2015/08/08 - 2015/08/08
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bakanekoさん
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注)
今回の投稿には、九相図や地獄絵図など死者の姿の絵があり、現代のか弱い常識の持ち主の方では不適当とされるものがあります。そのような方は見ないようにお願い致します。
さて時は去年8月、夕刻より西福寺に行くも九相図や地獄絵図のご開帳は終り暑い中、呆然とする私があった。なんとかコピーを見せていただき納得して帰ったが、翌年リベンジの火が燃えていたのは確かであった。
そしてその時。京都の猛暑を避けるため朝7時前に、京阪天満橋を出る。この近所の珍皇寺も朝6時から参拝客を受けているようなので西福寺も開いていると考えての出撃である。この時間は急行しかなく、7時40分あたりに着く。昨年のようにいきなり東に行くと暑いので、北に上り松原通りを東に行く。地獄の入口珍皇寺には多くのタクシーが走ってゆく。ここ西福寺は、例年8月7−10日御開帳である。その後はコピーなら見せてくれる。
そして西福寺に着く。妄想は後回しで昨年同様西福寺の解説を入れる。
鴨川沿いから松原通(昔の五条通)を東へ進んでいくと、そこは現世と冥界との境界である“六原”にたどり着く。かつては“六波羅”と書かれ、その名の由来は“髑髏原(ドクロハラ)”であると言われている。さらにこの近辺の町名は轆轤(ロクロ)町、髑髏の転訛であることは疑う余地もない。かつてこの地は京都の東の葬送地である鳥辺山に通じる入り口であり、【六道の辻】と呼ばれていた場所である。現在では石碑が建てられており、そのそばに建つのが西福寺である。
西福寺は弘法大師がこの地に地蔵堂を建て、自作の地蔵を安置したところから始まる。弘法大師に深く帰依していた壇林皇后(嵯峨天皇皇后)はたびたびこの地を参詣していた。そして皇子(後の仁明天皇)の病気平癒を地蔵に祈願したところ回復したため、この地蔵は“子育て地蔵”と呼ばれるようになったという。
この寺で最も有名なものは寺宝である【壇林皇后九想図】である。壇林皇后は非常に心清らかで、また美貌の持ち主であった。だが、その死にあたって「風葬となし、その骸の変相を絵にせよ」という遺言を残した。そして完成したのがこの【九想図】である。つまりこれは人が死に、死骸が朽ち果て、やがて土に還る までを表した、凄まじい絵なのである。この絵は六道参りの時期(8月上旬)の3日間だけ公開される。そのむごたらしさは言うまでもないが、眺めているうち に“人の世の空しさ”が胸に迫ってくる。実際、この絵は“無常”を絵解きしたものであり、ここまでストレートにやられると、もはや言うべき言葉を見つけることもできない。
六道
仏教用語で天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の輪廻を指し、現世と冥界の行き来を示すものである。「六道の辻」とは、現世における冥界への入り口、即ち、野辺送りの出発地点と言うべき場所である。
檀林皇后
786-850。嵯峨天皇皇后。檀林皇后の遺体が晒された地は「帷子ノ辻」と呼ばれている。が実際は長寿を全うしている。
九想図(九相図)
うち捨てられた遺体が変化していく様子を9つの段階に分けて描いた絵。西福寺の場合【死去→死体膨脹→腐乱→蛆が湧く→鳥獣が食らう→一部白骨化→白骨化→骨が散乱→塚が建つ】という変化となる。絵のモデルとなるのは、檀林皇后や小野小町といった、美人の誉れの高い女性とほぼ決まっている。
六道珍皇寺と六波羅蜜寺の間にある「西福寺」では、8月7日〜10日にかけて檀林皇后九相図(だんりんこうごうくそうず)が公開されます。檀林皇后は嵯峨天皇の后(きさき)で、美貌で知られた女性。皇后は仏教に深く帰依していたため、自らの身を獣などの生き物に与えるため、死後は遺体を風葬(野ざらし)にすることを望んだと伝わります。実際にはこうした九相図は、僧侶に女性への情欲を断ち切らせるという目的のために作られ、死後の肉体が朽ち果てる様子が生々しく描かれているのです。
弘法大師・空海と檀林皇后ゆかりの西福寺
西福寺は弘法大師・空海が創建したお寺で、同時代に生きた檀林皇后も参詣し、地蔵尊に皇子の病気平癒を願ったお寺です。そのため九相図のみならず、檀林皇后の像なども見ることが出来ます。他にも悪を戒めるための「地獄絵」も公開されていて、そのリアルさには九相図と同じく目を見張るものがあります。
リアルに描かれた九相図
檀林皇后九相図は、美しかった檀林皇后の肉体が朽ちゆく様が9段階に分けてリアルに描かれていますが、実際に檀林皇后の遺体を見て描いたものではなく(檀林皇后は65歳で亡くなっていて、美貌を保ったまま亡くなってはいません)、体が朽ちゆく様子を絵に書きとめて、肉体の不浄と無常さを悟らせようとしたもの。美人であれば誰でもよいもので、他のお寺には小野小町九相図なども伝わっています。
ただ、かつては僧侶に肉体の欲を断ち切らせるために、本物の死体を見に行かせることもあったというのは事実のようで、この九相図も現代人にはなかなか衝撃的ながら、かつては葬送地の至る所で目撃された光景だったのかもしれません。具体的な絵の姿は皆さんの目でご確認ください。
さて妄想へ 著者注)
本紀行は、写真撮影記に私の妄想が入り、過去の人物などが出る事があります。入江:入江泰吉 土門:土門拳 佐藤:佐藤義清
京阪を降りると改札に佐藤さんが。
私「暑いですねー」
佐藤「京の都は、何百年と暑いですよ。六道之辻ですね」
私「そうです。」
佐藤「連れの家の近所ですから知ってますよ」
- 旅行の満足度
- 5.0
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西福寺に着く。8時前
お盆なら西福寺へ行け 8月の西福寺 必見の九相図 by bakanekoさん西福寺 (六道の辻) 寺・神社・教会
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なにやらいろいろ飾っている。真ん中のおばちゃんは、去年、コピーを見せてくれた人である。
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空海と壇林皇后の話である。
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こんな感じで展示してある。写真撮影は自由。朝から覗く人はほとんどいなかった。
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ここで
土門、入江「おい!!」
私「へっ・・・・なんで」
佐藤「私が呼んでいたんですよ。お二人とも芸術には詳しい」
私「ゾンビと幽霊が出ると怪談になってしまう。朝から・・・・」 -
土門、入江「ぐずぐず言わず見るぞ」
私「おおっ、九相図。去年より夢見た九相図」
汗だくになり仰ぎ見る。さぞかし異常な光景だったのだろう。 -
上段右が壇林皇后生前、左が臨終場面
2段目右から 死体膨脹→腐乱→蛆が湧く
3段目右から 獣が食らう→一部白骨化→白骨化
4段目右から 骨が散乱→塚が建つ -
土門「すごい。真理だ。リアリズムだ」
私「先生、顔がリアリズムですよ。怖くて写真が撮れない」 -
新死相
子供と遊ぶ場面 生前です。
入江「雅だな」 -
新死相
臨終の場面
入江「滅せぬものは、なかりせば」 -
膨張相
土門「リアリズムだ。リアリズムだ」 -
血塗相
土門「滅びてゆくものは停められぬ」 -
蓬乳相
一般には、膿爛相(のうらんそう) - 死体自体が腐敗により溶解する。といわれているがここは蛆も沸いている。 -
噉食相
けだものに食われる。
入江「言葉がでん」 -
青瘀相(しょうおそう) - 死体が青黒くなる。
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白骨連相
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骨散相
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古墳相
佐藤「この世は、諸行無常ということでしょうか。美しいものもいつかは朽ち果てる」
土門「ものは皆朽ちる。平泉もそうだ。朽ちるにまかすべきだったんだ」
私「そりゃ先生エゴでっせ。後の人間に残してやらな」 -
入江「さあ地獄だぞ」
私「2人に地獄へ連れて行ってもらうような」 -
この辺は死んでゆくところでしょうか
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野辺の送り
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おお極楽組と地獄組にわかれる。
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針の山
土門「痛そうだな」
私「あんたが、いたい・・・・」 -
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入江「地獄三幅図だな」
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私「先生。写真地獄はあるんでしょうか」
入江「ある意味、こだわっていると畜生道かも知れぬ」
土門「鬼になったら、地獄の住人だ」
私「あわわわわ・・・・確かに。なにやら死ねば極楽、引けば地獄のような」 -
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地獄へ落ちる人々
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一部の連中だけ極楽へ。まるで仕事場や
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極楽三幅
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土門「わしはここだな」
私「いやいや、これを入れて4つ目の下の方でですもうとってる鬼でっせ」 -
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入江「私は、見ているほうだ。土門君は、相撲を取っている」
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戦をしていると地獄に落ちる
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こんな場所で、展示しています。盆前の数日だけ
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前は、九相図をきっちり抑える為に全体を撮りました。今回は、見ごたえのある部分を私の主観で撮ってみました。
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ここまでひつこく迫って撮ると愛着がわきます
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気味が悪いより、なにかを教えてもらっているような。
佐藤「それがこの画ですよ」 -
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食物連鎖の頂点になっても食われている。このほうが自然だと思う。
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土門「ほねになりゃ、終りだよ」
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さあ最後の地獄絵図です。
左から右と3回繰り返しました。 -
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血の池地獄
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針の山
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本堂の上には、きれいな絵がありました。
土門、入江「ホッとしたな」
佐藤「お二人とも人の世の地獄にホッとした作品を残されたので極楽行きですよ」
土門、入江「ありがとうございます」 -
土門「お前は下手だから。地獄行きだ」
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私「もう生き地獄ですわ」
皆さん笑って一件落着
念願の西福寺。九相図を見て私も成仏しました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 墨水さん 2015/08/09 23:03:17
- 賓葬と地獄。
- bakanekoさん、今晩は。
賓葬(ヒンソウ:邦訳では「かりもがり」)と言います。
人が死ぬと、遺体を野原や山へ持って行き、遺体が骨になるのを見届ける事を賓と言います。
見届け人は、遺体の側で一日何もせずに遺体を見届けるのが「賓葬」の仕事で、食事や衣類の洗濯等は、近隣の人に総て賄って貰う形式に成っていて、引いて、総てを賄って貰う客を「賓に相当する客」として「賓客」と言うようになりました。
ちなみに、夜は遺体の側に小屋を造り(これを悪室と言う。)此所に休む事になります。
此の風習が、現在の「お通夜」に相当します。
この絵は多分、正式な賓葬を行った証として書かれた物と思われます。
京都は、権謀術策渦巻く戦乱が絶えない都でしたから、正式に賓葬をしたと後世に伝えたかった物と思われます。
正式な御葬式=正式なあの世への旅立ち=正式なあの世での誕生を訴えたかった物と思われます。
この間、ネットで地獄に堕ちる事について「興味深い事」が書かれて有りました。
個人は、宗教を一つ信じる。
キリスト教では、異教徒は必ず地獄に堕ちる。
イスラム教では、異教徒は必ず地獄に堕ちる。
仏教では、異教徒は必ず地獄に堕ちる。
したがって、総ての者は「必ず地獄に堕ちる。」と。(笑)
此の理論には反論出来ず、「自分は、必ず地獄に堕ちる。」と、納得しました。(笑)
ちなみに老荘思想では、地獄とは人間が創り出した妄想でしか無く、人が死ぬと、新しい肉体を神様から貰うだけと。
(新しい肉体は、人とは限らない。)
輪廻転生の世界感。
墨水。
- bakanekoさん からの返信 2015/08/10 20:38:01
- RE: 賓葬と地獄。
- こんばんわ。いつもありがとうございます。やはり洗骨というのは土葬で、骨にしてから洗うという名残かもしれません。香港や沖縄でもいまだに肉を朽ちさせ数年後に洗骨というのでお説のとおりかと思います。
私の知っている国民は、多神教で人は、宗教を複数信じる。
アマテラスやスサノオなど多くの神を持ち、やがて来た仏教も本地垂迹という思想で取り込む連中です。どうも仏教は、攻撃的排他主義にはならなく、あまり他宗教との抗争を認めません。
多分
キリスト教では、異教徒を滅ぼし、異教徒は必ず地獄に堕ちる。
イスラム教では、異教徒を滅ぼし、異教徒は必ず地獄に堕ちる。
仏教では、異教徒は必ず地獄に堕ちる。異教徒は滅ぼさない。仏を信じれば助かることもある。ということかもしれません。
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