金沢旅行記(ブログ) 一覧に戻る
少し前の旅行記です。遅筆ゆえ、まとめるのに時間がかかって、気が付いたらもう1年半前になっていました。まだまだアップしていない旅行記があるのですが、精一杯これから頑張ります。<br /><br />飛行機とホテルがセットになったプランを初めて利用しましたが、行きの羽田発が13:05、四日目の帰り小松発が11時台と、まことに使い勝手の悪いフライトで、実質使えたのは中2日間のみでした。(もう利用しないぞ!!)この年はいつまでも暑く、台風が異常に発生して、出発の日も能登半島が台風の進路に当たっていました。いつもいつもハラハラさせられますが、結局無事終了と相成るので、運が良いのか悪いのか、自分でもわからなくなります。<br /><br />日程表<br />10月9日(水) 東京→小松→金沢<br />10月10日(木)金沢<br />10月11日(金)金沢→能登半島→金沢<br />10月12日(土)金沢→小松→東京<br /><br />さて、あくる日。天気予報では今日一杯は晴天に恵まれそうですが、明日以降は雨の予報・・・ショボン・・・ 4日間で晴れはたった1日!! そこで、今日しか時間が取れない金沢の街を効率的に廻る方法として、今回金沢レンタサイクル まちのり を利用させていただきました。詳細はこちら。http://www.machi-nori.jp/<br /><br />金沢市内に19の貸出ポート(駐輪場)があって、最初にクレジットカードで登録を済ませれば、どこで借りようと返そうと自由自在というシステムが気に入りました。このようなシステム、ヨーロッパでは広く取り入れられていますが、日本ではまだまだ少ないのではないかなあ。1回あたり30分以内で移動できるところまで利用して、都度近いポートに返却すれば基本料金200円以外はかかりません。1回30分を超える利用がなければ、1日複数回使っても200円で済みます。金沢の街はそんなに広くはないので、30分も走れば必ずポートがあります。特に観光名所のそばには必ずといっていいほどありました。自転車にはポートの所在地の書かれた金沢市内の地図が完備されているので、初心者でもあまり迷うことなく利用することができました(あまり・・・というのは、少しは迷ったという意味です。ハイ)。<br /><br />金沢駅近くの貸出ポートで手続きを済ませ、いざ出発です。<br /><br /><br /><br /><br />

小松、金沢、能登急ぎ足のたび その2 金沢

19いいね!

2013/10/10 - 2013/10/10

1532位(同エリア4778件中)

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junemay

junemayさん

少し前の旅行記です。遅筆ゆえ、まとめるのに時間がかかって、気が付いたらもう1年半前になっていました。まだまだアップしていない旅行記があるのですが、精一杯これから頑張ります。

飛行機とホテルがセットになったプランを初めて利用しましたが、行きの羽田発が13:05、四日目の帰り小松発が11時台と、まことに使い勝手の悪いフライトで、実質使えたのは中2日間のみでした。(もう利用しないぞ!!)この年はいつまでも暑く、台風が異常に発生して、出発の日も能登半島が台風の進路に当たっていました。いつもいつもハラハラさせられますが、結局無事終了と相成るので、運が良いのか悪いのか、自分でもわからなくなります。

日程表
10月9日(水) 東京→小松→金沢
10月10日(木)金沢
10月11日(金)金沢→能登半島→金沢
10月12日(土)金沢→小松→東京

さて、あくる日。天気予報では今日一杯は晴天に恵まれそうですが、明日以降は雨の予報・・・ショボン・・・ 4日間で晴れはたった1日!! そこで、今日しか時間が取れない金沢の街を効率的に廻る方法として、今回金沢レンタサイクル まちのり を利用させていただきました。詳細はこちら。http://www.machi-nori.jp/

金沢市内に19の貸出ポート(駐輪場)があって、最初にクレジットカードで登録を済ませれば、どこで借りようと返そうと自由自在というシステムが気に入りました。このようなシステム、ヨーロッパでは広く取り入れられていますが、日本ではまだまだ少ないのではないかなあ。1回あたり30分以内で移動できるところまで利用して、都度近いポートに返却すれば基本料金200円以外はかかりません。1回30分を超える利用がなければ、1日複数回使っても200円で済みます。金沢の街はそんなに広くはないので、30分も走れば必ずポートがあります。特に観光名所のそばには必ずといっていいほどありました。自転車にはポートの所在地の書かれた金沢市内の地図が完備されているので、初心者でもあまり迷うことなく利用することができました(あまり・・・というのは、少しは迷ったという意味です。ハイ)。

金沢駅近くの貸出ポートで手続きを済ませ、いざ出発です。




旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)

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  • ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ 金沢♪<br /><br />JR金沢駅の巨大なガラスドームを通って自転車ポートへと向かいます。写真中央奥にあるのは、鼓門(つづみもん)。そうそう、日本の伝統的な鼓の形をしています。

    ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ 金沢♪

    JR金沢駅の巨大なガラスドームを通って自転車ポートへと向かいます。写真中央奥にあるのは、鼓門(つづみもん)。そうそう、日本の伝統的な鼓の形をしています。

  • 自転車に乗って、知らない街をひた走ります。旧専売公社工場だった金沢市立玉川図書館脇を抜けて・・・

    自転車に乗って、知らない街をひた走ります。旧専売公社工場だった金沢市立玉川図書館脇を抜けて・・・

  • あっという間に長町の大野庄用水沿いの道に出ました。

    あっという間に長町の大野庄用水沿いの道に出ました。

  • この用水は今から400年以上前に作られた金沢では最も古い用水路で、生活用水のみならず金沢城築城の際の物資運搬、水車小屋の動力、庭園への引込水等々、様々な用途に使用されてきたそうです。

    この用水は今から400年以上前に作られた金沢では最も古い用水路で、生活用水のみならず金沢城築城の際の物資運搬、水車小屋の動力、庭園への引込水等々、様々な用途に使用されてきたそうです。

  • 駅からの所要時間約20分。ポートに自転車を止め、今度は徒歩で街を歩きます。ここでさっそく失敗! 自転車をポートに返す時には、空いている駐輪装置に前輪をガチッと音がするまで差し込む必要がありますが、どうやら差し込みが中途半端だったようです。そのままにしておくと、規定の30分を超過してしまい、追加料金が発生するのですが、その前にわざわざご親切にもまちのり事務局の方から電話をいただきました。おかげで返却ミスが判明。すぐに対応していただき、恐縮です。その節はお世話になりましたぁ!

    駅からの所要時間約20分。ポートに自転車を止め、今度は徒歩で街を歩きます。ここでさっそく失敗! 自転車をポートに返す時には、空いている駐輪装置に前輪をガチッと音がするまで差し込む必要がありますが、どうやら差し込みが中途半端だったようです。そのままにしておくと、規定の30分を超過してしまい、追加料金が発生するのですが、その前にわざわざご親切にもまちのり事務局の方から電話をいただきました。おかげで返却ミスが判明。すぐに対応していただき、恐縮です。その節はお世話になりましたぁ!

  • 平日のせいか、観光客は少なめでしたが、修学旅行生をずいぶん見かけました。黄色い土塀が大野庄用水の中にも映り込んでいて、いやあ情緒深い!

    平日のせいか、観光客は少なめでしたが、修学旅行生をずいぶん見かけました。黄色い土塀が大野庄用水の中にも映り込んでいて、いやあ情緒深い!

  • はっきりいって、背後の北國新聞が邪魔ですねえ。

    はっきりいって、背後の北國新聞が邪魔ですねえ。

  • 金沢一の繁華街香林坊の近くなので、どう写してもビルは入ってしまいます。

    金沢一の繁華街香林坊の近くなので、どう写してもビルは入ってしまいます。

  • 黄色い土塀の続く武家屋敷街をそぞろ歩き。

    黄色い土塀の続く武家屋敷街をそぞろ歩き。

  • 電柱のないスッキリとした街並み。良いですねえ。

    電柱のないスッキリとした街並み。良いですねえ。

  • 人っ子一人いない道を独占! この辺りはかつての中級藩士達の住処だったようですが、今でも普通に生活が営まれています。ゴミひとつ落ちていません。みなさんまめに清掃されているのでしょうね。感激です。

    人っ子一人いない道を独占! この辺りはかつての中級藩士達の住処だったようですが、今でも普通に生活が営まれています。ゴミひとつ落ちていません。みなさんまめに清掃されているのでしょうね。感激です。

  • こちらは、旧加賀藩士桑島家長屋門。出窓になっている武者窓は、又首(さす)という工法を用いています。又首とは、頂部で緊結した柱と柱を交差させ、梁や桁の両端に「差し込んだ」構造のことを言うのだそうですが、なんのこっちゃ? 合掌造りが典型的な例なんですって。立体感のある形状が興味をひきます。

    こちらは、旧加賀藩士桑島家長屋門。出窓になっている武者窓は、又首(さす)という工法を用いています。又首とは、頂部で緊結した柱と柱を交差させ、梁や桁の両端に「差し込んだ」構造のことを言うのだそうですが、なんのこっちゃ? 合掌造りが典型的な例なんですって。立体感のある形状が興味をひきます。

  • 台風一過。良く晴れてくれました。眩しい!

    台風一過。良く晴れてくれました。眩しい!

  • 武家屋敷町には所々にこのような小さな庭が残っていたりします。

    武家屋敷町には所々にこのような小さな庭が残っていたりします。

  • 香林坊の裏通りに出ました。こちらの通りも、用水とともに歩んできたようです。喫茶店やレストランが軒を連ねているこの通り、地元の人はせせらぎ通りと呼んでいます。

    香林坊の裏通りに出ました。こちらの通りも、用水とともに歩んできたようです。喫茶店やレストランが軒を連ねているこの通り、地元の人はせせらぎ通りと呼んでいます。

  • 再びせせらぎ通りから大野庄用水のある通りに向けて右折します。

    再びせせらぎ通りから大野庄用水のある通りに向けて右折します。

  • 長町武家屋敷跡と書かれた看板がありました。この中にある「たろう」という羊羹のお店。とても美味しいですよ。どう見ても、食べてからでさえチョコレートにしか見えない(思えない)羊羹が人気です。

    長町武家屋敷跡と書かれた看板がありました。この中にある「たろう」という羊羹のお店。とても美味しいですよ。どう見ても、食べてからでさえチョコレートにしか見えない(思えない)羊羹が人気です。

  • こちらは、前田利家公が金沢に入城された時以来の家来である野村伝兵衛信貞家の屋敷。禄高千二百石と表札に書かれていますね。千石以上の武家はどの大名家であっても、政策中枢にあって藩の経営を担っていたといわれていますから、屋敷の敷地は1000坪余りと立派。<br /><br />野村家自慢の曲水の庭は、アメリカの雑誌ランキングでで日本の庭の中で足立美術館、桂離宮に次いで3位、ミシュランでも二つ☆を獲得したとの説明書きがありました。

    こちらは、前田利家公が金沢に入城された時以来の家来である野村伝兵衛信貞家の屋敷。禄高千二百石と表札に書かれていますね。千石以上の武家はどの大名家であっても、政策中枢にあって藩の経営を担っていたといわれていますから、屋敷の敷地は1000坪余りと立派。

    野村家自慢の曲水の庭は、アメリカの雑誌ランキングでで日本の庭の中で足立美術館、桂離宮に次いで3位、ミシュランでも二つ☆を獲得したとの説明書きがありました。

  • 野村家は時間があったら入ることにして、先に行きましょう。立派な長屋門が続きます。

    野村家は時間があったら入ることにして、先に行きましょう。立派な長屋門が続きます。

  • 中でも立派だったのが、こちらの高田家の長屋門です。間口が9間半と言いますからなんと17m!

    中でも立派だったのが、こちらの高田家の長屋門です。間口が9間半と言いますからなんと17m!

  • 高田家の禄高は550石だったそうですが、1200石の野村家が上級クラスだとすれば、やはり中級武士というランクのようです。禄高は藩の規模によって、かなりの差があったようです。1万石の大名と加賀100万石では処遇も全く違いました。調べてみたら、家来の中でも最高職の家老の平均禄高が287.5石の藩もありました。さすが加賀100万石!お金持ちだったのですね。<br /><br />お庭が無料開放されていたので、入ってみました。<br />

    高田家の禄高は550石だったそうですが、1200石の野村家が上級クラスだとすれば、やはり中級武士というランクのようです。禄高は藩の規模によって、かなりの差があったようです。1万石の大名と加賀100万石では処遇も全く違いました。調べてみたら、家来の中でも最高職の家老の平均禄高が287.5石の藩もありました。さすが加賀100万石!お金持ちだったのですね。

    お庭が無料開放されていたので、入ってみました。

  • 現在屋敷はありません。門の内側は厩になっていました。

    現在屋敷はありません。門の内側は厩になっていました。

  • こちらがその庭園。大野庄用水から水を引き入れた見事な池泉回遊式庭園が広がっていました。

    こちらがその庭園。大野庄用水から水を引き入れた見事な池泉回遊式庭園が広がっていました。

  • 続いて訪れたのが足軽資料館。1994年まで実際に足軽の子孫の方が住んでいた家を移築したものだそうです。家の周りに清楚な生垣を巡らせた家が2軒あり、こちらが清水家。

    続いて訪れたのが足軽資料館。1994年まで実際に足軽の子孫の方が住んでいた家を移築したものだそうです。家の周りに清楚な生垣を巡らせた家が2軒あり、こちらが清水家。

  • そしてこちらが高西家です。中には、足軽の生活の資料が展示されています。家はコンパクトな造りですが、家族だけで住むのであれば十分な広さ。生垣の中には、植木が植わった小さな庭までありました。

    そしてこちらが高西家です。中には、足軽の生活の資料が展示されています。家はコンパクトな造りですが、家族だけで住むのであれば十分な広さ。生垣の中には、植木が植わった小さな庭までありました。

  • 道を戻り、再び武家屋敷街の瀟洒な路地を進みます。

    道を戻り、再び武家屋敷街の瀟洒な路地を進みます。

  • さりげなく、曲水 蛍の里 Galleryという看板を出している民家発見。

    さりげなく、曲水 蛍の里 Galleryという看板を出している民家発見。

  • 大野庄用水沿いの立派なお屋敷。黒々とした瓦が陽に映えてきらきらしていました。

    大野庄用水沿いの立派なお屋敷。黒々とした瓦が陽に映えてきらきらしていました。

  • 次なる建物は、金沢市老舗記念館。かつての老舗薬屋中尾家の屋敷が寄贈されたのを受け、金沢市が整備復元したものです。中屋家は、天正7年(1579年)から続く、藩主から御殿薬の処方を拝領した老舗名門ですが、この建物自体は明治11年(1878年)築ということですから、135年前のものということになります。(入場料100円)

    次なる建物は、金沢市老舗記念館。かつての老舗薬屋中尾家の屋敷が寄贈されたのを受け、金沢市が整備復元したものです。中屋家は、天正7年(1579年)から続く、藩主から御殿薬の処方を拝領した老舗名門ですが、この建物自体は明治11年(1878年)築ということですから、135年前のものということになります。(入場料100円)

  • 1階には、薬舗が再現され、資料などが置かれています。明治の作らしく、薬箪笥にはガラス扉が、背後のガラスの引き戸共々当時としては大変モダンだったんでしょうね。

    1階には、薬舗が再現され、資料などが置かれています。明治の作らしく、薬箪笥にはガラス扉が、背後のガラスの引き戸共々当時としては大変モダンだったんでしょうね。

  • 「おえの間」は客人の上り口として使われていました。今は優美な花暖簾が、風になびいています。

    「おえの間」は客人の上り口として使われていました。今は優美な花暖簾が、風になびいています。

  • 藁で作られた立派な宝船があった座敷に・・・

    藁で作られた立派な宝船があった座敷に・・・

  • 続く書院の間。

    続く書院の間。

  • 書院の間の縁側からお庭を眺めることができます。

    書院の間の縁側からお庭を眺めることができます。

  • 今回の表紙に使ったこの花神輿、実はこれ、すべてお菓子でできているんですって! 綺麗ですねえ。金沢の持つ伝統工芸の技の一端を見た気がしました。

    今回の表紙に使ったこの花神輿、実はこれ、すべてお菓子でできているんですって! 綺麗ですねえ。金沢の持つ伝統工芸の技の一端を見た気がしました。

  • 金沢に嫁に行くのは大変だなあと感心したのがこちら。結納セットの展示です。通常の結納の品に加えて、父上様、母上様、お兄様、お姉さま、お祖父上様、お祖母上様と書かれた品々、一体どんなものが入っていたんでしょうねえ。

    金沢に嫁に行くのは大変だなあと感心したのがこちら。結納セットの展示です。通常の結納の品に加えて、父上様、母上様、お兄様、お姉さま、お祖父上様、お祖母上様と書かれた品々、一体どんなものが入っていたんでしょうねえ。

  • 大変優美な加賀伝統の水引細工、

    大変優美な加賀伝統の水引細工、

  • そして、こちらも初めて見るお目出度い席でのお菓子のセット。中でも私の目は黄色いお菓子にくぎ付け! このお菓子はえがら饅頭。くちなしの黄色で染めたモチ米の中に餡が入っている饅頭で、早速その夕に市内の越山甘清堂でお買い上げ。柔らかくてとても口当たりの良い、美味しいおまんじゅうでしたよ。私は頂くのならこれが一番嬉しいです。はい。

    そして、こちらも初めて見るお目出度い席でのお菓子のセット。中でも私の目は黄色いお菓子にくぎ付け! このお菓子はえがら饅頭。くちなしの黄色で染めたモチ米の中に餡が入っている饅頭で、早速その夕に市内の越山甘清堂でお買い上げ。柔らかくてとても口当たりの良い、美味しいおまんじゅうでしたよ。私は頂くのならこれが一番嬉しいです。はい。

  • こちらも、金沢名物車麩です。小麦のグルテンを直火で焼いては巻き、焼いては巻きして、作ったものだそうです。食いしん坊なので、伝統工芸も食品にしか目が向きません。<br /><br />この他、金沢の老舗に伝わる道具や工芸品を見ることができ(写真は食べ物のみ!)、なかなか楽しい時間を過ごせましたよ。

    こちらも、金沢名物車麩です。小麦のグルテンを直火で焼いては巻き、焼いては巻きして、作ったものだそうです。食いしん坊なので、伝統工芸も食品にしか目が向きません。

    この他、金沢の老舗に伝わる道具や工芸品を見ることができ(写真は食べ物のみ!)、なかなか楽しい時間を過ごせましたよ。

  • さあてと、ドピーカンの金沢を自転車に乗って次なる目的地に移動です。

    さあてと、ドピーカンの金沢を自転車に乗って次なる目的地に移動です。

  • 犀川にかかる犀川大橋を渡って、やってきたのはにし茶屋街です。バスを待つ必要がなく、最短時間で移動できるので、自転車って優れものですよ。<br /><br />犀川といえば、思い出すのはこの川をこよなく愛した室生犀星。彼の記念館もこの犀川大橋を渡った先にあるのですが、今日は訪れる暇はなさそうです。

    犀川にかかる犀川大橋を渡って、やってきたのはにし茶屋街です。バスを待つ必要がなく、最短時間で移動できるので、自転車って優れものですよ。

    犀川といえば、思い出すのはこの川をこよなく愛した室生犀星。彼の記念館もこの犀川大橋を渡った先にあるのですが、今日は訪れる暇はなさそうです。

  • 1820年に開かれたというにし茶屋街は、古い建物が残っていないため、いわゆるがっかり名所らしいのですが、今でも芸妓さんの数は一番多いそうです。<br /><br />電信柱もなく、ここだけぽっかり浮いた異次元空間のようです。

    1820年に開かれたというにし茶屋街は、古い建物が残っていないため、いわゆるがっかり名所らしいのですが、今でも芸妓さんの数は一番多いそうです。

    電信柱もなく、ここだけぽっかり浮いた異次元空間のようです。

  • 茶屋の軒先には、今週末行われる新内流しのポスターが貼ってありました。東京へ帰る日なので、残念ながら見ることができません。そういえば、何年か前、富山のおわら風の盆でも、せっかく八尾まで行ったのに、直前に夕立が降り、中止になったことを思い出してしまいました。雨は三味線の大敵だそうで、仕方がないですね。晴れることを祈りましょう。<br /><br />新内流しは、ポスターの通り、二人一組で、普通三味線とそれより音の高い上調子という2挺の三味線を弾き合わせながら街頭を歩き、お客さんの求めに応じて、哀しい女性の人生を唄う新内節を語って聞かせるものだそうです。

    茶屋の軒先には、今週末行われる新内流しのポスターが貼ってありました。東京へ帰る日なので、残念ながら見ることができません。そういえば、何年か前、富山のおわら風の盆でも、せっかく八尾まで行ったのに、直前に夕立が降り、中止になったことを思い出してしまいました。雨は三味線の大敵だそうで、仕方がないですね。晴れることを祈りましょう。

    新内流しは、ポスターの通り、二人一組で、普通三味線とそれより音の高い上調子という2挺の三味線を弾き合わせながら街頭を歩き、お客さんの求めに応じて、哀しい女性の人生を唄う新内節を語って聞かせるものだそうです。

  • こちらの茶屋は昼間は喫茶店になっていました。木虫籠(きむしこ あるいは きむすこ)と呼ばれる出格子が美しいですねえ。1本1本の格子は切り口が台形の形で、外側に長い方の辺が向いています。そのため、中からは見やすく、外からは見えにくいという特徴があるそうです。<br /><br />ところで、弁柄格子のベンガラって、インドのベンガル地方産の赤い塗料が語源ということご存知でしたか?<br />私は、今回ここの資料館で聞いて、初めて知りました。ほぉー!

    こちらの茶屋は昼間は喫茶店になっていました。木虫籠(きむしこ あるいは きむすこ)と呼ばれる出格子が美しいですねえ。1本1本の格子は切り口が台形の形で、外側に長い方の辺が向いています。そのため、中からは見やすく、外からは見えにくいという特徴があるそうです。

    ところで、弁柄格子のベンガラって、インドのベンガル地方産の赤い塗料が語源ということご存知でしたか?
    私は、今回ここの資料館で聞いて、初めて知りました。ほぉー!

  • さて、お邪魔したのは、そのにし茶屋資料館。かつての茶屋「吉米楼」跡に、茶屋造りを再現したものだそうです。作家島田清次郎の生家とのことですが、不勉強ゆえ全く存じ上げない方です。よって、1階の彼に関する展示はパス!<br /><br />2階には、オーストラリア、香港など外国人観光客が何組か訪れていて、ヴォランティアガイドさんが得意の英語?を披露している最中でした。<br /><br />

    さて、お邪魔したのは、そのにし茶屋資料館。かつての茶屋「吉米楼」跡に、茶屋造りを再現したものだそうです。作家島田清次郎の生家とのことですが、不勉強ゆえ全く存じ上げない方です。よって、1階の彼に関する展示はパス!

    2階には、オーストラリア、香港など外国人観光客が何組か訪れていて、ヴォランティアガイドさんが得意の英語?を披露している最中でした。

  • なんといっても朱塗りの壁が目に鮮やかですね。部屋の隅に太鼓や鼓が置かれていて、茶屋の雰囲気を味わうことができます。<br /><br />かつて、芸妓さんたちは10歳になるかならないかの頃から一人前の芸妓を夢見て、使い走りなどをしながら稽古に励んでいたそうです。説明書きを一通り読んではみましたが、茶屋と遊郭の違いもほとんど理解できぬままに出てきてしまいました。芸妓さんには興味あるけれど、茶屋遊びにはさっぱり関心が持てませぬ。

    なんといっても朱塗りの壁が目に鮮やかですね。部屋の隅に太鼓や鼓が置かれていて、茶屋の雰囲気を味わうことができます。

    かつて、芸妓さんたちは10歳になるかならないかの頃から一人前の芸妓を夢見て、使い走りなどをしながら稽古に励んでいたそうです。説明書きを一通り読んではみましたが、茶屋と遊郭の違いもほとんど理解できぬままに出てきてしまいました。芸妓さんには興味あるけれど、茶屋遊びにはさっぱり関心が持てませぬ。

  • にし茶屋街は長さにして100mほど。あっという間に終わってしまいます。

    にし茶屋街は長さにして100mほど。あっという間に終わってしまいます。

  • その終点にあったのが、こちらの西検番事務所。街並みと全く合わない和洋折衷の建物で、大正時代に芸妓さんたちの稽古場兼管理事務所として建築されたのだそうです。<br /><br />玄関ポーチの装飾が変わっていて面白いですが、なぜこのような建物にしたのか、する必要があったのか、答えてくれる人はいませんでした。当時の流行なのでしょうか? 西検番事務所は国の登録有形文化財に指定されているそうです。

    その終点にあったのが、こちらの西検番事務所。街並みと全く合わない和洋折衷の建物で、大正時代に芸妓さんたちの稽古場兼管理事務所として建築されたのだそうです。

    玄関ポーチの装飾が変わっていて面白いですが、なぜこのような建物にしたのか、する必要があったのか、答えてくれる人はいませんでした。当時の流行なのでしょうか? 西検番事務所は国の登録有形文化財に指定されているそうです。

  • 真昼間に来ても、茶屋街の情緒を窺うことはできませんでしたが、古くからの文化は後に繋いでいきたいですね。

    真昼間に来ても、茶屋街の情緒を窺うことはできませんでしたが、古くからの文化は後に繋いでいきたいですね。

  • 明かりが灯るころになると、この建物の雰囲気もがらりと変わるのでしょうね。やはり、昼と夜の二度訪れるべきだと思いました。午後行く予定のひがし茶屋街は、夕方以降の訪問とすることにしましょう。

    明かりが灯るころになると、この建物の雰囲気もがらりと変わるのでしょうね。やはり、昼と夜の二度訪れるべきだと思いました。午後行く予定のひがし茶屋街は、夕方以降の訪問とすることにしましょう。

  • 雨戸の戸袋が凝った造りになっていますよ。

    雨戸の戸袋が凝った造りになっていますよ。

  • さて、にし茶屋街を出て、県道45号線の蛤坂を過ぎると、両側に寺が立ち並ぶ寺町になります。寺町の寺院群は、江戸時代に一向一揆対策としてここに集められたとありました。ここ寺町以外にも、小立野、卯辰山に寺院群があるそうです。<br /><br />写真は、撮り方が悪いので、なんのことかわからないでしょうが、土塀を破って道路まで枝を伸ばした有名な桜だそうで、「頭上注意」という大きな看板がたっていました。松月寺という寺の桜です。

    さて、にし茶屋街を出て、県道45号線の蛤坂を過ぎると、両側に寺が立ち並ぶ寺町になります。寺町の寺院群は、江戸時代に一向一揆対策としてここに集められたとありました。ここ寺町以外にも、小立野、卯辰山に寺院群があるそうです。

    写真は、撮り方が悪いので、なんのことかわからないでしょうが、土塀を破って道路まで枝を伸ばした有名な桜だそうで、「頭上注意」という大きな看板がたっていました。松月寺という寺の桜です。

  • こちらは、金沢の地名の由来にもなった芋堀藤五郎を開祖としている伏見寺。実はごく最近芋堀藤五郎の話を聞いたので、長くなりますが聞いてください。<br /><br />大和に住む長者夫婦がある晩揃って同じ夢をみて、娘の婿に相応しい人は加賀の国の藤五郎という男だというお告げを聞いたのです。そこで夫婦は娘を連れて旅に出て、加賀の国で芋を掘っては市場で売ってその日暮らしをしている藤五郎と結婚させました。<br /><br />藤五郎は欲が全くない男で、結婚後も以前と変わらぬ生活をしていましたが、ある時娘の実家から何かと物入りだろうと金(きん)が送られてきました。娘は、藤五郎に市場でこれこれしかじかの物を買ってきてほしいと頼みましたが、藤五郎は芋堀の邪魔になるといって、それをすべて捨ててきてしまったのです。これにはさすがの娘も嘆き悲しみ、夫をなじりました。すると藤五郎は、「こんなものなら、いつも芋を洗っている沢にたくさんある」と言い、娘をその沢に連れて行ったのでした。<br /><br />娘がその沢で見たものは、そう、砂金の山だったのです。そしてその地が金沢の地名の由来になったというお話です。藤五郎夫婦はお金持ちになりましたが、その後も相変わらず芋を掘って生活したとのことです。しゃんしゃん。そんな性格の藤五郎を寺の開祖としている伏見寺でした。

    こちらは、金沢の地名の由来にもなった芋堀藤五郎を開祖としている伏見寺。実はごく最近芋堀藤五郎の話を聞いたので、長くなりますが聞いてください。

    大和に住む長者夫婦がある晩揃って同じ夢をみて、娘の婿に相応しい人は加賀の国の藤五郎という男だというお告げを聞いたのです。そこで夫婦は娘を連れて旅に出て、加賀の国で芋を掘っては市場で売ってその日暮らしをしている藤五郎と結婚させました。

    藤五郎は欲が全くない男で、結婚後も以前と変わらぬ生活をしていましたが、ある時娘の実家から何かと物入りだろうと金(きん)が送られてきました。娘は、藤五郎に市場でこれこれしかじかの物を買ってきてほしいと頼みましたが、藤五郎は芋堀の邪魔になるといって、それをすべて捨ててきてしまったのです。これにはさすがの娘も嘆き悲しみ、夫をなじりました。すると藤五郎は、「こんなものなら、いつも芋を洗っている沢にたくさんある」と言い、娘をその沢に連れて行ったのでした。

    娘がその沢で見たものは、そう、砂金の山だったのです。そしてその地が金沢の地名の由来になったというお話です。藤五郎夫婦はお金持ちになりましたが、その後も相変わらず芋を掘って生活したとのことです。しゃんしゃん。そんな性格の藤五郎を寺の開祖としている伏見寺でした。

  • 寺町はかなりの高台にあります。寺町5丁目の信号から桜橋に向かう新桜坂あたりから金沢市中心部方面を撮った1枚です。

    寺町はかなりの高台にあります。寺町5丁目の信号から桜橋に向かう新桜坂あたりから金沢市中心部方面を撮った1枚です。

  • 再び犀川を渡ります。ただいま桜橋通過中。

    再び犀川を渡ります。ただいま桜橋通過中。

  • 金沢が誇る21世紀美術館の前を通ります。こちらは後ほど訪問します。

    金沢が誇る21世紀美術館の前を通ります。こちらは後ほど訪問します。

  • 道路の向かい側には、石浦神社。金沢最古の宮ですが、神仏混合により、平安時代には寺、江戸時代には石浦大権現だったそうです。<br /><br />日本の神様が仏教に取り入れられた場合には、「権現」とか「八幡菩薩」といった名称がつくことが多いですよね。この権現とは、「かりにあらわれる」という意味だそうで、仏様が日本の神様の姿をかりて、姿を変えて現れることなのだそうです。<br />昨日の小松でも書きましたが、神仏が渾然一体となっていたところの明治初期の廃仏毀釈。ひどい混乱を引き起こしたでしょうね。無理やり神社にしたり、寺にしたり、敷地を半分こして寺社を建てたり・・・<br /><br />そのうち調べてみたいテーマです。(って口だけで終わることがほとんどですが・・・)<br />

    道路の向かい側には、石浦神社。金沢最古の宮ですが、神仏混合により、平安時代には寺、江戸時代には石浦大権現だったそうです。

    日本の神様が仏教に取り入れられた場合には、「権現」とか「八幡菩薩」といった名称がつくことが多いですよね。この権現とは、「かりにあらわれる」という意味だそうで、仏様が日本の神様の姿をかりて、姿を変えて現れることなのだそうです。
    昨日の小松でも書きましたが、神仏が渾然一体となっていたところの明治初期の廃仏毀釈。ひどい混乱を引き起こしたでしょうね。無理やり神社にしたり、寺にしたり、敷地を半分こして寺社を建てたり・・・

    そのうち調べてみたいテーマです。(って口だけで終わることがほとんどですが・・・)

  • 金沢21世紀美術館の真ん前にあるこちらは、しいのき迎賓館。元は県庁だった建物です。現在は多目的施設となっていますが、いかにもお役所という建物ですね。

    金沢21世紀美術館の真ん前にあるこちらは、しいのき迎賓館。元は県庁だった建物です。現在は多目的施設となっていますが、いかにもお役所という建物ですね。

  • 21世紀美術館前の広い通り(県道10号線)は香林坊へと続きます。<br /><br />しいのき迎賓館に隣接するは、煉瓦造りのかつては旧制四高だった石川四高記念館並びに石川近代文学館。この建物は国の重要文化財に指定されています。<br /><br />時間があれば、レトロな内部を見学したかったのですが、今回はお預けかな。

    21世紀美術館前の広い通り(県道10号線)は香林坊へと続きます。

    しいのき迎賓館に隣接するは、煉瓦造りのかつては旧制四高だった石川四高記念館並びに石川近代文学館。この建物は国の重要文化財に指定されています。

    時間があれば、レトロな内部を見学したかったのですが、今回はお預けかな。

  • にぎやかな香林坊には目もくれず、ペダルをこいでやってきたのはこちらの、加賀藩の藩祖前田利家公をお祀りした尾山神社。にし茶屋街を出てから30分ぎりぎりでなんとかセーフ!<br /><br />

    にぎやかな香林坊には目もくれず、ペダルをこいでやってきたのはこちらの、加賀藩の藩祖前田利家公をお祀りした尾山神社。にし茶屋街を出てから30分ぎりぎりでなんとかセーフ!

  • これこれ、これですよ。こんな奇妙な塔がついた神社見たことありませんもの。奇妙な門とは失礼な!と言われそうですが、この位置から見たら、とても神社とは思えません。

    これこれ、これですよ。こんな奇妙な塔がついた神社見たことありませんもの。奇妙な門とは失礼な!と言われそうですが、この位置から見たら、とても神社とは思えません。

  • 正しくは神門というのだそうです。創建は割と新しく1875年(明治8年)。棟梁の津田吉之助により完成しました。なんでもこの棟梁は、この神門を作る前年に、洋式製糸工場の建設に携わっており、その時の腕が買われたと聞いています。<br /><br />神社に煉瓦というだけでも奇抜なのに、3つのアーチの中央には、前田家の家紋の梅までばっちり入っていますよ。

    正しくは神門というのだそうです。創建は割と新しく1875年(明治8年)。棟梁の津田吉之助により完成しました。なんでもこの棟梁は、この神門を作る前年に、洋式製糸工場の建設に携わっており、その時の腕が買われたと聞いています。

    神社に煉瓦というだけでも奇抜なのに、3つのアーチの中央には、前田家の家紋の梅までばっちり入っていますよ。

  • もう少し近づいていくと、1階部分奥には純和風の装飾が施された欄間、そしてその先には、まぎれもないにっぽんの神社が姿を見せています。この神門だけが、思わず初めて訪れた人に「えっ!」と言わせてしまう、客寄せパンダのような効果を発揮しています。和式でも洋式でもない、○○様式というカテゴリーにははまらない、ユニークな門がすっかり気に入ってしまいました。<br /><br />長くなりましたので、この続きは小松、金沢、能登急ぎ足のたび その3 金沢で。

    もう少し近づいていくと、1階部分奥には純和風の装飾が施された欄間、そしてその先には、まぎれもないにっぽんの神社が姿を見せています。この神門だけが、思わず初めて訪れた人に「えっ!」と言わせてしまう、客寄せパンダのような効果を発揮しています。和式でも洋式でもない、○○様式というカテゴリーにははまらない、ユニークな門がすっかり気に入ってしまいました。

    長くなりましたので、この続きは小松、金沢、能登急ぎ足のたび その3 金沢で。

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