2013/12/05 - 2013/12/05
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junemayさん
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浜名湖は何度か行ったことがあるけれど、連れ合いの第二の故郷である浜松の街は知らない。姫街道、天竜、奥浜名、掛川も歩いてみたいと思っていたところ、たまたまオンラインで見つけたホテルが3連泊取れそうな塩梅。新幹線なら東京から1時間だけれど、なんだかそれでは旅気分が出ないので、あえて渋谷からバスで出発。思い立ってからわずか1週間余りで実現の運びとなった旅でした。
12月3日(火)東京→浜松(復興記念館、浜松城、犀ヶ崖資料館、蜆塚古墳)
12月4日(水)浜松→奥山方広寺→神宮寺→龍潭寺→気賀→長楽寺→浜松
12月5日(木)浜松→磐田→掛川→浜松
12月6日(金)浜松→西鹿島→天竜二俣→秋野不矩美術館→二股城址→鳥羽山公園→西鹿島→浜松→東京
あくる5日は、浜松の東隣の町 磐田と掛川を訪ねました。今回、ぜひとも掛川から、天竜浜名湖線に乗ってみたいと思っていましたが、本数の少なさと乗り継ぎの悪さに唖然! スケジュール等の関係で、掛川からの乗車は諦めざるを得ず、明日の天竜二俣行きは、遠州鉄道を使うことにしました。
今日訪れる町はいずれも東海道線沿いなので、早くて本数のあるJR利用です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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浜松→磐田間はJRでわずか11分。天竜川を越えるとすぐ到着です。磐田と言ったらこれでしょう! 駅で私を迎えてくれたのは、やはりジュビロのエンブレムとマスコットキャラクターのジュビロ君でした。
エンブレムのデザインは、月と星と太陽はわかるのですが、X型のものは何だろうと思ったら、静岡の県鳥 サンコウチョウなんですって。なるほど、尾っぽの長〜い綺麗な鳥ですな。全く存じませんでした。ファンの方々、御免なさい。 -
磐田市のマンホールは、これまた見たことのないベッコウトンボのデザインです。別滅危惧種に指定されている希少な昆虫で、羽と体の色がベッコウ色しているんですって。
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駅前で、第3のキャラクターに出会いましたよ。それがこちらのゆるキャラ・・・じゃあなかった、イメージキャラクターのしっぺい君 こちらは霊犬だそうです。
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なんでも人身御供の妖怪をやっつけた勇猛な犬なのだそうです。赤ふんして勇ましそう!
それにしても、この赤いバスかわいい〜! 市のバスのようですが、乗せてくれないかなあ。フロントガラスにぶら下がっているマスコットもシッペイ君でした。 -
駅前から真っ直ぐ北に伸びるジュビロードを10分ほど進むと、左手に遠江国分寺跡公園がありましたので、ちょっと寄っていきます。
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遠江国分寺は、741年、聖武天皇が国内60数か所に建てた国分寺、国分尼寺の一つで、復元図を見る限りでは、南大門、中門、金堂、講堂が一列に並ぶ東大寺様式の伽藍配置。そしてその西側には七重の塔がそびえる威風堂々とした寺院でした。
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昭和26年(1951年)に全国に先駆けて発掘調査が行われ、翌27年には国の特別史跡に指定されました。
とはいえ、木造の哀しさ 今は建物の基壇(礎石)が残るのみです。 -
広々としていて気持ちの良い史跡公園は、梅や桜の名所として知られていて、春には花見客で賑わうそうです。
ところで、遠江って何のことだかご存知ですか? 都から見て、近い海だから琵琶湖。なので近江。○○湖は遠いので遠江。な〜るほど! わかったでしょ! -
遠江国分寺跡公園のお向かいにあるのが、こちらの府八幡宮。こちらも天平元年と言いますから、同じく奈良時代の729年に国府の守護として、遠江国司であった桜井王により安置されたという歴史ある神社です。
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木製の鳥居の根元は頑丈なコンクリートで根巻されていました。
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やがて見えてきたのが、大変立派な寛永12年(1635年)建立の楼門です。
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巧みに組合わさった三手先組物、2階部分の軒下の二軒繁垂木が美しいですねえ。うっとり・・・
こちらの楼門は県の指定文化財だそうです。 -
楼門の先には、同じく江戸時代に作られた中門。そしてその奥に拝殿がありました。折角ですので、今回の旅の無事を祈願していきましょう。
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府八幡宮でも紅葉に間に合いました。
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丸っぽい、桜のような葉っぱですが、何の木かなあ・・・
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国道1号線、東海道を横切って更に北上すると、左手にあった西光寺の表門そばに、「見附宿西木戸」と書かれた門がありました。
無知な私はここでまた学習しました。東海道には磐田宿はなかった。見附宿=磐田だったんだと・・・ -
で、こちらがその隣の西光寺の表門別名薬医門。西光寺に薬師如来が安置されているので、この名が付いたのでしょう。寺の境内からやや離れていて、駐車場の真ん中にポツンと建っているという雰囲気ですが、この門、家康が別荘として現在の磐田市中泉に築かせた中泉御殿の門を移築したものだそう。
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こちらが西光寺の境内。パワースポットとして近頃注目を集めているのだとか。
境内にある大楠とナギの木は、それぞれ縁結びと縁切りの御神木だそうです。とんでもないことになっちゃうので、くれぐれも2本の木間違えないようにお祈り下さいね。 -
加茂川沿いに立ち並ぶ古い白壁土蔵群。ほっとする風景です。
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こちらは、中部電力のマンホール。周りは一般的な模様ですが、中央の「電」の崩し字は、古いマークだそうです。磐田には関係ないものですが、マンホールコレクションの一つとさせていただきました。
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磐田駅からゆっくり歩いて30分ほどで、目指すものが見えてきました。
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旧赤松家の堂々とした煉瓦塀です。
近代造船技術の先駆者と言われる赤松則良氏の屋敷で、明治25年(1892年)頃の建築。
長手積みの煉瓦塀も美しいけれど、その上に二つ並んでちらっと見える屋根裏部屋の出窓が、和洋折衷で物凄く可愛いと思いませんか? -
ここにしかない風景、建物等に人一倍惹かれる私、このような様式の門と土蔵にお目にかかるのは初めて。というわけで、かなり興奮しております。
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わぁ〜
煉瓦の積み方、窓の形などはまさしく西洋風なのに、その上にどか〜んと乗っかっているのは、純和風の屋根。
旧赤松家の門と門衛所です。 -
門衛所の煉瓦は基本フランス積み。最上部のちょっと変わった積み方がアクセントになっています。
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お隣の土蔵は、塀と同じ長手積みですね。こちらも和風洋風半分ずつです。
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現在、旧赤松家は、磐田市が管理していて、無料で入場できます。早速入ってみます。
こちらは門をくぐってすぐから左手を眺めたところ。 -
門衛所の扉が開いていたので、中に入りました。
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内部は純和風。畳4枚分のスペースです。窓に木戸が付いているところを見ると、ここに寝泊まりしたんでしょうね。
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初めまして!
この方が、主の赤松則良氏です。
赤松氏は、旗本だった祖父の苗字を継ぎ、オランダ語を学んで長崎海軍伝習所に航海術などを学んだ後、咸臨丸で渡米。その後オランダに留学して本格的に造船学を学びました。明治政府においては海軍中将、佐世保鎮守府司令長官、横須賀鎮守府司令長官などを歴任。引退後見附に本籍を移し、建造したのがこちらの屋敷。
母屋は大正14年(1925年)頃東京に移されたそうなので、現在こちらに残っているのは、門・塀・土蔵のみです。 -
庭園の奥に建つこちらの内蔵は、当時のものではありません。旧赤松家の屋敷が建てられた頃には、母屋と棟続きに四間・二畳半の内蔵があり、ほぼこの位置に建っていたそうです。
現在、内蔵は展示会場として、市民の書道展等に利用されています。手前の門柱は屋敷の入り口だった場所なのかしら? -
内蔵を横から眺めるとこんな感じです。
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庭園の中の池。昨日、素晴らしい庭園を見すぎたので、コメントは差し控えさせていただきます。
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庭園の一角に植えられた竹林がほんの少し色づいて、良い感じです。
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庭園内を巡る木道が長く伸びています。
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これは、アメジストセージかしら? 綿に包まれたような穂状の花が印象的でした。
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こちらは門から見えた北土蔵。かつては、米蔵として使用されていたもので、現在は市の指定文化財になっていて、展示室として利用されています。
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北土蔵の向かい側にあった「旧赤松家記念館」。中には赤松家にかかわる資料や咸臨丸や勝海舟等に関する展示物がありました。
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門を出て、表側に戻ってきました。やはり、この門と土蔵はこちら側から見るのが一番ですね。
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どんなモードが良いか、カメラで遊んでいます。光と影の具合は透明水彩ヴァージョンが際立っていました。
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煉瓦の美しさは、トイカメラ風に軍配。とわけのわからぬことを口走っておりますよ。
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イチオシ
しつこいなあ。いい加減にしなさい!
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はい。これが最後です。交通の便が悪いけれど、車で磐田市を通りかかったら、是非ともお訪ねください。お勧めポイントです。
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道を駅の方に戻り、西坂町の信号を左折すると旧東海道で、このあたりが見附宿の中心部だったところです。
旧宿場町の面影を探すのは、ちょいと無理みたい。
路地の奥の玄妙寺は室町時代の元中2年(1385年)日什門流の開祖玄妙阿闇梨日什上人によって建立された由緒あるお寺。写真はありませんが、1934年に建てられた土蔵風の経蔵は国の登録有形文化財に指定されています。 -
対面の呉服屋近江屋さんの蔵は年代ものかしら? 呉服屋さんは今どこも経営が大変そうで、こちらの店舗も半分シャッターが閉まっていました。
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旧東海道(見附宿場通り)をなおも東に進んでいくと、今度はこちらの門が左手に現れました。門だけで、後ろには何もない、ちょっと寂しい光景。
旧見附宿脇本陣の大三河屋さんの門だそうです。中泉の中津川家の門として使用されていましたが、平成17年に市に寄贈され、元あった場所に移築されたと、脇にあった説明書きにありました。でも、門だけではね。旧東海道沿いの家は、区画整理が行われたのか、新しい住宅が多く、周りの景色とそぐわない感じがしました。
以前訪れた大井川越えの宿場町島田も、町中が区画整理事業のため道路の幅が広がり、昔の面影を全く留めていなかったことを思い出しました。 -
またもや出現、霊犬シッペイ君。
ふるさと磐田を有名に! っていうコピーが気になります。 -
大三河屋の門から数十mで、じゃーん! 明治8年(1875年)に落成した、現存する日本最古の洋風木造小学校舎 見附学校に到着です。その隣は、遠江総社の淡海國玉神社。
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えっこれが小学校? 和洋折衷の建物だと思ったら、パンフレットを見たら「擬洋風建築」なのだそうです。
ぱっと見 西洋風ですが、日本古来の技術を有する大工棟梁達により作られた、洋風、和風、中華風の要素が混ざり合った建築様式です。明治時代の幕開けとともに生まれ、明治10年前後にそのピークを迎え、明治20年以降にはもう作られることはなかったとのこと。
現存する数少ない貴重な建物に出会うことが出来ました。 -
それで思い出しました。遠州の旅の一つ前の旅行記で書いた金沢の尾山神社の神門。これも擬洋風建築でした。
石川県金沢市 1875年建造
国の重要文化財
http://4travel.jp/travelogue/10997663
気になったので調べてみたら、全国津々浦々かなりの数が残っていることがわかりました。私が行ったことがある建物だけでも相当な数に上ります。
磐田から離れますが、少し紹介しましょう。 -
畠中家住宅主屋(野良時計)
所在地は高知県安芸市 1887年建造
国の登録有形文化財 -
これはどなたもご存知の
大浦天主堂
長崎県長崎市 1864年建造
国宝 -
きりがないので、もう1枚だけ
こちらは、少し後の時代になりますが、盛美園
青森県平川市 1908年建造
国の名勝 -
さて、見附学校に戻ります。
建物の中に入りました。どうやら授業中のようですよ。 -
男性教師と男子生徒2人に交じっておさげ髪の女子生徒の姿がありました。
黒板には、明治35年12月5日 吉岡 彌生東京女子医開設 とあります。
吉岡 彌生は明治4年(1871年)に、遠江国城東郡土方村(現静岡県掛川市)で生まれています。となると、あのおさげ髪の女の子は、小学校時代の吉岡なのでしょうか? 見附学校卒業生で、その後の女子高等教育の基盤づくりに大活躍した人がいたとは、まさに「教育の賜物」ですね。 -
旧見付学校は明治8年に落成、 明治16年には3階部分を増築し、5階建ての建物となりました。4階、5階は搭屋の部分で、大変狭く、急な階段で上っていかなくてはなりません。
現在、こちらは教育資料館となっているため、教室のほかにも、明治、大正、昭和の教材や文具、遊び道具などが展示されていて、結構楽しめます。1階の展示室では、「教科書にみる富士山の歴史」展が開かれていました。 -
使い込んだ立派な机で勉強中。周りには、火鉢、蓄音器、蝋燭立て、キャビネット等雑多なものが置かれているのが面白い・・・
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なぜか農具、機織り、脱穀機までありました。
右端は、明治16年3階部分増築の時に加えられた4階、5階(塔屋部分)を支える柱です。
結局搭屋には上らずじまい。最上階からは磐田の町が良くみえるようですよ。 -
いかにも手作り風の「秋」が嬉しいですね。
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校舎の裏側には、お隣の神社の神官であった大久保忠尚が元治元年(1864年)に創建した磐田文庫(今の図書館に当たる)までありました。当時の人々の教育に対する熱意と期待が伝わってくるようです。
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その淡海國玉神社(おうみくにたまじんじゃ)の拝殿を、磐田文庫の辺りから撮らせてもらいました。奥の本殿は修復中のようです。
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新しいもののようですが、この神社、ご祭神が大国主命だからか、狛犬ではなく、なぜかウサギです。
子ウサギが可愛い・・・ -
見附学校を後にしました。教育資料館にだけしておくのは勿体ない建物です。赤松家にしろ、見附学校にしろ、現在市が直接管理していますが、民間に委託して、もっと活用方法を考えるべきではと思いました。
振り返ってもう一度見てみると、土台となっている石垣が立派! お城の石垣のようでした。 -
工事中で足場が悪そうだったので、結局淡海國玉神社の中には入らずじまい。鳥居の下に立って参拝させていただきました。
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旧東海道をこのまま東に進んで。左手にある坂を上っていくと、シッペイ君縁の矢奈比売神社(見附天神)があるのですが、見附学校の係りの方に「えっ今日行かれるんですか? つつじの頃が良いんですけれどね」と言われて、行く気が失せてしまいました。
すでに時刻は12時を廻っています。午後は掛川を歩く予定だし、ここから磐田駅までも相当距離があるので、引き返すとしますか。
最後に、地図に書いてあった古い倉庫群「栗田家土蔵群」を見たいと思い、横丁に入ってウロウロします。
この土蔵は新築みたいに美しく立派だから違いますな。 -
少し道を戻って、地元の人に道を尋ねながら行くと、ありました。ありました。ややすすけた土蔵が5棟だったかな、目の前に現れました。
ほぉ〜 これは凄い! -
旧栗田煙草合資会社土蔵群は、明治から昭和にかけて建造された土蔵で、かつての磐田市を代表するたばこ産業に使われていたものです。
門の前に建てられた標識には、磐田市登録有形文化財とありました。しかし、何か手を加えた形跡はありません。 -
「勿体ないなあ・・・・」再度、この言葉が口から出てきました。
使わなければ朽ちていくだけ。折角素晴らしい、しっとりと、味のある歴史遺産があるのに、保存も活用もしないのでしょうか? 個人の所有だから、市は指定するのみで何もできないのかな? -
屋根があんなに撓んでいては、風水害で倒壊するのは時間の問題かも・・・
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アップでもう1枚。
向かって左の土蔵は1階庇の支えが木製なのに、右は堅牢そうな石?の柱。作られた年代によるんですね。 -
上の写真がLの字の縦の部分だとしたら、こちらはL字の横の部分に当たる土蔵。建築様式が上の写真とは明らかに異なっています。少し年代が新しそうです。
それでも、ボロボロなのは一緒。 -
表門の先の角を曲がって、少し角度を変えて撮ってみました。
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「早く何とかしてくれ〜」と土蔵が叫んでいるような気がしました。
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きりがないのですが、気が済むまで撮り続けました。
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もう、30年近く前の話。連れ合いの実家の土蔵を修理するのに300万、解体するのに300万と言われたと義母が言っていたのを思い出しました。
ここでも、同様の問題があるのかもしれませんね。
が〜ん!
たった今、ネット上で見つけてしまいました。2014年7月25日付のブログに、栗田家土蔵群の取り壊し作業が開始されたとの記事がありました。
やっぱり・・・
平成18年(2006年)に文化財として登録した以上、市の責任は重いと思います。財政難であっても放置する以外に方法はなかったのか、本当に残念でなりません。
今磐田に行っても、この景色は望めないようです。くすん・・・ -
駅までの帰り道は、行きとは違う今之浦川沿いを歩くコースを選択。途中、二つの川の合流地点にあった今之浦公園で一休みしました。
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磐田のマンホールのデザインにもなっていたベッコウトンボでしょうか?
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磐田最後の写真はなんとファミレス凜や。
あんまり派手な屋根なので、ついつい写真を! 引き寄せられるように昼食までしてしまいました。
というわけで、この日の後半は、遠州せんちめんたるじゃーにー 曳馬野の風を感じて (6)掛川 に続きます。
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