橿原旅行記(ブログ) 一覧に戻る
1.訪問の経緯<br />妻が知人宅を訪問するために同行したものであり、今井町を訪問するのは初めてである。<br />この今井町に来る前見て欲しいCMがある<br />以下の大和ハウスのCMである。<br />https://www.daiwahouse.co.jp/ad/cm/nara.html<br />このCMは単に新井町の江戸期の町並みを伝えているだけでなく、新井町の住民の日常、生き方を伝えているように私には感ずる。<br />2.寺内町とは<br />今井町は寺内町と呼ばれることがある。<br />寺内町(じないちょう、じないまち)とは、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、道場(御坊)を中心に形成された自治集落のことであり、戦国時代に作られた集落には濠や土塁で囲み、防御的性格を持ち、信者、商工業者などが集住した。<br />今井町(奈良県橿原市)では 称念寺が中心となっている。、<br />近隣では畝傍寺内町(現奈良県橿原市御坊町)があり、ここでは畝傍御坊信光寺が中心となっている。<br />3.私が感じた今井町の不思議<br />①神社への信仰<br />今西家を訪問した時、神棚に飾ってあったのは熊野本宮のお札。<br />ここから最も近い大きな神社は、橿原神宮である。何故熊野本宮なのであろうか。<br />この今井町からは吉野又は十津川、大峯奥駈道を経由して、熊野本宮に行くことができる。いわゆる熊野古道である。<br />理由は聞いてないが、私の推定理由は、<br />aこの旧家は天皇家に列なる家系であることから、先祖の例に倣って、熊野古道を経て熊野本宮に参拝しているのだろうか。<br />b奈良県在住の男の知人から聞いた話では、大峯奥駈道の途中に大峰山 表行場のひとつ「西の覗(にしののぞき)」という断崖があり、断崖の上で父親が綱で息子の体を支え、息子は頭から逆さ吊りとなり、谷底をのぞき込むという成人への通過儀礼があるそうである。その後、熊野本宮に至り参拝する。<br />この旧家の主人も成人となる儀礼の思い出から又は綱を支えてくれた父親への思い出から、今でも熊野本宮に参拝しているのではないだろうか。<br />②菩提寺と墓<br />橿原市立今井町並み交流センターでは江戸時代の町並み模型が展示されている。ここで気が付いたのは墓地がないことである。通常は寺の周辺又は集落の畑の中に墓地が存在する。交流センターの説明員の方にこの点を質問したが明確な答えは得られなかった。<br />町の周辺には環濠があることから、戦国時代外敵から町を守るために環濠を作り、その外側に墓地を作ったのではないだろうか。<br />③町が発達した政治的背景と経済的背景<br />この今井町が奈良の片隅にありながらなぜ繁栄したのであろうか。現在の大和八木が鉄道交通の要衝であるように、古代、奈良盆地の中央を東西に貫く横断道、横大路と南北に貫く下つ道が交差する位置にあり、物流上便利な位置にある。<br />ここ今井町は消費地である奈良へ、瀬戸内海の堺から、伊勢湾から、紀伊半島の北側からそれぞれの地域の特産物の中継地点になっていたのではないだろうか。<br />戦国時代浄土真宗が全国に布教され、既存の仏教と信長などの戦国大名に弾圧されたことから、浄土真宗の信者、商工業者が信教の自由を求めて、寺内町建設を行った。<br />戦国時代、江戸時代を通して、寺院を中心した広範な自治が許され、商工業者は自由な活動と富の蓄積が可能となったのではないだろうか。<br />④銀兌換紙幣の発行<br />橿原市立今井町並み交流センターには銀兌換紙幣のレプリカの展示がある。<br />大学院在学中に米国における各地の紙幣発行の歴史について、ゼミでレポーターの報告を聞いたことがあるが、米国より100年以上も前に日本において銀兌換紙幣が発行されていたのが驚きである。<br />銀兌換紙幣の本物は日銀の貨幣博物館にあるのでは思う。この紙幣を発行した商家は発行額に応じた銀準備を持ち、信用力も高かったと思われる。<br />⑤街路の設計<br />東西南北に道路が設置されている。橿原市立今井町並み交流センターではこの碁盤の目のような街路と建物の配置が、模型により明確に理解できる。<br />寺内町は建設当初から都市計画が存在したのではないだろうか。他の寺内町でも同様の街路の設計がみられることから設計については浄土真宗の僧侶が関与したのではないだろうか。<br />⑥建物の耐火設計<br />住民から聞いた話では最近火事があり、外側の土壁を残して焼け落ちたそうである。隣家への延焼はなかったそうである。良くできた耐火設計である。<br />⑦建物の吸排気<br />二つの建物において屋根に排気設備「煙出し口」を確認した。すべての建物にあるわけではないので、ない建物はどのように排気していたのであろうか。<br />⑥排水路の設計<br />撮影した写真のGPSデータによると、街路は東が高く西が低く、中央の街路が高く南北端の街路が低くなっている。寺内町の雨水は周辺の環濠に排水され、河川へ放流されていたのではないだろうか。<br />⑦今井町の衰退原因<br />江戸期において繁栄していた町が何故衰退したのであろうか。その原因を橿原市立今井町並み交流センターの方に聞いたところ明解な答えは得られなかった。<br />⑦町おこし<br />私は街並みを保存することの目的は、町おこしであるとの仮説を持っている。例えばここと同様に町並みが保存されている飛騨高山は全世界から毎年数十万の観光客を呼び寄せ、観光業で潤っている。<br />宿泊したビジネスホテル河合で最近の景気を聞いてみた。奥さんの話では外国人の問い合わせが多くなっているとのことである。ご主人の話ではアベノミックスすなわち工事の増加により、工事業者の宿泊が増えているようである。<br />何せ、今井町周辺では宿泊設備が少ない。<br />今井町の中には土産物品売り場がない。<br />カフェがない。<br />飲食店も少ない。<br />飲料自動販売機も少ない。<br />夜になると人通りがない。<br />昼間も人通りが少ない。<br />観光に来てもお金を使う場所がない。<br />非常に不思議な町である。<br />その理由を今井町住民から聞いた話では、<br />「今井町を観光地化したくないと思っている人が多いように思います。朝ドラのロケ地になっても、それを宣伝材料にすることもあまりありません。今井町住民は、誇り高いように感じます。店や宿泊施設を作って観光客を集めたいというより、今の今井町を好んで来てくれる人々を歓迎するという雰囲気です。観光地化して自分たちの静かで落ち着いた生活を乱されたくない人々が殆どだと思います。観光バスが次々に来て、短時間で観光してお土産を買いすぐに去ってしまうような人々には、来て欲しくありません。多分、沢山の観光客が来る事を望んでいる人はあまりいないと思います。」とのことである。<br />経済成長を追い求め、金儲けに熱心な日本の中において、ここ今井町は静かな別世界である。

不思議が一杯の町 江戸時代の町並みが保存されている町 静かに町歩きを楽しむ町 今井町 

16いいね!

2015/10/27 - 2015/10/27

229位(同エリア524件中)

0

67

kirstiNorge

kirstiNorgeさん

1.訪問の経緯
妻が知人宅を訪問するために同行したものであり、今井町を訪問するのは初めてである。
この今井町に来る前見て欲しいCMがある
以下の大和ハウスのCMである。
https://www.daiwahouse.co.jp/ad/cm/nara.html
このCMは単に新井町の江戸期の町並みを伝えているだけでなく、新井町の住民の日常、生き方を伝えているように私には感ずる。
2.寺内町とは
今井町は寺内町と呼ばれることがある。
寺内町(じないちょう、じないまち)とは、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、道場(御坊)を中心に形成された自治集落のことであり、戦国時代に作られた集落には濠や土塁で囲み、防御的性格を持ち、信者、商工業者などが集住した。
今井町(奈良県橿原市)では 称念寺が中心となっている。、
近隣では畝傍寺内町(現奈良県橿原市御坊町)があり、ここでは畝傍御坊信光寺が中心となっている。
3.私が感じた今井町の不思議
①神社への信仰
今西家を訪問した時、神棚に飾ってあったのは熊野本宮のお札。
ここから最も近い大きな神社は、橿原神宮である。何故熊野本宮なのであろうか。
この今井町からは吉野又は十津川、大峯奥駈道を経由して、熊野本宮に行くことができる。いわゆる熊野古道である。
理由は聞いてないが、私の推定理由は、
aこの旧家は天皇家に列なる家系であることから、先祖の例に倣って、熊野古道を経て熊野本宮に参拝しているのだろうか。
b奈良県在住の男の知人から聞いた話では、大峯奥駈道の途中に大峰山 表行場のひとつ「西の覗(にしののぞき)」という断崖があり、断崖の上で父親が綱で息子の体を支え、息子は頭から逆さ吊りとなり、谷底をのぞき込むという成人への通過儀礼があるそうである。その後、熊野本宮に至り参拝する。
この旧家の主人も成人となる儀礼の思い出から又は綱を支えてくれた父親への思い出から、今でも熊野本宮に参拝しているのではないだろうか。
②菩提寺と墓
橿原市立今井町並み交流センターでは江戸時代の町並み模型が展示されている。ここで気が付いたのは墓地がないことである。通常は寺の周辺又は集落の畑の中に墓地が存在する。交流センターの説明員の方にこの点を質問したが明確な答えは得られなかった。
町の周辺には環濠があることから、戦国時代外敵から町を守るために環濠を作り、その外側に墓地を作ったのではないだろうか。
③町が発達した政治的背景と経済的背景
この今井町が奈良の片隅にありながらなぜ繁栄したのであろうか。現在の大和八木が鉄道交通の要衝であるように、古代、奈良盆地の中央を東西に貫く横断道、横大路と南北に貫く下つ道が交差する位置にあり、物流上便利な位置にある。
ここ今井町は消費地である奈良へ、瀬戸内海の堺から、伊勢湾から、紀伊半島の北側からそれぞれの地域の特産物の中継地点になっていたのではないだろうか。
戦国時代浄土真宗が全国に布教され、既存の仏教と信長などの戦国大名に弾圧されたことから、浄土真宗の信者、商工業者が信教の自由を求めて、寺内町建設を行った。
戦国時代、江戸時代を通して、寺院を中心した広範な自治が許され、商工業者は自由な活動と富の蓄積が可能となったのではないだろうか。
④銀兌換紙幣の発行
橿原市立今井町並み交流センターには銀兌換紙幣のレプリカの展示がある。
大学院在学中に米国における各地の紙幣発行の歴史について、ゼミでレポーターの報告を聞いたことがあるが、米国より100年以上も前に日本において銀兌換紙幣が発行されていたのが驚きである。
銀兌換紙幣の本物は日銀の貨幣博物館にあるのでは思う。この紙幣を発行した商家は発行額に応じた銀準備を持ち、信用力も高かったと思われる。
⑤街路の設計
東西南北に道路が設置されている。橿原市立今井町並み交流センターではこの碁盤の目のような街路と建物の配置が、模型により明確に理解できる。
寺内町は建設当初から都市計画が存在したのではないだろうか。他の寺内町でも同様の街路の設計がみられることから設計については浄土真宗の僧侶が関与したのではないだろうか。
⑥建物の耐火設計
住民から聞いた話では最近火事があり、外側の土壁を残して焼け落ちたそうである。隣家への延焼はなかったそうである。良くできた耐火設計である。
⑦建物の吸排気
二つの建物において屋根に排気設備「煙出し口」を確認した。すべての建物にあるわけではないので、ない建物はどのように排気していたのであろうか。
⑥排水路の設計
撮影した写真のGPSデータによると、街路は東が高く西が低く、中央の街路が高く南北端の街路が低くなっている。寺内町の雨水は周辺の環濠に排水され、河川へ放流されていたのではないだろうか。
⑦今井町の衰退原因
江戸期において繁栄していた町が何故衰退したのであろうか。その原因を橿原市立今井町並み交流センターの方に聞いたところ明解な答えは得られなかった。
⑦町おこし
私は街並みを保存することの目的は、町おこしであるとの仮説を持っている。例えばここと同様に町並みが保存されている飛騨高山は全世界から毎年数十万の観光客を呼び寄せ、観光業で潤っている。
宿泊したビジネスホテル河合で最近の景気を聞いてみた。奥さんの話では外国人の問い合わせが多くなっているとのことである。ご主人の話ではアベノミックスすなわち工事の増加により、工事業者の宿泊が増えているようである。
何せ、今井町周辺では宿泊設備が少ない。
今井町の中には土産物品売り場がない。
カフェがない。
飲食店も少ない。
飲料自動販売機も少ない。
夜になると人通りがない。
昼間も人通りが少ない。
観光に来てもお金を使う場所がない。
非常に不思議な町である。
その理由を今井町住民から聞いた話では、
「今井町を観光地化したくないと思っている人が多いように思います。朝ドラのロケ地になっても、それを宣伝材料にすることもあまりありません。今井町住民は、誇り高いように感じます。店や宿泊施設を作って観光客を集めたいというより、今の今井町を好んで来てくれる人々を歓迎するという雰囲気です。観光地化して自分たちの静かで落ち着いた生活を乱されたくない人々が殆どだと思います。観光バスが次々に来て、短時間で観光してお土産を買いすぐに去ってしまうような人々には、来て欲しくありません。多分、沢山の観光客が来る事を望んでいる人はあまりいないと思います。」とのことである。
経済成長を追い求め、金儲けに熱心な日本の中において、ここ今井町は静かな別世界である。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
ショッピング
2.0
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
新幹線 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • ビジネスホテル河合<br />ここ八木町には河合家が6軒あるそうで皆親戚である。<br />今井・寺内町の河合家とは関係はない。

    ビジネスホテル河合
    ここ八木町には河合家が6軒あるそうで皆親戚である。
    今井・寺内町の河合家とは関係はない。

  • ビジネスホテル河合北側の庭<br />旧家であり、蔵がある。

    ビジネスホテル河合北側の庭
    旧家であり、蔵がある。

  • ビジネスホテル河合東側道路<br />今井・寺内町と比較して道幅が広い。

    ビジネスホテル河合東側道路
    今井・寺内町と比較して道幅が広い。

  • 古代から奈良盆地には、東西に横断する横大路、南北に縦断する上ツ道・中ツ道・下ツ道という幹線道路が存在していました。近世・江戸時代になると横大路は初瀬街道又は伊勢街道と呼ばれ、下ツ道は中街道と呼ばれるようになりました。この2つの街道の交差点が「八木札の辻」です。

    古代から奈良盆地には、東西に横断する横大路、南北に縦断する上ツ道・中ツ道・下ツ道という幹線道路が存在していました。近世・江戸時代になると横大路は初瀬街道又は伊勢街道と呼ばれ、下ツ道は中街道と呼ばれるようになりました。この2つの街道の交差点が「八木札の辻」です。

  • 橿原市立今井町並み交流センターの模型<br />今井寺内町を観光するにはまずここに行き説明を受けるのが良い。

    橿原市立今井町並み交流センターの模型
    今井寺内町を観光するにはまずここに行き説明を受けるのが良い。

  • 八木寺(ヤギジ) 延命院(エンメイン)<br />真言宗豊山派<br />本山<br />豊山 神楽院 長谷寺

    八木寺(ヤギジ) 延命院(エンメイン)
    真言宗豊山派
    本山
    豊山 神楽院 長谷寺

  • 八木寺(ヤギジ) 延命院(エンメイン)<br />真言宗豊山派<br />本山<br />豊山 神楽院 長谷寺

    八木寺(ヤギジ) 延命院(エンメイン)
    真言宗豊山派
    本山
    豊山 神楽院 長谷寺

  • 橋のたもとのエノキの説明

    橋のたもとのエノキの説明

  • 飛鳥川に架かる橋のたもとに

    飛鳥川に架かる橋のたもとに

  • 今井寺内町の地図

    今井寺内町の地図

  • 今井寺内町の説明立札<br />飛鳥川のたもとにあり。<br />

    今井寺内町の説明立札
    飛鳥川のたもとにあり。

  • 今井寺内町の説明立札<br />この立札に寺内町の説明が詳細に書いてある。

    今井寺内町の説明立札
    この立札に寺内町の説明が詳細に書いてある。

  • 重文高木家

    重文高木家

  • 重文高木家

    重文高木家

  • 「町屋でアート今井町」開催中の上野宅

    「町屋でアート今井町」開催中の上野宅

  • 上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」<br />出展者は友人とのこと。

    上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」
    出展者は友人とのこと。

  • 上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」<br />出展作品

    上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」
    出展作品

  • 上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」<br />出展作品

    上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」
    出展作品

  • 上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」<br />出展作品

    上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」
    出展作品

  • 上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」<br />出展作品

    上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」
    出展作品

  • 上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」<br />出展作品

    上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」
    出展作品

  • 上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」<br />出展作品

    上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」
    出展作品

  • 上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」<br />出展作品

    上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」
    出展作品

  • 上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」<br />出展作品

    上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」
    出展作品

  • 上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」<br />出展作品

    上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」
    出展作品

  • 上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」<br />出展作品

    上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」
    出展作品

  • 上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」<br />出展作品

    上野宅で開催中の「町屋でアート今井町」
    出展作品

  • 上野宅反対側のカフェ「ブリッジ」との表示があるが、現在は障害者就職支援NPO

    上野宅反対側のカフェ「ブリッジ」との表示があるが、現在は障害者就職支援NPO

  • 橿原市立今井町並み交流センター

    橿原市立今井町並み交流センター

  • 橿原市立今井町並み交流センター

    橿原市立今井町並み交流センター

  • 橿原市立今井町並み交流センター<br />銀兌換紙幣説明

    橿原市立今井町並み交流センター
    銀兌換紙幣説明

  • 橿原市立今井町並み交流センター<br />銀兌換紙幣レプリカ

    橿原市立今井町並み交流センター
    銀兌換紙幣レプリカ

  • 橿原市立今井町並み交流センター<br />銀兌換紙幣レプリカ

    橿原市立今井町並み交流センター
    銀兌換紙幣レプリカ

  • 新井寺内町街路

    新井寺内町街路

  • 重文今西家

    重文今西家

  • 重文今西家

    重文今西家

  • 今西家

    今西家

  • 重文今西家

    重文今西家

  • 今西家所蔵<br />織田信長が上杉謙信から譲られた日本刀

    今西家所蔵
    織田信長が上杉謙信から譲られた日本刀

  • 今西家

    今西家

  • 今西家

    今西家

  • 今西家<br />西側から撮影<br />修復前

    今西家
    西側から撮影
    修復前

  • 今西家家紋<br />昔は川井家又は河合家 三本川に井桁

    今西家家紋
    昔は川井家又は河合家 三本川に井桁

  • 紙半豊田記念館<br />今井町豪商の生活と文化展(美術品調度品)開催中

    紙半豊田記念館
    今井町豪商の生活と文化展(美術品調度品)開催中

  • 恒岡醤油醸造本店

    恒岡醤油醸造本店

  • 恒岡醤油醸造本店

    恒岡醤油醸造本店

  • 恒岡醤油醸造本店

    恒岡醤油醸造本店

  • 恒岡醤油醸造本店

    恒岡醤油醸造本店

  • 恒岡醤油醸造本店で購入した醤油6種類

    恒岡醤油醸造本店で購入した醤油6種類

  • 重文高木家住宅

    重文高木家住宅

  • 重文高木家住宅

    重文高木家住宅

  • 重文河合家

    重文河合家

  • 重文河合家

    重文河合家

  • 大和御用達 今井十返舎

    大和御用達 今井十返舎

  • 浄土真宗本願寺派 稱念寺<br />寺内町の中心

    浄土真宗本願寺派 稱念寺
    寺内町の中心

  • 浄土真宗本願寺派 稱念寺<br />現在修復中

    浄土真宗本願寺派 稱念寺
    現在修復中

  • 豊臣秀吉本陣跡

    豊臣秀吉本陣跡

  • 重文米谷家

    重文米谷家

  • 重文米谷家

    重文米谷家

  • NHKテレビ朝ドラ「朝が来た」撮影現場

    NHKテレビ朝ドラ「朝が来た」撮影現場

  • NHKテレビ朝ドラ「朝が来た」撮影現場

    NHKテレビ朝ドラ「朝が来た」撮影現場

  • 粋庵<br />今井寺内町で唯一見つけた蕎麦屋

    粋庵
    今井寺内町で唯一見つけた蕎麦屋

  • 粋庵<br />今井寺内町で唯一見つけた蕎麦屋メニュー

    粋庵
    今井寺内町で唯一見つけた蕎麦屋メニュー

この旅行記のタグ

関連タグ

16いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP