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 昨日から東京国立博物館(東博)の本館特別5室で「滋賀櫟野寺(らくやじ)大観音とみほとけたち」と題する特別展「平安の秘仏」が開催されている。ようやく涼しくはなったのだが、毎日雨(秋の長雨)で傘を差して出かけたので本館の傘立てを利用することにし、本館特別5室を目指した。<br /> 本館特別5室には中二階に回廊が見える。余りの高さの十一面観音菩薩坐像はあの中二階の回廊から見たならば、おそらくはもっと違った印象を受けるであろう。しかし、観音さまと目線の高さが合うような展示にはなってはいなかった。<br /> 滋賀県は真ん中に琵琶湖があり、饅頭の皮のような県などと馬鹿にしていると大変なことになる。どこでも国宝巡りができる土地柄である。そんな国宝だらけの滋賀県の中で、これほどの十一面観音菩薩坐像が国宝に指定されてはいなかったのが不思議に思えた。櫟野寺の住職が国宝指定を嫌がっているのだろうか?<br /> 櫟野寺の20体にも及ぶ重要文化財の仏像が並び、それらは平安仏で良いのだが、金箔に輝く地蔵菩薩坐像が「平安時代・文治3年(1187)銘」としていることが引っかかる。東博では源頼朝が全国に守護・地頭を配した文治元年(1185年)ではなく、頼朝が征夷大将軍に任ぜられた建久3年(1192年)をかたくなに鎌倉時代の始まりとしている。しかし、東博は文部科学省下にあるのだから、教科書検定に合格する年を鎌倉時代の始まりとすべきであろう。<br /> かつて、「武家の古都・鎌倉」が世界遺産に落選(正確には推薦辞退)したときに、鎌倉市のホームページ(http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/shisei/gaiyou/intro.html)には、鎌倉市の歴史を「12世紀末、源頼朝は源平の合戦で平氏を滅ぼし,征夷大将軍となり鎌倉に幕府を開きました。初の武士による政治がこの時から始まり、19世紀中ごろまで続く武家政権の基盤が作られました。」とし、鎌倉時代の始まりを全国に守護・地頭を置いた文治元年(1185年)からではなく、頼朝が征夷大将軍に任じられた建久3年(1192年)とする表現になっている。これでは小学生の教科書にある鎌倉時代の始まりとは反故をきたすことになる。あるいは、鎌倉時代の始まりを知らなかったので、「武家の古都・鎌倉」が世界遺産に落選する必然があったことを万人にも納得させる結果となっているとも言えようか。これについては私からメールで鎌倉市に疑問を投げかけ、今では「鎌倉は、日本における古代から中世への転換期において源頼朝をリーダーとする武家が、日本で初めて武家政権を樹立し、それまでの貴族支配に替わる武家の支配を築いた場所です。幕府を開いた頼朝は、幕府の組織を整えるとともに都市づくりを開始しました。都市づくりがほぼ完成した1230年ころになると、幕府は全盛期を迎え、鎌倉は政治、軍事、外交、文化などあらゆる面で日本の中心になりました。」と書き改められている。<br /> 東博がかたくなに鎌倉時代の始まりを頼朝が征夷大将軍に任ぜられた建久3年(1192年)に固執する理由が理解できない。<br />(表紙写真は特別展「平安の秘仏」看板)

特別展「平安の秘仏」

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2016/09/14 - 2016/09/14

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 昨日から東京国立博物館(東博)の本館特別5室で「滋賀櫟野寺(らくやじ)大観音とみほとけたち」と題する特別展「平安の秘仏」が開催されている。ようやく涼しくはなったのだが、毎日雨(秋の長雨)で傘を差して出かけたので本館の傘立てを利用することにし、本館特別5室を目指した。
 本館特別5室には中二階に回廊が見える。余りの高さの十一面観音菩薩坐像はあの中二階の回廊から見たならば、おそらくはもっと違った印象を受けるであろう。しかし、観音さまと目線の高さが合うような展示にはなってはいなかった。
 滋賀県は真ん中に琵琶湖があり、饅頭の皮のような県などと馬鹿にしていると大変なことになる。どこでも国宝巡りができる土地柄である。そんな国宝だらけの滋賀県の中で、これほどの十一面観音菩薩坐像が国宝に指定されてはいなかったのが不思議に思えた。櫟野寺の住職が国宝指定を嫌がっているのだろうか?
 櫟野寺の20体にも及ぶ重要文化財の仏像が並び、それらは平安仏で良いのだが、金箔に輝く地蔵菩薩坐像が「平安時代・文治3年(1187)銘」としていることが引っかかる。東博では源頼朝が全国に守護・地頭を配した文治元年(1185年)ではなく、頼朝が征夷大将軍に任ぜられた建久3年(1192年)をかたくなに鎌倉時代の始まりとしている。しかし、東博は文部科学省下にあるのだから、教科書検定に合格する年を鎌倉時代の始まりとすべきであろう。
 かつて、「武家の古都・鎌倉」が世界遺産に落選(正確には推薦辞退)したときに、鎌倉市のホームページ(http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/shisei/gaiyou/intro.html)には、鎌倉市の歴史を「12世紀末、源頼朝は源平の合戦で平氏を滅ぼし,征夷大将軍となり鎌倉に幕府を開きました。初の武士による政治がこの時から始まり、19世紀中ごろまで続く武家政権の基盤が作られました。」とし、鎌倉時代の始まりを全国に守護・地頭を置いた文治元年(1185年)からではなく、頼朝が征夷大将軍に任じられた建久3年(1192年)とする表現になっている。これでは小学生の教科書にある鎌倉時代の始まりとは反故をきたすことになる。あるいは、鎌倉時代の始まりを知らなかったので、「武家の古都・鎌倉」が世界遺産に落選する必然があったことを万人にも納得させる結果となっているとも言えようか。これについては私からメールで鎌倉市に疑問を投げかけ、今では「鎌倉は、日本における古代から中世への転換期において源頼朝をリーダーとする武家が、日本で初めて武家政権を樹立し、それまでの貴族支配に替わる武家の支配を築いた場所です。幕府を開いた頼朝は、幕府の組織を整えるとともに都市づくりを開始しました。都市づくりがほぼ完成した1230年ころになると、幕府は全盛期を迎え、鎌倉は政治、軍事、外交、文化などあらゆる面で日本の中心になりました。」と書き改められている。
 東博がかたくなに鎌倉時代の始まりを頼朝が征夷大将軍に任ぜられた建久3年(1192年)に固執する理由が理解できない。
(表紙写真は特別展「平安の秘仏」看板)

  • 東京国立博物館(東博)。

    東京国立博物館(東博)。

  • 特別展「平安の秘仏」看板。

    特別展「平安の秘仏」看板。

  • 東博本館。

    東博本館。

  • 東博本館に掛かる垂れ幕。

    東博本館に掛かる垂れ幕。

  • 東博のゆるキャラ。

    東博のゆるキャラ。

  • 池の睡蓮。

    池の睡蓮。

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