2016/09/09 - 2016/09/09
3位(同エリア465件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記736冊
- クチコミ35306件
- Q&A回答420件
- 5,368,248アクセス
- フォロワー666人
大洗といえば大洗海岸。海水浴のメッカというイメージしかないし、初めての大洗ではちょっとしたリゾート気分でも味わおうかと思ったのですが、こんなところにも幕末と明治の博物館とか幕末の匂いのする施設があって、意外や意外。ただ、聞いてみるとこれは地元にゆかりのあるものではなく、たまたま大洗町が展示の施設を提供するという縁があっただけのよう。しかし、展示を見るとやっぱりこれがまた複雑な思いになってくる。
というのも、尊王攘夷が水戸学から出て、維新の志士たちに大きく影響を与えたことや実子、慶喜が徳川幕府の最後の将軍となった徳川斉昭のカリスマ性やその斉昭の謹慎に不満を持つ水戸浪士による桜田門外の変の実行など、断片的に知られることはあっても、水戸藩と明治維新との結びつきはイマイチ素直に理解できないのが一般的な受け止めだと思います。考えてみれば、水戸藩っていったい何だったの?ということですよね。
まず、事実として、明治維新は最終的には薩長が切り開いたものではあるのですが、そのフロントランナーはやはり水戸藩。鎖国か開国か。動きが行き詰った時、それを打開してくれるのは揺るぎない尊皇思想を持ち、幕府への影響力もある徳川斉昭のいる御三家の水戸藩であるという期待は薩長にも大きかったんですね。それがなぜ、泡沫のように消えてしまったのか。
それは、水戸藩の激しい内部抗争。徳川斉昭の家督相続を主導した一派は天狗党と呼ばれ、水戸学の大家、藤田東湖など尊王攘夷の過激な思想を掲げた集団。一方で、これと距離を置き、幕府よりの立場を取るのが市川三左衛門を首領とする諸生党。当初は実権を握っていた天狗党ですが、安政の大獄による徳川斉昭の謹慎から桜田門外の変を引き起こすに至って、実権は諸生党へ。禁門の変も起きた1864年の天狗党の乱では、幕府の応援を受けた諸生党が藤田小四郎、武田耕雲斎らの天狗党を駆逐。その家族までも殺戮するという残虐行為を行います。水戸を追われた天狗党は慶喜を頼り、慶喜のいる京都に向かいますが、遂に加賀藩に投降。その後、罪人として厳しい処断を下されます。ただ、ことはこれで終わりではなく、その後、戊辰戦争が起きると天狗党の生き残りは、京都で活動をしていた天狗党・激派の本圀寺党と呼ばれる集団に合流。新政府軍の力も借りて、諸生党への報復を開始するのです。この報復も家族を含めた残虐なものでした。(ちなみに、本圀寺党の史跡は円山公園の奥、長楽寺にあって、けっこう生々しい雰囲気が残っています)こうして、水戸藩には有為の人物はことごとく死んでしまうという悲惨な状況になったわけです。
ちょっとイントロが長くなりましたが、こうしたところを基礎知識にして、ご案内して行きたいと思いますので、よろしくお願いします。
PR
-
水戸駅に到着して。
まずは、納豆記念碑をチェック。水戸駅南口を出たペデストリアンデッキの広場の一角という何もない広いスペースの端っこに建っていますが、知らないと誰も気が付かないでしょう。納豆の部分は金色の粒々。グロテスクな感じもしなくはないですが、宇都宮の餃子像もこんなもん。やっぱりじっくり眺めるものではありません。 -
水戸からそのままホテルのバスで大洗に移動します。
今夜の宿の大洗シーサイドホテルは、神磯鳥居のほど近くの海岸端に建つ大きなホテル。6階の部屋に泊まりましたが、部屋からは窓の外に太平洋の大海原が正面に見えて、久しぶりに胸がすくような気持ちがしました。団体で利用しましたが、宴会場も広いし、二次会のカラオケスナックもあるし、使い勝手のいいホテルです。 -
さて、大洗は海水浴で有名ですが、北側の大洗海水浴場や南側のサンビーチ以外は岩場も多くて、その代表的な景色はこの神磯鳥居の周辺でしょう。岩場の方には歩いて行けるし、朝の日の出の風景がウリになっています。朝焼けはホテルの窓から拝みましたが、正面から日が昇るので、湘南や三浦半島の日の出とはちょっと感じが違うように思います。
この神磯鳥居は、大洗磯前神社の正面の階段を降りて通りを越えた先の海岸の岩場の上。波をざぶざぶ受けるような場所です。朝日がこの鳥居の先の水平線から昇ってくるのが一番の見どころだそうで、それを拝めるようにということでしょう。手前には木で作った舞台のような見晴らし台もありました。 -
今日は天気が回復して、これはいいですね。海岸線の自動車道を進みます。
-
大洗の海水浴場だとサンビーチということでしょうが、大洗磯前神社から大洗の水族館に至る北側にも大洗海水浴場という砂浜があります。ただ、市街からは少し離れるので、車で行く人じゃないとちょっと不便なような気がします。
-
そこから戻って。
大洗磯前神社は、1000年以上の歴史を持ち、大国主命を祀る神社。 -
ところで、鹿島神宮は武甕槌大神(タケミカヅチ)を祀りますが、これは天上界の神様。天照大神の命によって大国主命に国譲りを説得した神様。香取神宮の祭神、経津主神(フツヌシ)も同じ。この功績で、鹿島神宮と香取神宮は関東の地にあって珍しく神宮という格を得ているんですね。
-
イチオシ
これに対して大国主命は国譲りを迫られた地上界の神様。さらには大洗地区では天上界の神様を祭る神社は一つもないのだそう。
-
これらから推測するに、宮司さんからは鹿島辺りにいた豪族と大洗にいた豪族が互いに勢力を競い合っていたのではないかというような話もうかがいました。
-
大洗って、どういう歴史のある土地なんですか?というところから始まったんですが、とっても興味深いお話です。
-
なお、裏に回ってこれが本殿。藁ぶき屋根が個性的で、これも一見の価値がありますね。
-
大洗海洋博物館は、大洗磯前神社が運営している施設。土日は係りの人がいますが、平日は閉まっています。ただ、神社の受付に声を掛けると鍵を開けてくれるので、私もそうやって中に入りました。
-
漁師さんの使っていた道具類や鯨の実物大画に最後は生殖器のホルマリン漬けまで。展示品はなんということはないんですが、宮司さんが大洗磯前神社や大洗の歴史などを語ってくれて、むしろ、その方が興味深い内容だったと思います。
-
少し歩いて、こちらは護国寺。もう、大洗町幕末と明治の博物館まで来た感じの場所にある日蓮宗の寺。
-
三重塔が建っていて、入口には寺の歴史の説明板。昭和維新とありましたが、この寺が中心となって起こした昭和7年の事件について紹介されていました。同じく昭和7年の5.15事件や昭和11年の2.26事件がこれに続いたということなので、内容は推して知るべし。あまり気持ちのいいものではないような気がします。
-
さて、大洗町幕末と明治の博物館です。
大洗にあること自体がなにか意外な感じもしなくはないのですが。。
元々は宮内大臣を歴任した田中光顕のコレクションが始まり。この田中光顕は、土佐藩の出身で、武市半平太の土佐勤王党に参加。吉田東洋の暗殺事件にも関わりがあったとか、長州征討や戊辰戦争で幕府軍と戦い、西南戦争などにも従軍した人物。後に維新の志士たちの遺品などを熱心に収集しました。大洗町はその展示の場所を提供し、ここにこの施設があるという経緯です。 -
敷地内には藤田東湖の像。徳川斉昭の懐刀で、水戸学の大家としての立場からも、全国の志士に大きな影響を与えた人物。幕末の尊王攘夷の思想は水戸学から出ていますから、そういう意味では維新の思想的リーダーの一人だったと言えないことはないんですよね。
しかし、私としては全く評価できない人でしかない。攘夷などできるのかと問われた東湖はやる気になれば刀を抜いてすぐにケリはつけられるといったことを語っていて、これをもってしてもいかに当時の世界情勢が見えていなかったのかがよく分かります。こうあるべきという観念を多くの人に納得させる人間力があったことは認めますが、基本的な知識や情報が欠けていたのでは話になりません。
そういう人物が水戸藩でなぜ力を持ったのかは、斉昭の庇護が第一ですが、水戸藩が江戸よりもさらに奥まった場所にあって、黒船の脅威をイマイチ感じなくてすむ場所にあったことも一因です。ただ、それ以上に問題を酷くしたのは私は水戸学という儒教の悪い面なのだろうと思っています。
つまり、儒教は正しいか正しくないかの視点を極めていきます。できるかできないかではなくて、正しいか正しくないか。攘夷はできるかできないかではなくて、正しいか正しくないかで考えていくんですね。そして、観念の世界だし、斉昭は必ずしも明確な考えを持っていたわけではないので、斉昭の考える攘夷は絶対だと考えたり、そういう覚悟を持って難局に向かって行けという意味だとか解釈はざまざまに分かれていきます。そして、それは観念論ですからどこまで行っても折り合うことはない。なので、正しくない者に対しては加虐な仕打ちもいとわない非情な行動にも現れてしまうのです。
日本は大陸から様々な文化を受け入れましたが、基本的には儒教は受け入れなかった珍しい国です。聖徳太子は仏教を取りいれたのですが、儒教や科挙は取りいれなかったんですね。
水戸藩の悲劇は儒教の悪い面。そして、こうした観念論の世界は明治維新とは対極の頑なな因習でしかない。水戸藩が維新のフロントランナーだったはずなのに、後世、そういう評価を受けていないのは当然といえば当然です。私にとっては、その象徴が藤田東湖。やりきれない思いでいっぱいになってしまうんです。 -
イチオシ
ここまでではないかもしれませんが、水戸藩というか、たぶん、その後の茨城県の地元の人にとって、幕末や明治維新は極めてナイーブな問題を抱えているのは明らか。「討幕に利用された尊王攘夷」というコーナーがありましたが、まさしくその通り。尊王攘夷と言っても水戸藩は徳川幕府を援けてこれを行うのであって、討幕という考え方は微塵もなかったはずですから。
-
ただ、水戸ではなくて、大洗にこの施設があったことで、少し距離を置いているのは幸いかもしれません。
明治以降の天皇の御物もいろいろあるし、武市半平太の絵まである。展示物も素晴らしいし、桜田門外の変が幕府の瓦解を早める効果を生んだのは水戸浪士にとっては皮肉な結果だったといった解説も過去と真摯に向き合う姿勢の表れ。とても共感を持ちました。 -
大洗町幕末と明治の博物館を出て。
年宝菓子店は、大洗町役場のほど近く。看板商品は飴です。 -
一方で、大洗は今、ガールズ&パンツアーというアニメで町おこしの真っ最中。このお店も、登場人物の一人がこの店のマスコットになっているのだそう。キャラクターグッズや関連した飾りつけもあって、意外な活気がありました。
-
けっこうな種類の飴ですが、一番人気の梅の飴をいただきました。これは水戸っぽいですよね。
いずれにしても、幕末のことを考えていたところから店内でアニメのキャラに囲まれて、ちょっとほっとしたような気持ち。さっきの施設はありますが、海水浴の街にはアニメの方が街興しとしては似合っていますよね。
それに、たぶん、水戸藩のことは茨城県民にとっては自らのアイデンティティを感じたい自慢や誇りにはなっていない。考えすぎかもしれませんが、このアニメもなにか別のものに頼りたいという潜在的な意識が背景にあったとしたら。。
そして、もっと言えば、茨城県の魅力度の問題も。魅力度をアップするなら、茨城県を知ってもらうことなんですが、その核心になる水戸藩の歴史がむしろ積極的に語りたくないものであったとしたら、どうでしょう。水戸光圀や偕楽園から講道館、斉昭、水戸学、天狗党。。だんだん、核心に近づくにしたがってマイナスのイメージになっていくとしたら。。意外に根が深い問題なのかもしれません。 -
さて、そこから、かねふくめんたいパーク大洗へ。
海岸通り沿いにある大きな敷地を持つ人気の施設ですが、けっこう歩きます。 -
商品である辛しめんたいこの販売所に裏手は加工場。
-
ここから入って、
-
その加工場をガラス越しに見学するコースがあるんです。
-
まるまると太った真っ赤な辛しめんたいを、作業着に身を包んだ大勢のおばちゃんたちがきびきびと捌いて行く。なんということはないのですが、やっぱり実際にそれを目の当たりにすると、ちょっとした感動もないことはない。あるようでなかった施設です。
-
もうひとつ気になっていたかあちゃんの店もこの辺り。
-
ここですね。
-
イチオシ
刺身と煮魚のとうちゃん御膳1300円をいただきました。かあちゃん御膳は煮魚がかき揚げになっていて、この二つがここの看板メニューです。アカウオの煮魚でしたが、脂も乗っておいしいですね。刺身もキラキラ光っていて新鮮さを感じます。期待通りの手堅い海鮮定食でした。なお、水かお茶はセルフサービスになってますが、他はほかと一緒です。
-
イチオシ
またまた、海岸の道を歩いて、大洗マリンタワーへ。
こちらは、見ての通り大洗のランドマーク。サンビーチの方からでもよく見えます。三角柱の形に全面ガラス張りって、福岡タワーと同じ。ちょっとこういうデザインが流行った時期があるのかもしれません。高さは55mなのでさほどでもないはずですが、聞くとやはりエレベータはシースルー。 -
高いところが苦手なので、これは無理。福岡タワーのことを思い出してしまって、断念しました。
-
大洗は海水浴場で有名ですが、アウトレットもあるよということで訪ねました。
-
二階建ての建物が並行して長く続く。その一階も二階もお店が並んだモールになっているという構造は、
-
かなり規模は違いますが、ハワイのアラモアナショッピングセンターを彷彿とさせるような雰囲気。
-
サーフボードのお店なんかもあって、確かに海水浴と一緒に楽しめる施設だと思います。
-
大洗わくわく科学館は、そこからサンビーチに向かう途中。
-
理科の実験を子供たちに楽しく見せて、科学に興味を持ってもらおうという施設。
-
囲いの中で竜巻を起こしたり、音の伝わり方を確かめるや水の抵抗を確認するといった内容はまあ分からなくはない。ただ、この施設が大洗と関係があるかと言われればそうでもないとは思います。
-
大洗海浜公園は、サンビーチの陸側に整備された公園。
-
緑の囲まれた公園には、海水浴客のためのトイレや体に着いた砂を流す施設なども完備されています。ただ、この公園からサンビーチは、駐車場やゆるい防波堤を越えて行くので、けっこう離れています。それだけたくさんの車が駐車できるということなんでしょうが、もしかしたらあまりない距離感かなと思います。
-
で、ここがいよいよ大洗サンビーチ海水浴場。大洗駅からだとここが一番近い海水浴場になるでしょう。
-
イチオシ
駐車場からは緩やかな堤防を越えて行きますが、海まではけっこう距離があります。
-
沖合いに堤防もあるし、砂浜も遠浅っぽい感じ。季節ではなかったので、海岸を自動車が走ったりしていました。スケールが大きなビーチです。
-
さて、帰りは鹿島臨海鉄道大洗鹿島線。水戸駅から大洗経由、鹿島神宮までを結ぶ路線ですが、これで大洗から水戸に向かいます。
ローカル線ですが、まるで高架のように一段高い場所を走るので、周囲がよく見渡せる。稲が実りつつある田園風景を見下ろしながら走って、意外な気持ち良さでした。
水戸から、この路線に乗って大洗に来れば、気分が変わること間違いなし。水戸と大洗には、いい距離感があるような気がしました。そして、その距離感があるがゆえに、幕末へのいろんな考えも深刻さが緩和されたようなところがある。水戸市内だったら、ちょっと気分が重くなり過ぎていたかもしれません。大洗と幕末の組み合わせは意外なようでしたが、結局はその程よさがあったようにも思えてきました。
以上で、大洗はおしまいです。お疲れ様でした。
なお、ちょっと蛇足ですが、韓国も儒教のお国柄があって、興味のある方は参考まで。
http://4travel.jp/travelogue/11088598
http://4travel.jp/travelogue/11088599
http://4travel.jp/travelogue/11088602
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- duc teruさん 2017/04/04 19:10:41
- ご訪問ご投票ありがとうございました。
- 水戸藩に関するご高説、まことに同感です。
水戸藩の悲惨を美学のように取り扱うのに出会う度に違和感を怯えます。
いい勉強をさせていただきました。
今回はコメントのない、下手な写真の羅列にもご投票いただき、感激しております
重ねてお礼申し上げます、
この後このChaudenayの村歩きもコメントは省いて進めるつもりです、ブルゴーニュの素朴なおしゃれが伝わればと思っています。
またお邪魔します。
duc teru
- たびたびさん からの返信 2017/04/05 14:13:32
- RE: ご訪問ご投票ありがとうございました。
- そうですね。まあ、いろんな人がいますので。。地元の人に失礼があったら、ごめんなさいという感じです。
以前、日光の寺社も華美なだけでイマイチ感動がないようなことを書いたら、ちょっとしたお叱りを受けたことがありました。最近はもしかしたら戦いのない平和な時代への願いの現れなのかなあとか考え直したりしていますが、どっちにしても、評価はいろんな批判に鍛えられながら確立していくもの。その過程がまた大事なことだろうと思います。
たびたび
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
大洗(茨城) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
45