2015/07/22 - 2015/07/25
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ヒロポンさん
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直島から高松へ移動し、レンタカーにて
愛媛の別子銅山と徳島の祖谷渓へ。
別子銅山は東洋のマチュピチュと呼ばれ
ほんまかいな?という事実確認のため行った。
竹田城跡はなかなかそのとおりだったがこちらは如何に?
…行ってみると
ぱっと見た目は大したこと無い。
植林され多くの構造物は撤去され、鉱山の面影は少ないからだ。
しかし、記念館などでこの別子銅山の歴史を勉強すると
最盛期はこの急峻な山の中にとんでもない街が存在したんだ
ということを知ることができる。
閉山跡は植林活動を行って、山を街から自然に戻していき
環境保全の取り組みを行ってきたのだが、
まさか後世にこんな形でスポットライトが当たって
むしろ何もせずに廃墟のまま放置されていたほうが
産業遺産として稀少な価値を生むことになっていたとは
想像もできなかっただろう。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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直島の快適GH
バンブービレッジからの眺望。
6時43分のバスで宮の浦港へ向かい
7時の船で高松港へ。 -
8時。高松港に戻ってきました。
天気がよい!
素晴らしい。 -
高松港フェリーターミナル。
瀬戸内のいろんな島へ船がでています。 -
青空にめちゃくちゃ映えますね
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高松港にひょっこり転がっているイカリ。
危ないではないかっ。
それはさておき
駅前でレンタカーを借りて
今日は愛媛県と徳島県へ向かいます。 -
そうして高速をほどほどにかっ飛ばして
新居浜の別子銅山へ。
ここは知る人ぞ知る
東洋のマチュピチュと呼ばれます。
本当にマチュピチュかどうか確かめます。 -
別子銅山の端出場ゾーンの地図。
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鉱山鉄道で鉱山へ向かいます。
強制的に乗せられるw鉱夫の気分を堪能 -
風鈴が涼しいのですb
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いまいち愛せないキャラだな・・・
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いよいよ鉱山へ。
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佐渡金山とか石見銀山とか足尾銅山とか
んまーいろいろと探検しましたが、
これまでのところ普通ですね笑
鉱山は鉱山。 -
江戸時代から。
人形がかなりシュール -
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どこの国でも鉱山の中には神様がいらっしゃるようです。
ポーランドでもオーストリアでもボリビアでもいたな。 -
削掘機でドガガッってやれます
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必殺運び人がしょってる鉱石がいかに重いか!
を堪能するコーナーなのですが、
なんと、
背負うベルトの汗臭が
致死レベルwww
窒息死そうになるわ臭い移るわわやだがねww -
岩を持ち上げるとか持ち上げないとか。
そんなワイルドな子どもにするコーナーです。 -
観光坑道は全長333m。終わってしまいました。
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四国の急峻な山から流れる清流。
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レンガ水路。
コンクリートじゃなくてレンガなんですねこの時代。 -
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コケがびっしり埋め尽くした石垣いいですね。
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第4坑道。別子銅山の大動脈で長さ4600m。
中から冷気が噴出してて超クール。 -
何本も坑道があるのがわかります。
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保存されてる?方の鉄橋。
サビでボロボロ。
夏の山々の景観と妙にマッチしています。 -
炭鉱へ向かう鉄橋の先から…掘ってくるぜよー
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泉寿亭。
皇族の方々など偉い方が来たときにもてなすお座敷。 -
確かに素晴らしく
くつろげる室内と眺望。 -
マイントピア本館の裏側をとおって入口まで戻ります。
明治を彷彿させる赤レンガ造りの建物です。 -
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森の中に埋まっている旧水力発電所
別子銅山の動力源。明治45年建築。 -
たべるで?カワユス笑
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別子銅山遺構最大のみどころ
とうなるへ。
とんぺいとしか読めませんがww
マイントピアからガイド同行バスツアーが出ていますが
それもそのはず
なかなかの細道。林道〜県道の間クラス。
これで週末マイカーがわんさかのぼる
ことを想定すると、毎回すれ違いでちょっとハラハラするわ -
とんぺい全貌図。
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マチュピチュとのコラボ。
ペルー大使がこの地を訪問され、東洋のマチュピチュだ
とおっしゃられたのがきっかけらしい。
見た目は名前負けしてるが。 -
対向車くんなー!と思いつつ上ること15分、とうなる地区に到着。
駐車場から。 -
谷の向う側の断崖絶壁を走る鉱山列車。
よくこんなところにつくったものです。 -
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駐車場。赤い建物がマイン工房。
実はここが鉱山の心臓部保安本部があったところ。 -
石垣の上の建物がマイン工房で
石垣の下が駐車場。 -
こんな調子でだんだんにして
急峻な斜面に団地が建っていました。 -
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保安本部の別のアングルから。
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インクライン跡が現在は・・・
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遺構の下へ降りる階段
長いなー -
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索道停車場跡。
端下場とを結ぶ索道(リフト)が鉱石運搬はもちろん
生活用品から郵便、新聞に至るまでいろいろと運んでいた
主要な輸送機関。 -
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居住区。
思い出したかのように赤屋根の躯体を建てて
住宅があったのですよ…って余計なお世話じゃなかろうか。
でも当時はこんな急峻な斜面に団地を建てて
3800人も住んでいたとか。 -
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花崗岩造りの貯蔵庫跡。
運ばれてきた鉱石を一時的に貯蔵するためにつかわれた。 -
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当時の様子を思い浮かべながらウロウロするです。
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急峻な山の中にあった街も
閉山後は植林活動を開始し、人が撤退した町を自然に返していった。
森の中を歩いていると
建物の痕跡や石造りの橋などがチラほら見られます。 -
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第3通洞へ行く途中の崖の中にある住居跡。
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石垣が今も残る。
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第3変電所跡。
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せっかくなので中に入ってみる。
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ありのままの廃屋が残っていました。
階段とかも痛みが激しいし、本当にありのまま。 -
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爆薬庫だそうです。
暴発してしまっても被害の少ない場所に設置されたのでしょう。 -
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いかにもあぶなっかしそうな橋w
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とうなるの資料館です。
とうなるの歴史がよく分かります。 -
トンネルをつかって鉱山で使っていた機材が展示されています。
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明治の産業遺産って雰囲気が存分に感じられて
単純にカッコイイ。 -
新居浜出身だそうです。
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資料館展示の写真です。
スゴイ崖に住んでいたものだ。 -
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子供が遊ぶ場所も
こんな崖だったりする
危ないねぇ笑 -
チロル地方みたいに
崖に張り付いて家々が建っていました。
これが残っていたら
南アルプスのチロルの里なんかより
はるかに規模がスゴイ。 -
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石垣で段々になっている写真。
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あぁぁこれは模型。
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尾道といい長崎といい
坂や階段のある街は風情があるです。 -
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狭い運動場で大勢の大人による運動会。
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トロッコ列車にギュウギュウw
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乗るならこっちの方が気持ちいいな。
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って、おおおいwwwすげーな
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軍艦島の方々と同じで
鉱山から戻ると真っ黒なので銭湯ですっきりです。 -
そんな別子銅山なのでした。
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マチュピチュカレー笑
便乗商売w
それにのせられる観光客のオレ -
高速にのり徳島県にワープ。
祖谷渓というか大歩危小歩危に近づくと
この地域の人たちは平家の落ち武者が
多かったようなので
とんでもない崖の上のほうに集落を組んでいます。 -
ちょっと崖の上の方の集落にいってみました。
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うん、ちょっとしたお社があるだけだな・・・
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吉野川の流れ。
ラフティングしたいがちょっと時間がない・・・ -
明日は祖谷渓にいきます
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