2016/11/03 - 2016/11/04
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毛利慎太朗さん
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母を伴い、米沢市内を観光しつつ、温泉に1泊してきた旅の1日目です。
1日目の市内観光は、松岬(まつがさき)神社、上杉神社、その宝物館である稽照殿(けいしょうでん)、米沢市立上杉博物館を見学しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
旅の始まりは一ノ関駅。
まず、6:48発のはやぶさ102号で仙台へ。一ノ関駅 駅
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はやぶさ102号は7:19に仙台到着。
そこからは7:34発やまびこ208号で福島に向かいます。仙台駅 (JR) 駅
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福島には7:59着。
乗換は新幹線、と思いきや、写真の8:05発の普通列車で米沢に出ます。
米沢~福島は新幹線は1時間に1本以上ありますが、米沢まで行く普通列車が1日に6往復程しかありません。
この普通列車を逃すと、次は12:51発です。
(それでも旅館の送迎には間に合いますが…)
6分しかないので、大変焦りながらこの写真を撮りました。福島駅 駅
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列車は、庭坂駅よりカーブを描きながら、高度を上げていきます。
庭坂の次は、12月から翌年3月まで列車が通過する「秘境駅」こと赤岩駅。赤岩駅 駅
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去りゆく列車から、ちょっと撮ってみました。
駅は1面2線でこじんまり。
秘境駅なので、てっきり1面1線の駅を想像していたのですが、新幹線も通過する区間なので2線であたりまえか。 -
赤岩からの2つ先の、峠駅では名物「峠の力餅」を母が買い求めました。
1日6往復しか列車が止まらないので、つい買ってしまいますよね。
新幹線では味わえない、普通列車ならでは光景ですね。 -
なお、この餅を食べるのは2度目です。
餅は消費期限の翌日に食べましたが、水分が出てベタベタになってることも、固くなってることもなく、もちもちしてました。
経木の移り香が餅を引き立てます。
餅のもっちりした感触に、こしあんの滑らかな舌触りがあうので、つぶあん好きの方も納得する旨さだと自負しております。 -
車窓はこんな感じです。
紅葉は割と黄色が多いように感じます。 -
さて米沢には8:52につきました。
乗ってきた列車の方向幕は、「大石田」になるわけでもなく。米沢駅 駅
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「団体」になるわけでもなく
米沢駅 駅
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臨時になるわけでもなく。
米沢駅 駅
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試運転になるわけでもなく。
米沢駅 駅
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勿論、「回送」の幕に収まります。
少々遊んでみました。米沢駅 駅
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お隣のホームをのぞくと、なんと「とれいゆつばさ」が!
これから福島へ送り込まれるんでしょう。米沢駅 駅
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米沢駅から9:15発循環左回りで「上杉神社前」バス停を目指します。
米沢駅 駅
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「上杉神社前」へは9:26に到着しました。
参道は紅葉が見頃でした。
少しばかり晴れ間がのぞいてきました。 -
松岬神社となり、米沢藩9代藩主「上杉鷹山公」(1751年-1822年)の座像です。
この方が藩主になった頃(1767年)、米沢藩は借金苦で領地返納寸前でした。
手始めに、食事は1汁1菜、着物は木綿、江戸での生活費と奥女中の削減(このせいで幕閣への運動ができず、懲罰的な江戸城への普請を課されたが)という倹約を自らに課しました。
第二に、鷹山公自ら「籍田の礼」で鍬をふるい、農民たちだけでなく下級武士たちへ開墾事業の参加を促しました。
これが、1818年に完成した、32キロの水路「黒井堰」に繋がる第一歩に。
堰の完成は、領内の田畑に大いなる豊作をもたらしました。
第三に、漆(当時はろうそくの原料にもなった)、桑(絹の原料)、コウゾ(和紙の原料)100万本の植樹をめざしました。
漆はハゼの実から作るろうそくにおされ、鷹山公の目論みは一旦”頓挫”しました。
しかし、”桑”を原料とする「絹」に至っては、”米沢織”として一大産業にまで押し上げました。
この甲斐あってか1823年借金は完済、実に、鷹山公が逝去して1年後のことでありました。
実物は台座も含め4メートルはあったかと思います。
紅葉と絡めて撮ってみました。 -
「キャロライン・ブービエ・ケネディ」駐日大使のプレートが鷹山公の銅像の右側にありました。
へえ、米沢を訪れておられたんですね。
彼女の父、「ジョン・F・ケネディ」アメリカ合衆国第35代大統領は、尊敬する人物に鷹山公をあげていることは有名ですね。 -
まず、松岬神社を参拝しますか。
手水屋(ちょうずや)の作法って、いっつも忘れるんですよね。
右が先か、左が先か?松岬神社 寺・神社・教会
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松岬神社は上杉神社の摂社(関連の比較的小さい神社)ですが、昭和21年(1946)までの格が「県社」だったので、立派なご社殿と鯉が泳ぐ庭園、手水屋を備えております。
松岬神社 寺・神社・教会
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悠仁親王殿下のお印に使われている、高野槇(コウヤマキ)です。
比較的日本南部の木ですが、米沢よりさらに北、仙台市の大崎八幡宮にもこの木があります。
高野槇、の名のごとく、高野山に多く生えており、そこで仏花のかわりにお供えされていました。松岬神社 寺・神社・教会
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拝殿前にある二の鳥居は、東日本大震災の時手前に倒れてしまいましたが、割れ目をついで再建されたらしいです。
鳥居の前にとげのある木は、ウコギです。
鷹山公の時代、飢饉(ききん)時のサバイバルマニュアル「かてもの」には、ウコギの若い葉は食べることができるので、垣根に植えるとよいと記されております。松岬神社 寺・神社・教会
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松岬神社の拝殿です。
松岬神社には六柱(神様を数えるとき”一柱”と数えます。)の神様が祀られております。
◎上杉鷹山公(9代藩主)
◎上杉景勝公(初代藩主)
◎直江兼続侯
景勝公の家老で、鷹山公は兼続侯の名誉を回復し、改革の手本とした。
◎細井平洲先生
鷹山公の師匠で、儒学者。
一時途絶えた藩の学校を、「興譲館」として再建した。
◎竹俣当綱(たけまた・まさつな)候
鷹山公の改革を手助けした奉行(家老に相当する役職)
◎莅戸善政(のぞき・よしまさ)候
鷹山公の奉行で、「かてもの」の著者
※もともと鷹山公は上杉神社に祀られておりましたが、明治35(1902)年にこちらに移られました。松岬神社 寺・神社・教会
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橋からから向こう側が「松が岬公園」、かつての「米沢城本丸」でした。
上杉軍1番手の旗印「毘」がみえますね。 -
お堀の北側はこんな感じです。
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お堀の南側はこんな感じです。
南側のほうが紅葉が綺麗ですね。
お堀の向こう左側に門のある建物は、上杉伯爵邸です。 -
橋の上から餌をやっていた人がいたので、鯉がたくさん寄ってきました。
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米沢城下の図です。
現在、上杉家御廟所付近にある法音寺は、もともと二の丸にあったんですね!米沢城跡・松が岬公園 名所・史跡
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米沢藩の祖、上杉謙信公です。
謙信公が頭に被られているものは、僧正帽といって、真言宗のえらいお坊さんにしか被ることができないものです。
42歳で、大僧正の位を得たそうです。米沢城跡・松が岬公園 名所・史跡
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さっきとは違って、鷹山公の立像です。
右には、皆様ご存じの、「なせば成る、なさねば成らぬ、何事も」の碑があります。
近くで、団体に説明していたガイドさんは「後に続く”成らぬは人の、なさぬなりけり”まで覚えていってださいね」とおっしゃってました。米沢城跡・松が岬公園 名所・史跡
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いよいよ上杉神社に参拝いたしましょうか。
上杉神社には上杉謙信公が祀られております。
昭和21年(1946)までの格は、「別格官幣社」でした。上杉神社 寺・神社・教会
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境内は七五三の参拝客でにぎわっておりました。
現在のご社殿は大正8年(1923)竣工。
米沢市出身の伊東忠太博士が設計を担当。
伊東博士といえば、築地本願寺を始め多くの寺社建築を手掛けたことでも知られますね。上杉神社 寺・神社・教会
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上杉神社(右)と松岬神社(左)の御朱印です。
両方とも、上杉神社の社務所で頂けました。 -
せっかく上杉神社まで来たので、その宝物殿「稽照殿(けいしょうでん)」も見ました。
建物自体も登録有形文化財です。
一番興味深い展示物は、兼続侯お馴染みの「愛」の掲げられた甲冑、ではなく、もう一つの「櫂(かい、舟をこぐための道具)と日輪」が、クロスしたバットと、ボールみたいな形で、野球を連想させるので面白かったですね。稽照殿 名所・史跡
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稽照殿前の、池の紅葉がなかなか綺麗だったんで撮ってみました。
稽照殿 名所・史跡
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展示も見て、頭の糖分を使ったんで、そろそろお昼にしましょう。
お昼は、松が岬公園のお堀を渡って北側の「お堀端さっぽろ」で!
チャーシューメン(800円)です。
麺は2,3日寝かせた多加水麺でモチモチ。
チャーシューも昔ながらの味わいです。
スープはしょっぱめで、ご飯がほしい感じですかね。
ラーメンセット(中華そば+から揚げ+漬物+ご飯で750円)ってものもあったんで、それもいいですね。
ともあれ満足、満足。お堀端 さっぽろ グルメ・レストラン
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食後雨が降ってきたんで米沢市立上杉博物館で雨宿り。
(写真は、雨が降る前に撮っておいたものです。)
文化の日だったんで、無料で入館できました。
特別展は「伊達氏と上杉氏-館山城国史跡指定記念-」と題して、かつて米沢を治めてた伊達氏歴代当主のパネル解説や、国宝「上杉家文書」をはじめとした古文書などが展示されていました。
古文書はよくわかりませんでしたが、伊達輝宗公の肖像をみて「おお、北大路欣也だ!」とか、輝宗公が景勝公に送った文章に「その他のことは遠藤基信の思うところである」という解説をみて、「基信っ、神山繁だ!」とか興奮したものでした。
「独眼竜政宗」見てたおかげで結構楽しめました。米沢市上杉博物館 美術館・博物館
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