅうけいばし」と読みます。<br /><br />水郷佐原あやめパークから乗ってきたシャトルバスを降り、ここから町歩きを始めます。<br /><br />

    忠敬橋バス停

    「ちゅうけいばし」と読みます。

    水郷佐原あやめパークから乗ってきたシャトルバスを降り、ここから町歩きを始めます。

  • 福新呉服店(ふくしん ごふくてん、香取街道沿い)<br /><br />明治28年(1895)建築。<br />文化元年(1804)創業の老舗。<br /><br />明治25年(1892)の大火後、前・側面を厚塗り壁の周囲に、さらに塀を廻らして防火構造としています。<br /><br />昭和初期に洋風を意識して下屋をテラスにし、高欄を配して透かし看板をつけ、また、窓には小割のガラス戸をはめ、周囲を銅板で飾り立てています。<br />

    福新呉服店(ふくしん ごふくてん、香取街道沿い)

    明治28年(1895)建築。
    文化元年(1804)創業の老舗。

    明治25年(1892)の大火後、前・側面を厚塗り壁の周囲に、さらに塀を廻らして防火構造としています。

    昭和初期に洋風を意識して下屋をテラスにし、高欄を配して透かし看板をつけ、また、窓には小割のガラス戸をはめ、周囲を銅板で飾り立てています。

  • 小堀屋本店(香取街道沿い)<br /><br />明治33年(1900)建築。<br /><br />天明2年(1782)創業の蕎麦屋で、道具類や蕎麦作りの秘伝書が残っています。<br /><br />明治35年(1902)には店舗の表にガラス障子を入れるなど、明治時代の新しい工夫を知る建物です。<br /><br />昼時なので、表に行列ができています。<br />

    小堀屋本店(香取街道沿い)

    明治33年(1900)建築。

    天明2年(1782)創業の蕎麦屋で、道具類や蕎麦作りの秘伝書が残っています。

    明治35年(1902)には店舗の表にガラス障子を入れるなど、明治時代の新しい工夫を知る建物です。

    昼時なので、表に行列ができています。

  • 正文堂書店(しょうぶんどうしょてん、香取街道沿い)<br /><br />明治13年(1880)建築。<br /><br />書店であった店舗は、黒塗り土蔵造り店蔵の形式を今に伝える重厚な建物です。<br /><br />2階の観音開き戸は、内に横引き土戸、さらに板戸と3重構成です。<br />

    正文堂書店(しょうぶんどうしょてん、香取街道沿い)

    明治13年(1880)建築。

    書店であった店舗は、黒塗り土蔵造り店蔵の形式を今に伝える重厚な建物です。

    2階の観音開き戸は、内に横引き土戸、さらに板戸と3重構成です。

  • 重厚な土蔵造り(正文堂)<br /><br />今はいも菓子などの和菓子屋さんです。<br /><br />看板は表面カバーが邪魔してよく見えませんが、昇り龍、降り龍が飾られています。<br />

    重厚な土蔵造り(正文堂)

    今はいも菓子などの和菓子屋さんです。

    看板は表面カバーが邪魔してよく見えませんが、昇り龍、降り龍が飾られています。

  • 中村屋商店(香取街道沿い)<br /><br />安政2年(1855)建築。<br /><br />変形角地のため、交差点側の隅柱が五角形にするなど工夫をこらしています。<br /><br />明治7年(1874)から荒物・雑貨・畳を、現在は和雑貨の商いをしています。<br />

    中村屋商店(香取街道沿い)

    安政2年(1855)建築。

    変形角地のため、交差点側の隅柱が五角形にするなど工夫をこらしています。

    明治7年(1874)から荒物・雑貨・畳を、現在は和雑貨の商いをしています。

  • 建物の小野川側(中村屋)<br /><br />第二次世界大戦後、下屋を洋風のバルコニーに改造し、高欄も設けました。<br /><br />1階小野川側の窓格子は硬いねじれやすい欅材で造られた逸品、三重の横桟は中身を差し込み、縦桟間を迫り出す工法で職人の技を見ることができます。<br />

    建物の小野川側(中村屋)

    第二次世界大戦後、下屋を洋風のバルコニーに改造し、高欄も設けました。

    1階小野川側の窓格子は硬いねじれやすい欅材で造られた逸品、三重の横桟は中身を差し込み、縦桟間を迫り出す工法で職人の技を見ることができます。

  • 土蔵(中村屋)<br /><br />明治27年の建築で、最初から3階建てとした数少ない建築物です。<br />

    土蔵(中村屋)

    明治27年の建築で、最初から3階建てとした数少ない建築物です。

  • 時代劇に出てくるような「火の見櫓」<br /><br />忠敬橋の脇にあります。<br />

    時代劇に出てくるような「火の見櫓」

    忠敬橋の脇にあります。

  • 町並み舟めぐり(小野川沿い)<br /><br />舟めぐりは、小野川沿岸の江戸情緒が残る建物や風景を遊覧できます。<br /><br />乗船料金は、30分、1,300円です。<br />

    町並み舟めぐり(小野川沿い)

    舟めぐりは、小野川沿岸の江戸情緒が残る建物や風景を遊覧できます。

    乗船料金は、30分、1,300円です。

  • めぐり茶屋(小野川沿い)<br /><br />佐原おかみさん会と地元高校生の皆さんが、浴衣姿でお抹茶をたててくれます。<br />

    めぐり茶屋(小野川沿い)

    佐原おかみさん会と地元高校生の皆さんが、浴衣姿でお抹茶をたててくれます。

  • 宮定(みやさだ、小野川沿い)<br /><br />明治26年(1893)建築、昭和21年改築。<br /><br />創業者の宮澤定七の名を取って「宮定」としました。<br /><br />代々魚問屋、蒲鉾の製造・販売を業としてきたが、現在は、割烹として営業しています。<br />

    宮定(みやさだ、小野川沿い)

    明治26年(1893)建築、昭和21年改築。

    創業者の宮澤定七の名を取って「宮定」としました。

    代々魚問屋、蒲鉾の製造・販売を業としてきたが、現在は、割烹として営業しています。

  • 与倉屋大土蔵(よくらや、小野川そば)<br /><br />明治22年(1889)に建てられた大土蔵。<br /><br />江戸末期より醸造業を戦前まで営み、現在は倉庫業です。<br /><br />外壁に張り巡らされた2本の電線がどこまでも続き、大きな倉庫を感じさせます。<br />

    与倉屋大土蔵(よくらや、小野川そば)

    明治22年(1889)に建てられた大土蔵。

    江戸末期より醸造業を戦前まで営み、現在は倉庫業です。

    外壁に張り巡らされた2本の電線がどこまでも続き、大きな倉庫を感じさせます。

  • 樋橋の落水(とよはし、小野川)<br /><br />樋橋は、江戸時代の初期、佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送るため、木製の大きな樋をつくり小野川に架けられたものです。<br /><br />もともとは人を渡すためにつくられたものではなく、後に大樋を箱型につくり、丸太の手すりを付け、板を敷いて人が渡れるようになりました。<br /><br />大樋から水がジャージャーと流れる音がしていたので、「ジャージャー橋」とも呼ばれました。<br /><br />昭和に入り、コンクリート製となり、現在の橋は平成4年に架け替えられたものです。<br />「残したい”日本の音風景100選”」に選定され、30分おきに落水が再現されています。<br />

    イチオシ

    樋橋の落水(とよはし、小野川)

    樋橋は、江戸時代の初期、佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送るため、木製の大きな樋をつくり小野川に架けられたものです。

    もともとは人を渡すためにつくられたものではなく、後に大樋を箱型につくり、丸太の手すりを付け、板を敷いて人が渡れるようになりました。

    大樋から水がジャージャーと流れる音がしていたので、「ジャージャー橋」とも呼ばれました。

    昭和に入り、コンクリート製となり、現在の橋は平成4年に架け替えられたものです。
    「残したい”日本の音風景100選”」に選定され、30分おきに落水が再現されています。

  • 伊能忠敬旧宅(小野川沿い)<br /><br />伊能忠敬が17歳で伊能家に婿養子に入り、主な家業である酒造業を営んだ家です。<br /><br />店舗・正門・炊事場・書院・土蔵からなり、写真は書院です。<br />

    伊能忠敬旧宅(小野川沿い)

    伊能忠敬が17歳で伊能家に婿養子に入り、主な家業である酒造業を営んだ家です。

    店舗・正門・炊事場・書院・土蔵からなり、写真は書院です。

  • 象限儀と半円方位盤(旧宅)<br /><br />49歳で隠居してからは江戸へ出て本格的に天文暦学などの勉強を始め、55歳から全国測量を行いました。<br /><br />「象限儀(しょうげんぎ)」は、緯度を確定するために星の高度を測った道具で、望遠鏡をのぞいて見える星の高度から緯度を求めます。<br /><br />「半円方位盤」は、遠くの山までの方位を測る道具です。<br />

    象限儀と半円方位盤(旧宅)

    49歳で隠居してからは江戸へ出て本格的に天文暦学などの勉強を始め、55歳から全国測量を行いました。

    「象限儀(しょうげんぎ)」は、緯度を確定するために星の高度を測った道具で、望遠鏡をのぞいて見える星の高度から緯度を求めます。

    「半円方位盤」は、遠くの山までの方位を測る道具です。

  • 水戸屋(小野川沿い)<br /><br />江戸後期頃の建築。<br /><br />間口9間、奥行き3間、前に軒を付ける桟瓦葺きです。<br /><br />旧、伊能三郎右衛門家の穀倉で、飢饉の時には米などを村人に与えた為に餓死する者、一揆などは起こりませんでした。<br /><br />現在は大高園の倉庫として使われています。<br />

    水戸屋(小野川沿い)

    江戸後期頃の建築。

    間口9間、奥行き3間、前に軒を付ける桟瓦葺きです。

    旧、伊能三郎右衛門家の穀倉で、飢饉の時には米などを村人に与えた為に餓死する者、一揆などは起こりませんでした。

    現在は大高園の倉庫として使われています。

  • 植田屋荒物店の土蔵(小野川・香取街道沿い)<br /><br />江戸中期の宝暦9年(1759)に創業し、250年もの間、佐原の町で人々の暮らしを支えてきた荒物店です。<br /><br />職人の手で作られた日用雑貨が並ぶ、昔懐かしい荒物屋さんです。<br />ここで、孫のお土産に竹筒て作られた水鉄砲を買ってしまいました。<br />

    植田屋荒物店の土蔵(小野川・香取街道沿い)

    江戸中期の宝暦9年(1759)に創業し、250年もの間、佐原の町で人々の暮らしを支えてきた荒物店です。

    職人の手で作られた日用雑貨が並ぶ、昔懐かしい荒物屋さんです。
    ここで、孫のお土産に竹筒て作られた水鉄砲を買ってしまいました。

  • 土蔵の中(植田屋)<br /><br />昔の看板が掲げられています。<br /><br />左が「大分県の青筵(あおむしろ)特約販売」、右が「マッチ大販売所」です。<br />

    土蔵の中(植田屋)

    昔の看板が掲げられています。

    左が「大分県の青筵(あおむしろ)特約販売」、右が「マッチ大販売所」です。

  • 中村屋乾物店(香取街道沿い)<br /><br />明治25年(1892)大火後の建築。<br /><br />店舗は当時最高の技術を駆使したといわれる防火構造で、壁の厚さが1尺5寸(約45cm)、完成に2年以上かかったという土蔵造の建物です。<br /><br />2階の観音扉土戸内には、「勝男節」「祝儀道具」「松魚○」「諸国乾物類」など木彫りの看板が見られます。<br />「松魚」とは鰹のことで、鰹節の切り口が松の木の年輪に似ているからです。<br />

    中村屋乾物店(香取街道沿い)

    明治25年(1892)大火後の建築。

    店舗は当時最高の技術を駆使したといわれる防火構造で、壁の厚さが1尺5寸(約45cm)、完成に2年以上かかったという土蔵造の建物です。

    2階の観音扉土戸内には、「勝男節」「祝儀道具」「松魚○」「諸国乾物類」など木彫りの看板が見られます。
    「松魚」とは鰹のことで、鰹節の切り口が松の木の年輪に似ているからです。

  • レンガ積みの「三菱館」(香取街道沿い)<br /><br />大正3年(1914)建築。<br /><br />明治の西洋建築の流れをくむ三菱館は、レンガ積みの洋館です。<br /><br />川崎銀行佐原支店(明治13年開業時は出張所)として清水満之助本店(現清水建設)が設計・施工し、その後三菱銀行佐原支店旧本館、現在は市の観光用に使用しています。<br />

    レンガ積みの「三菱館」(香取街道沿い)

    大正3年(1914)建築。

    明治の西洋建築の流れをくむ三菱館は、レンガ積みの洋館です。

    川崎銀行佐原支店(明治13年開業時は出張所)として清水満之助本店(現清水建設)が設計・施工し、その後三菱銀行佐原支店旧本館、現在は市の観光用に使用しています。

  • お洒落な傘が目を引く「蜷川家具店」(にながわ かぐてん、香取街道沿い)<br /><br />明治から大正期の建築。<br /><br />当初、桐箪笥等の家具・小物類製作、販売を行っていました。<br />現在は素顔屋(すっぴんや)となり、すっぴんな暮らしを提案する和のセレクトショップです。<br /><br />2階に高欄と雨戸の戸袋があります。<br />

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    お洒落な傘が目を引く「蜷川家具店」(にながわ かぐてん、香取街道沿い)

    明治から大正期の建築。

    当初、桐箪笥等の家具・小物類製作、販売を行っていました。
    現在は素顔屋(すっぴんや)となり、すっぴんな暮らしを提案する和のセレクトショップです。

    2階に高欄と雨戸の戸袋があります。

  • 洋風の看板建築(蜷川家具店)<br /><br />大正10年(1921)建築と店の案内板に書かれています。ですが看板建築は昭和初期のものなので、その後改造されたのかも知れません。<br /><br />蜷川家具店の一番右側にある建物です。<br /><br />木造切妻入り建造物の前面をモルタル洗い出しにして洋風に整えた「看板建築」です。<br />2階には、3つ並ぶ縦長の観音開き窓、上部のレリーフ飾り、商標の○サ一など、素晴らしいデザインの建物です。<br />

    洋風の看板建築(蜷川家具店)

    大正10年(1921)建築と店の案内板に書かれています。ですが看板建築は昭和初期のものなので、その後改造されたのかも知れません。

    蜷川家具店の一番右側にある建物です。

    木造切妻入り建造物の前面をモルタル洗い出しにして洋風に整えた「看板建築」です。
    2階には、3つ並ぶ縦長の観音開き窓、上部のレリーフ飾り、商標の○サ一など、素晴らしいデザインの建物です。

  • 文明堂文具店(香取街道沿い)<br /><br />下見板張りの板壁の出っ張りが気になります。<br />

    文明堂文具店(香取街道沿い)

    下見板張りの板壁の出っ張りが気になります。

  • 佐原町並み交流館(香取街道沿い)<br /><br />東京三菱銀行佐原支店だった建物を利用し、佐原町の歴史や文化の案内、工芸体験などができます。<br /><br />金庫室はそのままなので、中に入れます。<br />

    佐原町並み交流館(香取街道沿い)

    東京三菱銀行佐原支店だった建物を利用し、佐原町の歴史や文化の案内、工芸体験などができます。

    金庫室はそのままなので、中に入れます。

  • ドールハウス(交流館)<br /><br />佐原の古い町並みの建物を橋本京子さんがドールハウスにて再現し、常設展示されています。<br /><br />建物の経年変化まで表現しているので、ビックリ!<br />

    ドールハウス(交流館)

    佐原の古い町並みの建物を橋本京子さんがドールハウスにて再現し、常設展示されています。

    建物の経年変化まで表現しているので、ビックリ!

  • 昭和の茶の間(交流館)<br /><br />見たことがある製品ですね。<br />

    昭和の茶の間(交流館)

    見たことがある製品ですね。

  • 土蔵造りの建物(香取街道沿い)<br /><br />現在は癒しの雑貨店「らぱん」です。<br />

    土蔵造りの建物(香取街道沿い)

    現在は癒しの雑貨店「らぱん」です。

  • 油茂製油(あぶもせいゆ、香取街道沿い)<br /><br />明治25年(1892)建築。寛永年間に創業した現存最古の油屋。<br /><br />明治25年大火後に建築した建物で、2階の格子や外観は明治期の特徴をよく残しています。<br /><br />戦国時代、千葉国分氏に仕えた武士、小田原北条氏滅亡後、佐原に帰農して製油業をはじめました。<br /><br />数百年続く秘伝の玉絞め圧縮による最高級のごま油と、激辛ラー油がお勧めで、行列をつくっています。<br />

    油茂製油(あぶもせいゆ、香取街道沿い)

    明治25年(1892)建築。寛永年間に創業した現存最古の油屋。

    明治25年大火後に建築した建物で、2階の格子や外観は明治期の特徴をよく残しています。

    戦国時代、千葉国分氏に仕えた武士、小田原北条氏滅亡後、佐原に帰農して製油業をはじめました。

    数百年続く秘伝の玉絞め圧縮による最高級のごま油と、激辛ラー油がお勧めで、行列をつくっています。

  • ヤナギが似合う小野川<br />

    ヤナギが似合う小野川

  • 正上醤油店(しょうじょう しょうゆてん、小野川沿い)<br /><br />天保3年(1832)建築。<br /><br />天保3年より醤油業を営み、幕末の重要な店舗・袖蔵・小野川のだし(舟着き場の階段)は、佐原を代表する大店の構えです。<br /><br />店舗は通りより3尺内側に揚げ戸(鎧戸)を建て込み、奥の住居との境には千本格子障子をはめています。<br /><br />2階正面に繊細な格子窓を組み、屋根には軒先を大きく張り出した品格のある建物です。<br />

    正上醤油店(しょうじょう しょうゆてん、小野川沿い)

    天保3年(1832)建築。

    天保3年より醤油業を営み、幕末の重要な店舗・袖蔵・小野川のだし(舟着き場の階段)は、佐原を代表する大店の構えです。

    店舗は通りより3尺内側に揚げ戸(鎧戸)を建て込み、奥の住居との境には千本格子障子をはめています。

    2階正面に繊細な格子窓を組み、屋根には軒先を大きく張り出した品格のある建物です。

  • 醤油壺(正上醤油)<br /><br />小野川のたもとに並んでいます。<br />

    醤油壺(正上醤油)

    小野川のたもとに並んでいます。

  • 黒塗りの土蔵(正上醤油)<br /><br />明治初年の建築。<br /><br />厚みのある観音扉の窓は、内側に木が使われています。<br />

    黒塗りの土蔵(正上醤油)

    明治初年の建築。

    厚みのある観音扉の窓は、内側に木が使われています。

  • タイル張りのパーマ店(小野川沿い)<br /><br />昭和のパーマ店はこんな感じでした。<br />

    タイル張りのパーマ店(小野川沿い)

    昭和のパーマ店はこんな感じでした。

  • 風情のある中橋(小野川)<br /><br />橋の下が舟の寝床になっています。<br />

    イチオシ

    風情のある中橋(小野川)

    橋の下が舟の寝床になっています。

  • 荷を積み下ろしした「だし」(小野川)<br /><br />舟着き場の階段は「だし」と呼ばれていました。<br /><br />階段の上には江戸末期に創業した「綿佐・東海酒造」があり、当時の繁栄ぶりが想像できます。<br />

    荷を積み下ろしした「だし」(小野川)

    舟着き場の階段は「だし」と呼ばれていました。

    階段の上には江戸末期に創業した「綿佐・東海酒造」があり、当時の繁栄ぶりが想像できます。

  • 街路灯(小野川沿い)<br /><br />佐原の大祭の山車(だし)のモニュメントです。<br /><br />7月と10月の年2回、市内が熱気であふれる佐原の大祭は、約300年の伝統を引き継ぎ、「国の重要無形民俗文化財」に指定されています。<br />

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    街路灯(小野川沿い)

    佐原の大祭の山車(だし)のモニュメントです。

    7月と10月の年2回、市内が熱気であふれる佐原の大祭は、約300年の伝統を引き継ぎ、「国の重要無形民俗文化財」に指定されています。

  • 街路灯(小野川沿い)<br /><br />こちらにも。<br /><br />勇壮豪華な山車は、夏に10台、秋に14台が、町の中を曳き廻されます。<br />

    街路灯(小野川沿い)

    こちらにも。

    勇壮豪華な山車は、夏に10台、秋に14台が、町の中を曳き廻されます。

  • 綿佐・東海酒造(小野川沿い)<br /><br />明治5年頃の建築。<br /><br />初期は綿佐の屋号で、綿・陶器等の販売を業としていました。<br />その後、明治24年から昭和46年まで醸造業(銘柄「東海」)を営みました。<br /><br />大きな総2階造り、道路側に葺き下ろす瓦屋根、門、中庭は、酒造家としての屋敷構えです。<br />

    綿佐・東海酒造(小野川沿い)

    明治5年頃の建築。

    初期は綿佐の屋号で、綿・陶器等の販売を業としていました。
    その後、明治24年から昭和46年まで醸造業(銘柄「東海」)を営みました。

    大きな総2階造り、道路側に葺き下ろす瓦屋根、門、中庭は、酒造家としての屋敷構えです。

  • 木の下旅館(小野川沿い)<br /><br />明治34年(1901)建築、創業。<br /><br />初代船宿。利根川や小野川沿いには江戸時代から舟運の舟人や行商人、観光客が泊まる宿が沢山ありました。<br /><br />本旅館には旅芸人も宿泊し、その当時の記念品(絵、色紙他)が今でも残り展示しています。<br /><br />建物は窓ガラスが普及した明治末の特徴が見られます。<br />1階の格子窓下と天水桶が懐かしさを感じます。<br />

    木の下旅館(小野川沿い)

    明治34年(1901)建築、創業。

    初代船宿。利根川や小野川沿いには江戸時代から舟運の舟人や行商人、観光客が泊まる宿が沢山ありました。

    本旅館には旅芸人も宿泊し、その当時の記念品(絵、色紙他)が今でも残り展示しています。

    建物は窓ガラスが普及した明治末の特徴が見られます。
    1階の格子窓下と天水桶が懐かしさを感じます。

  • 舟運時代の面影が残る「佐原の町並み」(小野川)<br />

    イチオシ

    舟運時代の面影が残る「佐原の町並み」(小野川)

  • 金利(かねり、小野川沿い)<br /><br />佐原の里唄に「佐原名物、御酒に醤油、味醂に奈良漬、島の瓜」と謡われ、奈良漬けの製造を行いました。<br /><br />島の白瓜と味醂粕の奈良漬けは、佐原で開発され各地に輸出(移出)され、江戸後期から昭和初期にかけて全盛を極めました。<br />

    金利(かねり、小野川沿い)

    佐原の里唄に「佐原名物、御酒に醤油、味醂に奈良漬、島の瓜」と謡われ、奈良漬けの製造を行いました。

    島の白瓜と味醂粕の奈良漬けは、佐原で開発され各地に輸出(移出)され、江戸後期から昭和初期にかけて全盛を極めました。

  • 旧小堀屋本店の別館(香取街道沿い)<br /><br />もともとは千葉銀行の建物で、小堀屋本店(蕎麦屋)の別館として営業していたことがあります。<br />

    旧小堀屋本店の別館(香取街道沿い)

    もともとは千葉銀行の建物で、小堀屋本店(蕎麦屋)の別館として営業していたことがあります。

  • 町家の並ぶ佐原(香取街道沿い)<br /><br />明治に建てられた町家2棟(中央と右)は、甘未喫茶・ギャラリー・雑貨販売の「いなえ」です。<br /><br />お店は「佐原」の「佐」をほどといて「イナエ」とした粋な名前なんです。<br />

    町家の並ぶ佐原(香取街道沿い)

    明治に建てられた町家2棟(中央と右)は、甘未喫茶・ギャラリー・雑貨販売の「いなえ」です。

    お店は「佐原」の「佐」をほどといて「イナエ」とした粋な名前なんです。

  • 造り酒屋「馬場本店酒造」(香取街道沿い)<br /><br />馬場本店酒造は、天和年間(1681~1683)、初代・善兵衛が大和国葛下郡馬場村から出て、幕府直轄地として繁栄していたこの地において糀屋を開いたことが始まりでした。<br /><br />酒造りを始めたのは、天保13年。江戸時代後期には味醂、さらに明治には醤油の醸造も始めました。<br />

    イチオシ

    造り酒屋「馬場本店酒造」(香取街道沿い)

    馬場本店酒造は、天和年間(1681~1683)、初代・善兵衛が大和国葛下郡馬場村から出て、幕府直轄地として繁栄していたこの地において糀屋を開いたことが始まりでした。

    酒造りを始めたのは、天保13年。江戸時代後期には味醂、さらに明治には醤油の醸造も始めました。

  • 焼き印(馬場本店)<br /><br />酒樽などに内容を表示をする「焼き印」が保管されていました。<br />

    焼き印(馬場本店)

    酒樽などに内容を表示をする「焼き印」が保管されていました。

  • 昔ながらの金平湯(かねへいゆ、香取街道近く)<br />

    昔ながらの金平湯(かねへいゆ、香取街道近く)

  • 男湯入口(金平湯)<br />

    男湯入口(金平湯)

  • 2階から浴場見学(金平湯)<br /><br />「え~」と言わないでください。<br /><br />これは佐原町並み交流館に常設展示していた「ドールハウス」です。<br />

    2階から浴場見学(金平湯)

    「え~」と言わないでください。

    これは佐原町並み交流館に常設展示していた「ドールハウス」です。

  • JR佐原駅<br /><br />平成23年(2011)に完成した佐原の町並みにふさわしい2代目駅舎です。<br /><br />小江戸と言われている「佐原の町並み」の町歩きを楽しみました。<br />

    JR佐原駅

    平成23年(2011)に完成した佐原の町並みにふさわしい2代目駅舎です。

    小江戸と言われている「佐原の町並み」の町歩きを楽しみました。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • Akrさん 2017/07/02 08:53:58
    佐原がこんなにも素敵な街だとは・・・
    かっちんさま。

    おはようございます。Akrでございます。

    佐原って随分と素敵な街なのですね。
    いつもは電車で素通り(メインが「乗り」なもので)なのでまったく知らなかったです。
    昭和レトロが大好きな私にしてみれば、この街並みなら1日居られそう。

    特に「中村屋商店」は素晴らしい。(もう昭和じゃないですが・・・)
    あの重厚な木造建築。一度は生で見てみたい。

    かっちんさまの旅行記はけっこうレアな場所が多くて非常に楽しいです。
    関東だけじゃなく、地元、東北でも知らない場所がたくさんあっていつも驚かされます。

    また、おじゃまさせていただきます。

    失礼致しました。

     -Akr-

    かっちん

    かっちんさん からの返信 2017/07/02 14:32:02
    RE: 佐原がこんなにも素敵な街だとは・・・
    Akrさん

    こんにちは。

    小江戸の佐原は風情があり、いいところです。
    ぜひ、機会をみて訪ねてください。

    サッパ舟に乗り、水郷の十二橋めぐりもおすすめです。

    かっちん
  • ちちぼーさん 2017/07/01 13:38:00
    今回もまたお世話になっています
    かっちんさん、こんにちは。

    お出かけのスケジュールを考えるとき4トラの旅行記を参考にすることが多いですが、
    先日佐原へ行った時もかっちんさんの旅行記が目に留まりました。

    いつもながら素敵なお写真。
    結局、メインが札所だったこともあり充分に回れませんでしたが
    行きの電車の中でもカンニング?していました。
    思った以上に素敵だった佐原。
    次回はもう少し丁寧にまた参考にさせていただきながら
    歩きたいです。

    みんまま

    かっちん

    かっちんさん からの返信 2017/07/01 22:44:10
    RE: 今回もまたお世話になっています
    みんままさん

    こんばんは。
    佐原の旅行記が少し役立ったようですね。

    一人ひとり、旅の目的が異なるので、どこか参考になればと思っています。
    今日は北海道に来ており、先ほど室蘭夜景を見てきました。

    かっちん

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