2013/12/05 - 2013/12/05
260位(同エリア578件中)
junemayさん
- junemayさんTOP
- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 192,134アクセス
- フォロワー41人
浜名湖は何度か行ったことがあるけれど、連れ合いの第二の故郷である浜松の街は知らない。姫街道、天竜、奥浜名、掛川も歩いてみたいと思っていたところ、たまたまオンラインで見つけたホテルが3連泊取れそうな塩梅。新幹線なら東京から1時間だけれど、なんだかそれでは旅気分が出ないので、あえて渋谷からバスで出発。思い立ってからわずか1週間余りで実現の運びとなった旅でした。
12月3日(火)東京→浜松(復興記念館、浜松城、犀ヶ崖資料館、蜆塚古墳)
12月4日(水)浜松→奥山方広寺→神宮寺→龍潭寺→気賀→長楽寺→浜松
12月5日(木)浜松→磐田→掛川→浜松
12月6日(金)浜松→西鹿島→天竜二俣→秋野不矩美術館→二股城址→鳥羽山公園→西鹿島→浜松→東京
ちょっぴり複雑な気持ちを抱えたまま、東海道線で次の目的地掛川へ
実は昨夜、掛川の見どころの下調べをしている最中に、先月クロアチアに行った時の添乗員Oさんからメールを頂きました。旅行中大変お世話になって、メアド交換していたんです。実は彼女は掛川の人。すぐに、「今浜松にいて、明日掛川に行くんですよ」と返信。全く知らせていなかったので、彼女も驚いちゃって、「来週から添乗が入っているけれど、今週いっぱいは掛川にいるので、明日良かったらお会いしません?」と嬉しいお返事。全くの偶然なんですが、渡りに船っていう感じで待ち合わせてしまいました。
知らない初めての町で待ち合わせ というのも初体験。ワクワクドキドキ気分で掛川にやってまいりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
Oさんと駅前で待ち合わせ。すぐに落ち合うことができましたよ。約20日ぶりの再会です。
そして、早速見つけましたマンホール。お城と市の花であるキキョウがデザインされています。(磐田のベッコウトンボと比べると)とても分かりやすいですね。
ベッコウトンボについては、こちらをご覧くださいね。
http://4travel.jp/travelogue/11023946 -
駅前通りをまっすぐ進むと、すぐにお城が見えてきました。
磐田もそうだったけれど、駅前といっても歩いている人の数が少ない。とてもきれいに整備はされているけれど、生活臭が感じられない。平日の昼間とはいっても、活気がまるでないのが気になりました。閑散としています。 -
掛川城は、駿河の守護大名今川義忠が室町時代は文明年間(1469年〜1487年)に築いたものですが、その後山内一豊が戦国時代末期に10年間居城としたことで知られています。一豊は戦乱で傷んだ城の大修築を行い、三層の天守閣や大手門を建造、城下の整備や大井川の治水工事にも取り組みました。
しかし、安政元年(1854年)、この地を襲った大地震によりほとんどの建物は倒壊。その後は御殿などを除き再建されることがないまま明治を迎えました。現在の天守閣は、平成6年(1994年)、日本初の木造天守閣として「正保城絵図」に基づき復元されたものです。 -
「東海の名城」と呼ばれるにふさわしい、美しくて気品あふれる佇まいを見せてくれました。
-
お城は、標高50mほどの竜頭山の頂きにそびえています。では上っていきましょう。
-
Oさんとおしゃべりを楽しみながら上っていったので、周りの景色を楽しむ余裕はありませんでした。一度に一つのことしかできないんです。
でもここで大きな発見が! クロアチアのことなら、何でもご存じだったOさん、地元掛川については??? 案内してもらおうと思っていた私がバカでしたよ。(笑)まるで、陸に上がった船頭みたいでした。 -
掛川城は一層、二層目と比べて、三層目の望楼が小さいのが特徴だそうです。築城された1590年当時は、最上部は御殿のうえに載せた「物見やぐら」という性格が強かったためと思われます。
-
その「物見やぐら」からの眺めです。
高い場所は、どこも気持ちの良いものですねえ。初めて見る掛川の景色です。 -
城の北東に、こんもりとした紅葉が美しい森が見えました。あちらは、明暦2年(1656年)明暦2年、当時の掛川城主だった北条氏重が建立した、3代将軍徳川家光の位牌を祀る「天王山龍華院大猷院殿霊廟(てんのうざん りゅうげいん だいゆういんでん れいびょう) 」 うわぁ〜長い!だそうです。
今川義忠が最初に築いた城があった場所だそうで、掛川市の人は、天王山掛川古城と呼んで、区別しているんですって。 -
何枚も同じような写真が続きますが、実は遠くにぼんやりと富士山が写っているんです。この大きさでは分かりませんよね。同じ静岡県内なんですが、東京から見た富士山と同じくらいの大きさでした。
位置的には、正面やや右に見えている小高い山の中では一番高い峰 より少し右寄りです。さすがに富士山の位置については、Oさんご存知でした。 -
城の上からも気になっていたこの建物(2枚上の写真の一番手前に写っている屋根です)、これも擬洋風建築かしら? と思っていたら、なんと二宮尊徳の創唱した報徳の教えに基づく結社 大日本報徳社の本部だそうです。報徳社と言えば、小田原の二宮神社の隣にも、あったような記憶。
結社などという言葉は秘密結社以外に知らないので、どんな組織か興味津々。で調べてみました。
大辞泉によると、「二宮尊徳の思想を実践して、農村の更生をはかる結社。一種の農村信用組合運動の性格をもち、天保14年(1843年)小田原報徳社の結成に始まる。 」
とありました。やはり、小田原が発祥のようです。
報徳思想とは、小田原藩家老家の財政改革や下野国桜町の農村復興運動を指揮した二宮尊徳が、自身の思想を体系化した経済学説・思想の一つである。大日本報徳社の下部組織として全国の各地域、各職域に社団法人として「報徳社」が設置されており、大日本報徳社はそれらを統括する最上位組織として位置づけられている。(ウィキペディアより引用)
へぇ〜!! -
二宮尊徳の教えを受けた岡田佐平治という方が掛川の人だったというところから掛川に「最上位組織」が置かれたとのこと。現在の大日本報徳社社長は榛村純一氏。以前掛川市長だった方です。
私が注目したこの建物は、大講堂。漆喰壁、丸い窓は洋風、そして大きな屋根は間違いなく和風です。明治36年(1903年)に建築された講堂は、平成21年(2009年)に国の重要文化財の指定を受けたそうです。こちらは建物の裏側(掛川城側)の写真。 -
さて、Oさんとは、お城の天守閣を出て、モミジの中を二の丸美術館に向かいます。ちょうど、小学生の絵画展をやっていたのですが、地元でないので、あまり興味もわかず。
-
続いて、二の丸御殿の中を見学。前述の嘉永7年(1854年)の大地震後、天守閣は再建されることがなかったのですが、御殿は時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて建て替えられました。
このような御殿は、実のところ、全国に京都の二条城、高知城、川越城とこちら掛川城の4か所しか残っていないそうです。
廊下にも畳を敷き詰めた贅沢な造り! -
天守閣を眺められる好位置に庭園がありました。
-
自由に庭園に出入りできる証拠でもありますが、手前部分の足跡が気になりますな。
-
城主と奥方のみが利用できたという長囲炉裏の間。
天井には大田家正紋の桔梗と替紋の鏑矢紋があったそうですが、見逃してしまいました。 -
二の丸御殿を見た後は、ゆっくりお茶でも飲みましょうと、さらにその奥にある二の丸茶屋へ。
数寄屋造りの建物に併設されている庭園も趣がありました。今は葉が落ちてしまっている中央にある枝垂れ梅が咲く頃は、さぞかし美しいだろうと思われます。 -
ここから見る掛川城は、三層それぞれの大きさの調和がとれていて、正面から見たものとは違った魅力を感じました。
全体像が撮れなくて残念! -
隅々まで手入れの行き届いたお庭を愛でた後は・・・
-
こちらの茶室に通されて・・・
-
名産の掛川茶とお菓子を頂きます。
ここでゆっくりOさんとおしゃべりの続きをと目論んだのですが、先客の掛川在住の奥様が話しかけていらして、自分の生い立ちから家族のこと等々、延々と話し続けて一向にやむ気配がありません。
そこで、話が一息ついたところで、その奥様がしきりに勧めていらした、江戸時代から続く葛布問屋の屋敷だという「竹の丸」に行くと言って席を立つことにしました。
掛川在住のOさんもご存じない場所だそう(笑)。やれやれ・・・ -
掛川城二の丸を出ると、やはり気になるのは、お隣の大日本報徳社。塀の中に点在する建物すべてに惹かれてしまいます。
こちらの建物は、明治17年(1884年)に東京霞ヶ関に建てられた有栖川宮熾仁親王邸の建物の一部で、昭和13年(1938年)、宮内庁から下賜、移築された仰徳学寮。明治時代の木造建築、しかも宮家の建築! もし一人だったら、二の丸よりも先にこちらに向かっていたことでしょう。大日本報徳社恐るべし! -
この仰徳学寮の道を挟んで向かい側にあるのが、竹の丸です。結果的にはここ大正解でした。茶室のお喋り奥様に感謝です。
竹の丸は、掛川城の郭の一部で、防衛上重要拠点だったことから、江戸時代には家老などの屋敷が建てられていました。
現在の建物は、明治36年(1903年)に、江戸時代城下で葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が建てたものです。 -
葛布というのが何なのかわからなかったので、調べてみました。掛川では、山に自生する蔓性植物葛の繊維でつくった布地が特産品だったそうです。当時はその殆どが武士の衣服として使われ、直垂や袴、合羽などに仕立てられました。それで財を成したのが松本家なんですね。
竹の丸の門前には、お正月にはまだ1か月近くありますが、門松?が飾ってありました。 -
ね! お正月が来たみたいに豪華でしょ!
-
日がだいぶ傾いてきました。
このタイプのお屋敷は初めてかなという予感がしました。中央の木の名前はヒバ。江戸時代からあったそうです。こういう種類の木を玄関前に持ってくるということ自体斬新なアイディア。
左側に庭に通じる門がありました。その時びっくりしたことが!
先ほどの茶室の奥様が私たちを追いかけていらしたのです。
「ほら! 言ったでしょ。良いところだって!」そう言いながら、「お庭を見せて頂戴ね」と受付に言い残して、一人でお庭に入って行かれました。この辺りの顔なのでしょうね。 -
昭和11年(1936年)、松本家の移転により、屋敷は掛川市に寄贈され、現在でも市が管理しているそうです。
こちらは、中書院から眺めた庭の見事な紅葉です。 -
煌びやかな部分はなく、一見とても地味な屋敷ですが、ちらっと見える離れのベランダだけ異彩を放っています。ベランダの支えが変わっていますね。初めて見るものです。
-
こちらは、1階離れ座敷から眺めた中庭です。まさに絶景。ここでお喋りなんてとんでもない。声も出ません。
「なんて贅沢な時間なんでしょうね・・・」それが私たちの会話の全てでした。
モミジの奥に、玄関前にもあったヒバが見えています。 -
例によって、水彩ヴァージョンと
-
トイカメラヴァージョンの登場です。
-
離れの2階に上がりました。先ほどと同じ風景も、見下ろすとまた違った味わいがあります。
-
大正9年(1920年)から翌10年にかけて、離れが平屋から2階建てに増築されたそうです。
-
イチオシ
先ほど、下から見上げた、ベランダのついた洋間にやってきました。
ステンドグラスをはめ込んだ欄間が見事です。床柱には黒檀を使っています。 -
ベランダには入れないので、ぎりぎりまで足を踏み出すと、ご覧の景色が目に飛び込んできます。庭園が炎に包まれたように真っ赤です。
ここからも、気になる建物大日本報徳社の大講堂の甍が目に付きました。 -
いや、待てよ。ベランダ右側のモミジを写そうと角度を変えてみたら・・・
-
掛川城の天守閣が幻のように現れました。完璧!
この屋敷が作られた時代、天守閣はなかったはずなのに。 -
イチオシ
もう一度、部屋の中から、天守閣を入れた写真を撮ってみました。迫力のあるモミジでしょう?
-
最後に、庭を少しだけ歩きました。先ほどいた、離れの2階を眺めます。お喋り奥様のおかげで、当初の予定になかった「竹の丸」の存在を知り、充実した時間を過ごすことが出来ました。感謝感激です。
-
こんなところに住んでみたいなと思わせる、質の良い空間を後にします。
さて、お次は喋りの時間。結局、Oさんがよく通っている、近くの中央図書館の談話室で、思いっきり喋らせてもらいました。 -
その中央図書館の前には、気になって仕方のない大日本報徳社の講堂がありました。こちらは、表玄関の方角です。掛川を再度訪れる機会を作るとしましょう。
-
図書館を出ると、もう真っ暗! 今日の最後の写真は、これまた大日本報徳社の、昭和2年(1927年)に建築された淡山翁(たんざんおう)報徳図書館です。掛川市中央図書館の真ん前にありました。
県内最古の民間による図書館で、アールデコ様式の外観が目立ちます。いやあ、参りました。大日本報徳社さん。また伺いますよ。
というわけで、駅までOさんに車で送っていただき、無事浜松に帰ってまいりました。
明日は最終日。天竜二俣に参りますよ。この続きは、遠州せんちめんたるじゃーにー 曳馬野の風を感じて (7)天竜二俣その1で。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
43