2016/10/20 - 2016/10/20
9176位(同エリア20610件中)
熱帯魚さん
予報ではこの日の翌日(21日)に
台風22号が香港、広東を通過する予定で
すでにこの時シグナル1が出ていましたが
風は多少強いものの、かなりの好天★
深セン湾口岸から香港入りし、
バスに乗って天水圍駅までやってきました。
今回はのんびり村めぐり^^
一般的に天水圍駅周辺の村めぐりというと、
駅の南側にある屏山ヘリテイジトレイルが有名。
でも屏山はこれまで3度訪れているので
今回は駅の北側に行ってみました。
屏山と違い、全然観光客が来ないエリアですが、
それだけに何があるかわからなくて(笑)
ドキドキワクワク楽しい村めぐりとなりました。
参考までに…過去の屏山旅行記
新界に行こう★屏山の歴史建築物散歩!ついでに朗屏駅周辺も? (2010年3月)
http://4travel.jp/travelogue/10444683
香港マカオ★香港2★新界へ!城壁村残る「屏山」歴史散歩 (2011年8月)
http://4travel.jp/travelogue/10590406
雨降り香港5★新界へ行こう~屏山歴史散歩~ (2014年4月)
http://4travel.jp/travelogue/10873773
○○ 元朗厦村について ○○
厦村は元朗西北部、屏山と后海灣の間に位置する、新界鄧(タン)一族の居住地のひとつです。厦村の鄧族譜の記載によると、鄧族の先祖は900年余前にはすでに元朗錦田に定住し、明朝(1348~1644年)初頭に厦村鄧氏の9世代目の洪惠と洪贄の2人が一族を引き連れ、錦田から厦村に移住し、東頭里と西頭里という村を建設しました。その後、その子孫が東頭村、巷尾村、羅屋村、祥降圍、新圍、錫降村、錫降圍などの村を建設しました。(現地でもらった中英文パンフレットより編集、翻訳しました)
錦田の鄧一族については、錦田にある城壁村「吉慶圍」の旅行記にかいてあります↓
香港★500年の歴史を持つ城壁が残る城壁村「吉慶圍」を訪ねて
http://4travel.jp/travelogue/10411854
★★ 天水圍周辺の村めぐり 10/20 ★★
1★深セン南山区★深セン湾口岸から香港へ
http://4travel.jp/travelogue/11183921
2★厦村さんぽ 前半 ~吉祥茶楼・鄧氏宗祠~
http://4travel.jp/travelogue/11184029
3★厦村さんぽ 後半 ~禮賓樓・友恭學校・村風景~
http://4travel.jp/travelogue/11184427
4★錫降圍さんぽ ~社壇・楊侯宮~
http://4travel.jp/travelogue/11184906
5★錫降村さんぽ
http://4travel.jp/travelogue/11185177
6★新圍と羅屋村周辺さんぽ ~新圍士宏書室・車公廟~
http://4travel.jp/travelogue/11186776
7★東頭村さんぽ ~楊侯宮~ 帰りは元朗経由
http://4travel.jp/travelogue/11186800
8★深セン福田区★帰りは皇崗口岸から
http://4travel.jp/travelogue/11186819
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
お次は氏宗祠の右側にある禮賓樓に行きます。
細い通路を通って、、、 -
厨房がありました。
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階段があったのであがってみると…
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こんな景色でした。向かいの建物が先ほどの氏宗祠です。
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○ 禮賓樓
禮賓樓は鄧氏宗祠に隣接している建物で、1924年以前に建てられたと言われています。もともとは鄧一族の客人用宿泊所でしたが、1944年~1964年頃には友恭學校の教員宿舎としても使われました。その後は1970年代初期まで、一族の族長や長老らが住宅として利用していました。 -
桃とコウモリ。
桃は長寿、コウモリは幸運の象徴。 -
いまだに宿舎っぽい雰囲気があります。
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こちら側の上にも部屋があります。
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文昌と武曲の神位がありました。現在でも新学期の開始時や旧暦の新年には、親が子供を連れて学業成就を願って、お参りに来るそうです。
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さらに細い通路を通って行くと、
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ゲートがあり、これをくぐると、
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學校があります。
○ 友恭學校
友恭學校は鄧氏宗祠の裏手に位置しています。1924年以前に建てられたと言われ、地元の子供たちの学習の場でした。名前は鄧氏宗祠の「友恭堂」から取られました。
日本統治時代(1941年~1945年)以前は、友恭學校は中国伝統の科目のほかに、そろばん、書簡の書き方、体育などの現代科目も教えていました。日本統治時代には授業は行われていませんでしたが、1945年に再び授業が再開されました。
1940年代末、学校は国語科を設置、さらに音楽科も設置されました。学校は1952年政府補助の対象となり、その後学生が増加したため、鄧氏宗祠の一部と禮賓樓が教室や教師宿舎として使われました。
1962年、学校は18クラスあり、学生数も約750名に達し、この地域屈指の名門校となりました。部屋数が足りなくなったため、募金を募って新校舎を建てることになり、1964年、友恭學校は厦村郷新生村(旧 西山村)の新校舎に移転しました。 -
奥に見えているのは、先ほどの氏宗祠です。
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アーチとランタン。
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小さなお部屋がひとつ。
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學校の写真が飾られていました。
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屏山の聚星楼っぽいですが厦村にもこういう塔があったのでしょうか?
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お隣のお部屋はホール。
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そろばんがありました。大きいので教師が使っていたものかもしれません。
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なぜか一角につぼが。
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友恭學校の卒業証書
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成績表。
史料とはいえ、成績がこんな風にさらされると自分だったらちょっと嫌だなぁ…(^^;) -
まるーい入口。扉はありません。
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イチオシ
左側が氏宗祠、右側が禮賓樓。
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氏宗祠の壁
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村さんぽスタート。
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さっき気になったこのゲートを通って中へ。
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またまたアーチがありました。
この村も以前は壁でかこまれた圍村だったのではないかと思います。 -
イチオシ
お堂がありました。
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お堂の前には道があり(つまりお堂の前で2本の道がぶつかるT字路)、ずーーっと行った先にもゲートが見えました。
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短い道ですが、古い建物が残っています。
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イチオシ
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イチオシ
さっき入ってきたいったんゲートと反対側のゲートから出てみました。
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そして、先ほどの友恭學校を見に行きました。さっきは氏宗祠から行きましたが、こちらが正門でしょうか?
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再びゲートの中に戻り…もう一つのゲートへ。
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田厦路側に面したゲート。内側から。
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イチオシ
田厦路側のゲート。外から。
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鄧氏宗祠の並びの建物たち。
厦村市散策はここらへんにして…次の村へ!!
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