横浜旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「横浜」という言葉からからイメージするのは「港町」ではないでしょうか?碧い海の上をゆっくりと進む豪華客船や大型貨物船が絵になる光景です。しかし、横浜は、近代建築の宝庫でもあり、同じ港町として生まれた神戸とは趣を違えているのが特徴です。<br />1859年の開港によって生まれた横浜は、海外から輸入される技術や文化、情報の拠点として発展しました。特に外国人居留地が置かれた関内や山手地区には多くの近代建築や西洋館が建設され、明治~大正年間を通じて近代的スタイルと異国情緒に彩られた独特の街並みが造られました。<br />しかし、関東大震災が転機を産みます。かつての建造物は、瓦礫と灰燼の中に埋もれ、一部の例外を除いて現在まで残る横浜の建築遺産は、近代建築史における第二世代の大正末期~昭和初期のものが中心となっています。古典主義様式を踏襲した第一世代の建築物のほとんどは失われましたが、それがアール・デコからモダニズムへと遷移する近代建築の潮流の中で日本の都市としては稀に見る同時代性を生み出す結果となりました。それが横浜近代建築の魅力でもあります。<br />横浜も神戸同様に近代建築ベルト地帯を構成していますので、短い距離で多くの建造物を堪能することができます。<br /><br />今回お世話になった横浜近代建築散策マップです。<br />http://www.nobus.biz/kenchiku/map/index.html<br />横浜全体のマップはこちらが判り易いです。<br />http://www.welcome.city.yokohama.jp/ja/tourism/map/<br />プリントアウトするならこちらのマップが重宝します。<br />http://www.baycitymap.jp/pdf/baycitymap_japanese15.pdf

問柳尋花 横浜逍遥①海岸通り(近代建築)

679いいね!

2015/05/21 - 2015/05/22

12位(同エリア9529件中)

0

42

montsaintmichel

montsaintmichelさん

「横浜」という言葉からからイメージするのは「港町」ではないでしょうか?碧い海の上をゆっくりと進む豪華客船や大型貨物船が絵になる光景です。しかし、横浜は、近代建築の宝庫でもあり、同じ港町として生まれた神戸とは趣を違えているのが特徴です。
1859年の開港によって生まれた横浜は、海外から輸入される技術や文化、情報の拠点として発展しました。特に外国人居留地が置かれた関内や山手地区には多くの近代建築や西洋館が建設され、明治~大正年間を通じて近代的スタイルと異国情緒に彩られた独特の街並みが造られました。
しかし、関東大震災が転機を産みます。かつての建造物は、瓦礫と灰燼の中に埋もれ、一部の例外を除いて現在まで残る横浜の建築遺産は、近代建築史における第二世代の大正末期~昭和初期のものが中心となっています。古典主義様式を踏襲した第一世代の建築物のほとんどは失われましたが、それがアール・デコからモダニズムへと遷移する近代建築の潮流の中で日本の都市としては稀に見る同時代性を生み出す結果となりました。それが横浜近代建築の魅力でもあります。
横浜も神戸同様に近代建築ベルト地帯を構成していますので、短い距離で多くの建造物を堪能することができます。

今回お世話になった横浜近代建築散策マップです。
http://www.nobus.biz/kenchiku/map/index.html
横浜全体のマップはこちらが判り易いです。
http://www.welcome.city.yokohama.jp/ja/tourism/map/
プリントアウトするならこちらのマップが重宝します。
http://www.baycitymap.jp/pdf/baycitymap_japanese15.pdf

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
新幹線 JRローカル 徒歩

PR

  • JR桜木町駅<br />新幹線「新横浜」駅からJRを利用して乗り継ぎなしで来られる交通至便な横浜散策の最寄り駅となります。<br />目的地によっては、JR横浜駅から横浜高速鉄道「みなとみらい線」を利用されても良いと思います。<br /><br />みなとみらい線のマップです。<br />http://www.mm21railway.co.jp/info/route_map.html

    JR桜木町駅
    新幹線「新横浜」駅からJRを利用して乗り継ぎなしで来られる交通至便な横浜散策の最寄り駅となります。
    目的地によっては、JR横浜駅から横浜高速鉄道「みなとみらい線」を利用されても良いと思います。

    みなとみらい線のマップです。
    http://www.mm21railway.co.jp/info/route_map.html

  • JR桜木町駅<br />駅前広場から「みなとみらい21」方面を見渡すと、横浜を象徴する洗練された高層ビル群の颯爽とした風景が出迎えてくれます。<br />左側のスマートな高層ビルが「横浜ランドマークタワー(高さ296m)」。オフィスやホテル、ショッピングモールが入居し、地上69階のスカイガーデン展望フロア(有料)から眼下を見下ろすことができます。また、近くには石造りドックを復元利用した広場があり、プロジェクション・マッピングのショーなども開催されています。「あべのハルカス(高さ300m)」に高層ビル日本一の座を奪われてしまったのは残念ですが、横浜を代表するビルとしてみなとみらいの風景を語る際には欠かせない存在です。<br />正面左にあるてっぺんが水色の3つのビル群が「クイーンズタワー」。下層階には大型複合施設「クイーンズスクエア横浜」があり、地下3階には横浜高速鉄道「みなとみらい駅」があります。<br />中央の黒っぽいビルが「横浜ベイホテル東急」。<br />その右側にある風をはらんだヨットの帆を模した外観のビルが「横浜グランドインターコンチネンタルホテル 」。<br />手前のエスカレータの所から「動く歩道」を乗り継いで「みなとみらい21」まで歩いて行くこともできます。

    JR桜木町駅
    駅前広場から「みなとみらい21」方面を見渡すと、横浜を象徴する洗練された高層ビル群の颯爽とした風景が出迎えてくれます。
    左側のスマートな高層ビルが「横浜ランドマークタワー(高さ296m)」。オフィスやホテル、ショッピングモールが入居し、地上69階のスカイガーデン展望フロア(有料)から眼下を見下ろすことができます。また、近くには石造りドックを復元利用した広場があり、プロジェクション・マッピングのショーなども開催されています。「あべのハルカス(高さ300m)」に高層ビル日本一の座を奪われてしまったのは残念ですが、横浜を代表するビルとしてみなとみらいの風景を語る際には欠かせない存在です。
    正面左にあるてっぺんが水色の3つのビル群が「クイーンズタワー」。下層階には大型複合施設「クイーンズスクエア横浜」があり、地下3階には横浜高速鉄道「みなとみらい駅」があります。
    中央の黒っぽいビルが「横浜ベイホテル東急」。
    その右側にある風をはらんだヨットの帆を模した外観のビルが「横浜グランドインターコンチネンタルホテル 」。
    手前のエスカレータの所から「動く歩道」を乗り継いで「みなとみらい21」まで歩いて行くこともできます。

  • JR桜木町駅<br />駅前広場の一角に市バスの停留所があり、主だった観光スポットを周遊するレトロ調バス「あかいくつ」号の乗り場にもなっています。(バス停は左端。運賃100円)<br />「あかいくつ」号の運行ルートには(C)と(M)ルートの2系統がありますので、目的地に応じて使い分けると時間の節約になります。<br />NHK朝ドラ『まれ』の後半のロケ地は、横浜中華街です。市役所で働きながら、突然パティシエになる夢を思い出した希は、悩んだ挙句、家族の反対を押し切って洋菓子の名店がある横浜に行くことを決断しました。<br />希が修行する洋菓子店は『マシェリシュシュ』という洋菓子の名店という設定です。そしてパティシエ仲間と共に過ごす寮があるのは、横浜中華街という設定。<br />そんな訳で、ちゃっかり、「あかいくつ」号の降り口のドアには、『まれ』のPRがプリントされています。<br /><br />「あかいくつ」号のルートと時刻表はこちらのサイトを参照ください。<br />http://www.yokohama-bus.jp/akaikutsu/

    JR桜木町駅
    駅前広場の一角に市バスの停留所があり、主だった観光スポットを周遊するレトロ調バス「あかいくつ」号の乗り場にもなっています。(バス停は左端。運賃100円)
    「あかいくつ」号の運行ルートには(C)と(M)ルートの2系統がありますので、目的地に応じて使い分けると時間の節約になります。
    NHK朝ドラ『まれ』の後半のロケ地は、横浜中華街です。市役所で働きながら、突然パティシエになる夢を思い出した希は、悩んだ挙句、家族の反対を押し切って洋菓子の名店がある横浜に行くことを決断しました。
    希が修行する洋菓子店は『マシェリシュシュ』という洋菓子の名店という設定です。そしてパティシエ仲間と共に過ごす寮があるのは、横浜中華街という設定。
    そんな訳で、ちゃっかり、「あかいくつ」号の降り口のドアには、『まれ』のPRがプリントされています。

    「あかいくつ」号のルートと時刻表はこちらのサイトを参照ください。
    http://www.yokohama-bus.jp/akaikutsu/

  • 大岡川に架けられた弁天橋の上から「みなとみらい21」方面を見た光景です。<br />「クイーンズタワー」の3つのビル群の屋上の波を象ったプロフィールと風をはらんだ帆をイメージさせる「インターコンチネンタルホテル」が横浜の表玄関に相応しい風景を演出しているのが判ります。これぞ横浜スカイラインの妙です。<br />中央の「横浜ベイホテル東急」は、角部が船のデッキをイメージさせるデザインなのですが、小さ過ぎて遠目にはよく判らないですね!<br />大観覧車「コスモクロック21」の下が「よこはまコスモワールド」です。

    大岡川に架けられた弁天橋の上から「みなとみらい21」方面を見た光景です。
    「クイーンズタワー」の3つのビル群の屋上の波を象ったプロフィールと風をはらんだ帆をイメージさせる「インターコンチネンタルホテル」が横浜の表玄関に相応しい風景を演出しているのが判ります。これぞ横浜スカイラインの妙です。
    中央の「横浜ベイホテル東急」は、角部が船のデッキをイメージさせるデザインなのですが、小さ過ぎて遠目にはよく判らないですね!
    大観覧車「コスモクロック21」の下が「よこはまコスモワールド」です。

  • 旧第一銀行横浜支店(横浜アイランドタワー)<br />まずは、横浜高速鉄道「馬車道」駅近くにある近代建築です。<br />高さ119mの超高層オフィスビルです。2003年に建築家 槇文彦氏の設計により、都市基盤整備公団が建てました。みなとみらい開発以降では横浜を代表する高層ビルのひとつですが、現代的なビルの手前には重厚な石造りの古典建築がひっそりと佇んでいます。アイランドタワーが横浜を代表する現代作品なら、旧第一銀行横浜支店は戦前の代表作と言え、吹き抜けのバルコニーがよいアイストップになっています。<br />1929(昭和4)年竣工の歴史的建造物を移築・復元したビルで、ギリシア神殿風のトスカナ式柱頭を持つ列柱を並べた華麗な半円形のバルコニーと軒のデンテル模様が美しい建物です。また、天井に吊り下げられたランタンはジャポニズムのエッセンスとしてよいアクセントとなっています。半円形部分のみが創建当初のオリジナルです。尚、2015年6月末まで内部がリニューアル工事中のようです。<br /><br />このように横浜に残された石造りの近代建物の多くは「銀行」です。横浜が開港され、貿易の拠点であったことを鑑みれば納得できるものです。元々は万国橋通りと本町通りの角に建っていたそうですが、横浜銀行本店がみなとみらいに移転したため、1995年からバルコニー部分の曳家工事が始まり、2003年まで一帯の工事の都合で何度か移動しながらもアイランドタワーの低層棟部分として復元され、併せてバルコニー部分も接続され、往年の姿を蘇えらせています。従来のファサード保存以外の新しい近代建築の保存・活用の手法を提示したことで高く評価されている建造物です。実は、歴史的建造物は、新ビルの外壁に旧建物の外壁を貼り付ける、いわゆる「かさぶた方式」の復元が主流だそうで、こうした忠実な復元例は珍しそうです。

    旧第一銀行横浜支店(横浜アイランドタワー)
    まずは、横浜高速鉄道「馬車道」駅近くにある近代建築です。
    高さ119mの超高層オフィスビルです。2003年に建築家 槇文彦氏の設計により、都市基盤整備公団が建てました。みなとみらい開発以降では横浜を代表する高層ビルのひとつですが、現代的なビルの手前には重厚な石造りの古典建築がひっそりと佇んでいます。アイランドタワーが横浜を代表する現代作品なら、旧第一銀行横浜支店は戦前の代表作と言え、吹き抜けのバルコニーがよいアイストップになっています。
    1929(昭和4)年竣工の歴史的建造物を移築・復元したビルで、ギリシア神殿風のトスカナ式柱頭を持つ列柱を並べた華麗な半円形のバルコニーと軒のデンテル模様が美しい建物です。また、天井に吊り下げられたランタンはジャポニズムのエッセンスとしてよいアクセントとなっています。半円形部分のみが創建当初のオリジナルです。尚、2015年6月末まで内部がリニューアル工事中のようです。

    このように横浜に残された石造りの近代建物の多くは「銀行」です。横浜が開港され、貿易の拠点であったことを鑑みれば納得できるものです。元々は万国橋通りと本町通りの角に建っていたそうですが、横浜銀行本店がみなとみらいに移転したため、1995年からバルコニー部分の曳家工事が始まり、2003年まで一帯の工事の都合で何度か移動しながらもアイランドタワーの低層棟部分として復元され、併せてバルコニー部分も接続され、往年の姿を蘇えらせています。従来のファサード保存以外の新しい近代建築の保存・活用の手法を提示したことで高く評価されている建造物です。実は、歴史的建造物は、新ビルの外壁に旧建物の外壁を貼り付ける、いわゆる「かさぶた方式」の復元が主流だそうで、こうした忠実な復元例は珍しそうです。

  • 旧第一銀行横浜支店<br />古典主義風の銀行建築の設計を手掛けたのは、建築家 西村好時氏です。西村氏は、埼玉県深谷市にあるスペイン瓦が美しい「清風亭」の設計者でもあり、曽禰中條事務所、清水組を経て第一銀行建築課長となり、銀行建築のパイオニア的存在へと駆け上がりました。<br />横浜支店の特徴は、以前支店があった敷地の形の関係上、ギリシア神殿風の円形の玄関口から少しずつ後方が広がるというユニークな形です。現在の敷地も同様ですが、限定された細長の三角形の敷地に沿うように設計され、細くなったその三角の先端に3対の堅牢な鉄扉を持つメイン・エントランスを設けています。様式的には古典主義様式になりますが、半円形バルコニーが斬新で、往時の銀行建築としては比較的軽快な印象に仕上がっています。西村氏の技量を窺い知る作品と言えます。

    旧第一銀行横浜支店
    古典主義風の銀行建築の設計を手掛けたのは、建築家 西村好時氏です。西村氏は、埼玉県深谷市にあるスペイン瓦が美しい「清風亭」の設計者でもあり、曽禰中條事務所、清水組を経て第一銀行建築課長となり、銀行建築のパイオニア的存在へと駆け上がりました。
    横浜支店の特徴は、以前支店があった敷地の形の関係上、ギリシア神殿風の円形の玄関口から少しずつ後方が広がるというユニークな形です。現在の敷地も同様ですが、限定された細長の三角形の敷地に沿うように設計され、細くなったその三角の先端に3対の堅牢な鉄扉を持つメイン・エントランスを設けています。様式的には古典主義様式になりますが、半円形バルコニーが斬新で、往時の銀行建築としては比較的軽快な印象に仕上がっています。西村氏の技量を窺い知る作品と言えます。

  • 旧横浜正金銀行本店本館 (神奈川県立歴史博物館)<重文><br />1904(明治37)年、香港上海銀行やスタンダードチャータードバンクと共に世界三大為替銀行のひとつに数えられた横浜正金銀行の本店として竣工。横浜正金銀行は、福沢諭吉や大隈重信の力添えで開業した銀行で、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)の前身です。<br />コリント式柱頭を持つ大オーダーと巨大なドームが特徴のネオ・バロック様式の建物は、明治建築界の3巨頭のひとりとされる妻木頼黄(つまき よりなか)氏の代表作です。妻木氏は、ジョサイア・コンドル氏に師事し、東京駅舎を設計した辰野金吾氏の後輩に当たります。著名な作品としては、横浜新港埠頭倉庫(現横浜赤レンガ倉庫)も手がけています。因みに、3巨頭の残りは、辰野金吾氏と片山東熊氏です。<br />この建物には1896(明治29)年竣工の辰野金吾氏が設計した「日本銀行本店」への対抗意識が窺われ、後の国会議事堂建設に向けた両名の死闘を暗示させる迫力が湛えられています。因みに、この建物は、妻木氏が国会議事堂建設の練習を兼ねたものとも伝えられています。しかし、国会議事堂懸賞コンペの結果が発表される前に両名は相次いで亡くなり、更にコンペで選ばれた渡邊福三氏も当選発表の直後に亡くなります。結局、官僚建築家たちによる合同チームが渡邊氏の思想を活かして設計を担いました。ピラミッド型の中央塔は合同チームが発案した意匠です。国会議事堂に統一された様式美が見られないのには、こうした背景があります。

    旧横浜正金銀行本店本館 (神奈川県立歴史博物館)<重文>
    1904(明治37)年、香港上海銀行やスタンダードチャータードバンクと共に世界三大為替銀行のひとつに数えられた横浜正金銀行の本店として竣工。横浜正金銀行は、福沢諭吉や大隈重信の力添えで開業した銀行で、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)の前身です。
    コリント式柱頭を持つ大オーダーと巨大なドームが特徴のネオ・バロック様式の建物は、明治建築界の3巨頭のひとりとされる妻木頼黄(つまき よりなか)氏の代表作です。妻木氏は、ジョサイア・コンドル氏に師事し、東京駅舎を設計した辰野金吾氏の後輩に当たります。著名な作品としては、横浜新港埠頭倉庫(現横浜赤レンガ倉庫)も手がけています。因みに、3巨頭の残りは、辰野金吾氏と片山東熊氏です。
    この建物には1896(明治29)年竣工の辰野金吾氏が設計した「日本銀行本店」への対抗意識が窺われ、後の国会議事堂建設に向けた両名の死闘を暗示させる迫力が湛えられています。因みに、この建物は、妻木氏が国会議事堂建設の練習を兼ねたものとも伝えられています。しかし、国会議事堂懸賞コンペの結果が発表される前に両名は相次いで亡くなり、更にコンペで選ばれた渡邊福三氏も当選発表の直後に亡くなります。結局、官僚建築家たちによる合同チームが渡邊氏の思想を活かして設計を担いました。ピラミッド型の中央塔は合同チームが発案した意匠です。国会議事堂に統一された様式美が見られないのには、こうした背景があります。

  • 旧横浜正金銀行本店本館<br />正面ファサードは威厳に満ち圧巻です。メインストリートに向かう角を面取りして設けられ、正面から見ると建物の左右が奥に行く分、パースが強調されています。ドームの麓の三角ぺディメントには豪華な彫刻が施され、それを支える2連2対のコリント式オーダーのピラスターに沿って視線を上方に誘います。こうした効果のお陰もあり、現在でも周辺の近代的なビル群の中にあっても聳え立つような威厳を湛えています。<br />外観がよく保存された優れた意匠を持つ洋風建築で、明治以降の建築物を伴う遺跡として国から史跡の指定を受けたのはこの建物が最初です。<br />「横浜三塔」に対抗して「エースのドーム」の愛称でPRしていますが、竣工時期は横浜三塔よりも古く、国の史跡に指定されている実力派ということで建築学上の評価には別格なものがあります。

    旧横浜正金銀行本店本館
    正面ファサードは威厳に満ち圧巻です。メインストリートに向かう角を面取りして設けられ、正面から見ると建物の左右が奥に行く分、パースが強調されています。ドームの麓の三角ぺディメントには豪華な彫刻が施され、それを支える2連2対のコリント式オーダーのピラスターに沿って視線を上方に誘います。こうした効果のお陰もあり、現在でも周辺の近代的なビル群の中にあっても聳え立つような威厳を湛えています。
    外観がよく保存された優れた意匠を持つ洋風建築で、明治以降の建築物を伴う遺跡として国から史跡の指定を受けたのはこの建物が最初です。
    「横浜三塔」に対抗して「エースのドーム」の愛称でPRしていますが、竣工時期は横浜三塔よりも古く、国の史跡に指定されている実力派ということで建築学上の評価には別格なものがあります。

  • 旧横浜正金銀行本店本館<br />正面と両端に設けられた大きな三角ペディメントに趣があります。<br />関東大震災では、1〜3階までの内装とドームを焼失しましたが、横浜大空襲から奇跡的に被害を免れた貴重な建物です。1967年より神奈川県立博物館となり、1995年に県立歴史博物館へとリニューアルされています。<br />面白いことに、神戸にある旧横浜正金銀行神戸支店も市立博物館として親しまれています。<br /><br />神戸市立博物館です。<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=38308802

    旧横浜正金銀行本店本館
    正面と両端に設けられた大きな三角ペディメントに趣があります。
    関東大震災では、1〜3階までの内装とドームを焼失しましたが、横浜大空襲から奇跡的に被害を免れた貴重な建物です。1967年より神奈川県立博物館となり、1995年に県立歴史博物館へとリニューアルされています。
    面白いことに、神戸にある旧横浜正金銀行神戸支店も市立博物館として親しまれています。

    神戸市立博物館です。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=38308802

  • 旧横浜正金銀行本店本館<br />ドームの8つの曲面には円形のドーマー窓が付けられ、その横にはイルカの彫刻があります。イルカながら顔が怖くて鱗があるのは、哺乳類のイルカではなく、西洋建築で用いられる想像上の動物のイルカだからです。日本で言う、シャチホコと同類のものです。

    旧横浜正金銀行本店本館
    ドームの8つの曲面には円形のドーマー窓が付けられ、その横にはイルカの彫刻があります。イルカながら顔が怖くて鱗があるのは、哺乳類のイルカではなく、西洋建築で用いられる想像上の動物のイルカだからです。日本で言う、シャチホコと同類のものです。

  • 旧横浜正金銀行本店本館<br />建物の上に載せられた不等辺8角形のドームは、関東大震災の火災で焼失したため、1964年に往時の写真などを元に忠実に復元されたものです。<br />直径12m、ドーム頂部までの高さ10.05m(屋上床面より)、尖塔(玉葱形クーポラ)最先端の高さ19.25mの大きなドームは、地上36m、縦に引き締まったどっしりとした姿を呈し、凛とした緊張感を漂わせています。ドームを覆う銅板が緑青を纏い、目に鮮やかです。

    旧横浜正金銀行本店本館
    建物の上に載せられた不等辺8角形のドームは、関東大震災の火災で焼失したため、1964年に往時の写真などを元に忠実に復元されたものです。
    直径12m、ドーム頂部までの高さ10.05m(屋上床面より)、尖塔(玉葱形クーポラ)最先端の高さ19.25mの大きなドームは、地上36m、縦に引き締まったどっしりとした姿を呈し、凛とした緊張感を漂わせています。ドームを覆う銅板が緑青を纏い、目に鮮やかです。

  • 旧横浜正金銀行本店本館<br />ドームの下がり棟には、イルカが飾られています。イルカの下には波と思しき意匠も見られます。<br />妻木氏の作品には、日本橋欄干上の龍など想像上の動物の意匠が多く見られるのが特徴です。<br />屋根などに設けられた魚類の装飾は、城郭建築のシャチホコや寺院のシビに倣った火事除けのおまじないとして用いられたものだと思われます。因みに、このイルカは長さ1.5mもある巨大なものだそうです。不細工な顔が、イタリアのパンテオン前にある噴水に彫刻されたヴィンチェンツォ・フェリーチ作のイルカに似ています。<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=29239552

    旧横浜正金銀行本店本館
    ドームの下がり棟には、イルカが飾られています。イルカの下には波と思しき意匠も見られます。
    妻木氏の作品には、日本橋欄干上の龍など想像上の動物の意匠が多く見られるのが特徴です。
    屋根などに設けられた魚類の装飾は、城郭建築のシャチホコや寺院のシビに倣った火事除けのおまじないとして用いられたものだと思われます。因みに、このイルカは長さ1.5mもある巨大なものだそうです。不細工な顔が、イタリアのパンテオン前にある噴水に彫刻されたヴィンチェンツォ・フェリーチ作のイルカに似ています。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=29239552

  • 旧横浜正金銀行本店本館<br />壁面は、窓毎に大オーダーの柱形を設けてバロック的効果を強調しています。こうした大オーダーと窓飾りのリフレインには恍惚感を覚えます。<br />ただオーダーが連続しているだけでも充分に美しいのですが、コリント式オーダーの陰影が織りなす造形美と相俟って格別です。

    旧横浜正金銀行本店本館
    壁面は、窓毎に大オーダーの柱形を設けてバロック的効果を強調しています。こうした大オーダーと窓飾りのリフレインには恍惚感を覚えます。
    ただオーダーが連続しているだけでも充分に美しいのですが、コリント式オーダーの陰影が織りなす造形美と相俟って格別です。

  • 旧横浜正金銀行本店本館<br />オーダーの柱頭には、コリント式の飾りがあしらわれています。<br />アカンサス(地中海オオアザミ)の葉と蔓(つる)を表現したものだそうです。

    旧横浜正金銀行本店本館
    オーダーの柱頭には、コリント式の飾りがあしらわれています。
    アカンサス(地中海オオアザミ)の葉と蔓(つる)を表現したものだそうです。

  • 旧横浜正金銀行本店本館<br />横浜正金銀行が設立された背景は次のようなものです。<br />1858(安政5)年、江戸幕府が米国と日米修好通商条約を締結した関係で横浜は翌年開港され、外国商人との取引が盛んになりました。しかし、1877(明治10)年の西南戦争勃発に起因してインフレが発生する等し、政府が発行する紙幣と正貨に差価が生じ、商人たちを悩ませました。このため、正金(現金)による堅実な金融と取引の円滑化、さらには貿易を促進するため、横浜正金銀行が設立されました。

    旧横浜正金銀行本店本館
    横浜正金銀行が設立された背景は次のようなものです。
    1858(安政5)年、江戸幕府が米国と日米修好通商条約を締結した関係で横浜は翌年開港され、外国商人との取引が盛んになりました。しかし、1877(明治10)年の西南戦争勃発に起因してインフレが発生する等し、政府が発行する紙幣と正貨に差価が生じ、商人たちを悩ませました。このため、正金(現金)による堅実な金融と取引の円滑化、さらには貿易を促進するため、横浜正金銀行が設立されました。

  • 旧横浜正金銀行本店本館<br />玄関口にある大きなメダリオンです。<br />メダリオン飾りに囲まれた中心に16弁の花の横浜正金銀行の紋章が燦然と輝き、往時の銀行建築としての矜持がここに顕にされている気がします。<br />

    旧横浜正金銀行本店本館
    玄関口にある大きなメダリオンです。
    メダリオン飾りに囲まれた中心に16弁の花の横浜正金銀行の紋章が燦然と輝き、往時の銀行建築としての矜持がここに顕にされている気がします。

  • 旧横浜正金銀行本店本館<br />それでは内部に入ってみましょう。<br />重厚な鉄扉がかつては銀行という特殊建造物であったことを窺わせます。<br />博物館の入口はこの先の通路を辿った先にあり、そこまでは入館料は不要です。

    旧横浜正金銀行本店本館
    それでは内部に入ってみましょう。
    重厚な鉄扉がかつては銀行という特殊建造物であったことを窺わせます。
    博物館の入口はこの先の通路を辿った先にあり、そこまでは入館料は不要です。

  • 旧横浜正金銀行本店本館<br />階段を上って内扉を開けると、目の前に広がるのがこのステンドグラスです。<br />とても美しい8角形をしたステンドグラスです。実は、これは創建時からあったものではなく、1995年の改修時に嵌められたものだそうですが、一見の価値があります。<br />近くまで来られた際には覗いて見てください。

    旧横浜正金銀行本店本館
    階段を上って内扉を開けると、目の前に広がるのがこのステンドグラスです。
    とても美しい8角形をしたステンドグラスです。実は、これは創建時からあったものではなく、1995年の改修時に嵌められたものだそうですが、一見の価値があります。
    近くまで来られた際には覗いて見てください。

  • 旧横浜正金銀行本店本館<br />北東面です。JR桜木町駅からアプローチする場合は、この風景が最初に目に飛び込んできます。一番手前に大きな三角ペディメントが見られます。<br />外観の柱や窓の周りは茨城県産の花崗岩、2〜3階の平壁は神奈川県産の安山岩が使われているそうです。建築物の外観に付与された凹凸の意匠は妻木氏の得意技だったそうですが、銀行向けの重厚感がこの石積みによって強調されているような気がします。

    旧横浜正金銀行本店本館
    北東面です。JR桜木町駅からアプローチする場合は、この風景が最初に目に飛び込んできます。一番手前に大きな三角ペディメントが見られます。
    外観の柱や窓の周りは茨城県産の花崗岩、2〜3階の平壁は神奈川県産の安山岩が使われているそうです。建築物の外観に付与された凹凸の意匠は妻木氏の得意技だったそうですが、銀行向けの重厚感がこの石積みによって強調されているような気がします。

  • 旧安田銀行横浜支店(東京藝術大学大学院学舎)<br />1929(昭和4)年竣工。設計は安田銀行営繕課、施工は大倉土木(現大成建設)です。横浜市の歴史的建造物に認定され、鉄筋コンクリート造、石張り、2階建の馬車道入口のシンボルマークでもあります。<br />安田財閥の基幹企業であった安田銀行の店舗のひとつですが、他に現存するものは少なく、この建造物は貴重な存在となっています。

    旧安田銀行横浜支店(東京藝術大学大学院学舎)
    1929(昭和4)年竣工。設計は安田銀行営繕課、施工は大倉土木(現大成建設)です。横浜市の歴史的建造物に認定され、鉄筋コンクリート造、石張り、2階建の馬車道入口のシンボルマークでもあります。
    安田財閥の基幹企業であった安田銀行の店舗のひとつですが、他に現存するものは少なく、この建造物は貴重な存在となっています。

  • 旧安田銀行横浜支店<br />花崗岩のこぶだしをルスティカ積した石造り風の重厚な姿には、銀行建築の片鱗を垣間見ることができます。トスカナ式風のズングリした大オーダーとアーチ窓の組合わせは、シンプルさが奏功して建物を壮大に見せています。銀行はやっぱり安心・安全が第一ですから、こうしたクラシックなスタイルが踏襲されたのでしょう。軒周りにはギリシア雷紋(ラーメン屋さんでお馴染みの模様)を取付け、俗に「安田銀行スタイル」と呼ばれた店舗を全国津々浦々に建造していきました。しかし、栄枯盛衰と言うか、安田銀行から富士銀行を経て、みずほ銀行への合併を機に銀行店舗としての役目を終えました。その後横浜市が取得し、レトロでお洒落な外観の建物は今では東京藝術大学に貸与され、大学院映像研究科の校舎として使用されています。北野武教授も時々お目見えになるそうです。

    旧安田銀行横浜支店
    花崗岩のこぶだしをルスティカ積した石造り風の重厚な姿には、銀行建築の片鱗を垣間見ることができます。トスカナ式風のズングリした大オーダーとアーチ窓の組合わせは、シンプルさが奏功して建物を壮大に見せています。銀行はやっぱり安心・安全が第一ですから、こうしたクラシックなスタイルが踏襲されたのでしょう。軒周りにはギリシア雷紋(ラーメン屋さんでお馴染みの模様)を取付け、俗に「安田銀行スタイル」と呼ばれた店舗を全国津々浦々に建造していきました。しかし、栄枯盛衰と言うか、安田銀行から富士銀行を経て、みずほ銀行への合併を機に銀行店舗としての役目を終えました。その後横浜市が取得し、レトロでお洒落な外観の建物は今では東京藝術大学に貸与され、大学院映像研究科の校舎として使用されています。北野武教授も時々お目見えになるそうです。

  • 横浜第二合同庁舎<br />北仲通にある、国の行政機関が入居する庁舎です。前進は1926(大正15)年に再建された横浜生糸検査所です。元の建屋が関東大震災で被害を受けたため、現在地に、横浜ゆかりの遠藤於莵(えんどう おと)氏の設計により横浜生糸検査所が再建されました。<br />1995年に高層棟の建造を含む大改築が行われ、その際に旧生糸検査所の外観を復元しています。合同庁舎の新棟の建設に伴い解体され、現在見られるこの姿は旧建物の外観を再現したレプリカです。しかし、新棟建設に際し、竣工当時に飾られていた蚕のモチーフを復元するなど、旧建物の意匠を忠実に再現しています。<br />このように往時より親しまれていた街の景観を維持することを重点に置いた復元がなされ、横浜市認定歴史的建造物となっています。

    横浜第二合同庁舎
    北仲通にある、国の行政機関が入居する庁舎です。前進は1926(大正15)年に再建された横浜生糸検査所です。元の建屋が関東大震災で被害を受けたため、現在地に、横浜ゆかりの遠藤於莵(えんどう おと)氏の設計により横浜生糸検査所が再建されました。
    1995年に高層棟の建造を含む大改築が行われ、その際に旧生糸検査所の外観を復元しています。合同庁舎の新棟の建設に伴い解体され、現在見られるこの姿は旧建物の外観を再現したレプリカです。しかし、新棟建設に際し、竣工当時に飾られていた蚕のモチーフを復元するなど、旧建物の意匠を忠実に再現しています。
    このように往時より親しまれていた街の景観を維持することを重点に置いた復元がなされ、横浜市認定歴史的建造物となっています。

  • 横浜第二合同庁舎<br />庁舎は耐震性と耐火性を備えた鉄筋コンクリート造4階建で再建され、屋上には噴水庭園が設けられ、震災復興建築の中で最大規模を誇る建造物だったそうです。市民からは「キーケン」の愛称で親しまれたそうです。先代の建物が竣工した時には、市民向けの一般公開が行われ、約1万人の見学者が押し寄せたそうです。

    横浜第二合同庁舎
    庁舎は耐震性と耐火性を備えた鉄筋コンクリート造4階建で再建され、屋上には噴水庭園が設けられ、震災復興建築の中で最大規模を誇る建造物だったそうです。市民からは「キーケン」の愛称で親しまれたそうです。先代の建物が竣工した時には、市民向けの一般公開が行われ、約1万人の見学者が押し寄せたそうです。

  • 横浜第二合同庁舎<br />正面上部には蚕の成虫と菊の紋、桑の葉をあしらった紋章が設けられています。戦前日本の主力輸出品であった生糸の品質検査を行う建物ならではの装飾と言えます。

    横浜第二合同庁舎
    正面上部には蚕の成虫と菊の紋、桑の葉をあしらった紋章が設けられています。戦前日本の主力輸出品であった生糸の品質検査を行う建物ならではの装飾と言えます。

  • 横浜第二合同庁舎<br />遠藤氏は、横浜税関倉庫の建設に関わり、その後、横浜正金銀行技師になり、妻木頼黄氏設計の本店建設では工事監督を務めています。明治期にアール・ヌーヴォーやセセッションなどのモダンな建築様式を取り入れた最初期の日本人建築家でしたが、同時に往時日本建築界で敬遠されていた鉄筋コンクリートを積極的に取り入れた人物でもありました。建築スタイルは、コンクリート壁に縦長の煉瓦タイルを帯状に貼り付けるというものでした。日本における鉄筋コンクリート構造の先駆者として知られ、多くの市民を震災から守りました。<br />事務所棟の玄関向って右側の部分は1931(昭和6)年に増築されたもので、遠藤氏が建築家を引退する間際の作品だったそうで、「遠藤流ルネッサンス」と讃えられています。

    横浜第二合同庁舎
    遠藤氏は、横浜税関倉庫の建設に関わり、その後、横浜正金銀行技師になり、妻木頼黄氏設計の本店建設では工事監督を務めています。明治期にアール・ヌーヴォーやセセッションなどのモダンな建築様式を取り入れた最初期の日本人建築家でしたが、同時に往時日本建築界で敬遠されていた鉄筋コンクリートを積極的に取り入れた人物でもありました。建築スタイルは、コンクリート壁に縦長の煉瓦タイルを帯状に貼り付けるというものでした。日本における鉄筋コンクリート構造の先駆者として知られ、多くの市民を震災から守りました。
    事務所棟の玄関向って右側の部分は1931(昭和6)年に増築されたもので、遠藤氏が建築家を引退する間際の作品だったそうで、「遠藤流ルネッサンス」と讃えられています。

  • 万国橋<br />ピア運河パークから見た万国橋の美しい姿です。<br />北仲通地区とみなとみらい地区の間の運河に架かるコンクリートアーチ橋です。初代万国橋は、海を埋め立て新港埠頭を作る事業の一環として架けられた鉄橋で、関東大震災でも崩落しなかったのですが、昭和になって橋を渡る交通量が増えたため、2代目に架け替えられました。2代目はコンクリートアーチ橋ですが、石積みの親柱と手摺り、橋の両側の石積みの護岸は竣工した1904(明治37)年のままだそうです。<br />1991年には、「かながわの橋100選」に認定され、橋から望むみなとみらい地区の風景は人気があり、TVドラマの撮影などにも度々使われています。<br />名前の由来は、港から陸地へ、陸地から港へと、多くの国の人々が行きかう所にある橋と言うことだそうです。新港ふ頭が造られた明治後期から大正初期の頃は、東洋一の港と言われ、そこに到着した様々な国の人々が万国橋を渡って横浜へとやって来ました。

    万国橋
    ピア運河パークから見た万国橋の美しい姿です。
    北仲通地区とみなとみらい地区の間の運河に架かるコンクリートアーチ橋です。初代万国橋は、海を埋め立て新港埠頭を作る事業の一環として架けられた鉄橋で、関東大震災でも崩落しなかったのですが、昭和になって橋を渡る交通量が増えたため、2代目に架け替えられました。2代目はコンクリートアーチ橋ですが、石積みの親柱と手摺り、橋の両側の石積みの護岸は竣工した1904(明治37)年のままだそうです。
    1991年には、「かながわの橋100選」に認定され、橋から望むみなとみらい地区の風景は人気があり、TVドラマの撮影などにも度々使われています。
    名前の由来は、港から陸地へ、陸地から港へと、多くの国の人々が行きかう所にある橋と言うことだそうです。新港ふ頭が造られた明治後期から大正初期の頃は、東洋一の港と言われ、そこに到着した様々な国の人々が万国橋を渡って横浜へとやって来ました。

  • 万国橋<br />橋の上から「みなとみらい21」方向を見ると、鏡のような運河の水面に高層ビル群がきれいに映り込んでいます。今はべたなぎのようです。<br />横浜屈指の夜景スポットでもあり、日没間際のブルーモーメントの時間帯にはカメラの三脚が立ち並ぶ激戦区と言われています。<br />夜景は別の旅行記で紹介させていただきます。お楽しみに!

    万国橋
    橋の上から「みなとみらい21」方向を見ると、鏡のような運河の水面に高層ビル群がきれいに映り込んでいます。今はべたなぎのようです。
    横浜屈指の夜景スポットでもあり、日没間際のブルーモーメントの時間帯にはカメラの三脚が立ち並ぶ激戦区と言われています。
    夜景は別の旅行記で紹介させていただきます。お楽しみに!

  • 旧東京三菱銀行横浜中央支店<br />厳しいイオニア式柱頭を持つ大オーダーが銀行建築に相応しい重厚な印象を湛えています。横浜市認定歴史的建造物ですが、いわゆるファサードのみを保存した「かざぶた方式」の物件です。後方に聳える高層ビルは「D’グラフォート横浜クルージングタワー」と言います。低層部の外壁3面に銀行時代の外観意匠を忠実に復元し、2004年に高層マンションとして再生されています。

    旧東京三菱銀行横浜中央支店
    厳しいイオニア式柱頭を持つ大オーダーが銀行建築に相応しい重厚な印象を湛えています。横浜市認定歴史的建造物ですが、いわゆるファサードのみを保存した「かざぶた方式」の物件です。後方に聳える高層ビルは「D’グラフォート横浜クルージングタワー」と言います。低層部の外壁3面に銀行時代の外観意匠を忠実に復元し、2004年に高層マンションとして再生されています。

  • 旧東京三菱銀行横浜中央支店<br />旧き佳きものを残しつつ、人の生活の営みを進化させていくという言わば二律背反のテーマが全ての近代建築に重くのしかかっています。解決するには人知れぬ苦労が山ほどあるのでしょうが…。<br />こうした保存方法は「かざぶた方式」と揶揄されているのですが、どのような形式であれ、後世に遺すという夢を実現したこの建物は素晴らしいと思います。遺したいという強い意志と並外れた努力が無ければできないことですから。解体してしまう方がどれだけ楽なことか…。

    旧東京三菱銀行横浜中央支店
    旧き佳きものを残しつつ、人の生活の営みを進化させていくという言わば二律背反のテーマが全ての近代建築に重くのしかかっています。解決するには人知れぬ苦労が山ほどあるのでしょうが…。
    こうした保存方法は「かざぶた方式」と揶揄されているのですが、どのような形式であれ、後世に遺すという夢を実現したこの建物は素晴らしいと思います。遺したいという強い意志と並外れた努力が無ければできないことですから。解体してしまう方がどれだけ楽なことか…。

  • 旧東京三菱銀行横浜中央支店<br />元々は、第百銀行横浜支店として鉄筋コンクリート造2階建として1934(昭和9)年に竣工しました。第百銀行は、鳥取藩池田侯爵家などが中心になって1878(明治11)年に開業した銀行です。次々に銀行を吸収合併して巨大化したのですが、最終的には店舗数112の第百銀行が、店舗数66の三菱銀行に下克上で吸収され、その歴史に幕を下ろしました。

    旧東京三菱銀行横浜中央支店
    元々は、第百銀行横浜支店として鉄筋コンクリート造2階建として1934(昭和9)年に竣工しました。第百銀行は、鳥取藩池田侯爵家などが中心になって1878(明治11)年に開業した銀行です。次々に銀行を吸収合併して巨大化したのですが、最終的には店舗数112の第百銀行が、店舗数66の三菱銀行に下克上で吸収され、その歴史に幕を下ろしました。

  • 旧東京三菱銀行横浜中央支店<br />イオニア式オーダーが正統派銀行建築を象徴しています。<br />設計者は、横浜に生まれ、横浜の地に多くの作品を建てた矢部又吉氏、施工は戸田組(現戸田建設)です。矢部氏は、明治末期から昭和初期にかけて横浜で活躍し、川崎銀行をはじめとした銀行建築を多く手がけたことで知られています。

    旧東京三菱銀行横浜中央支店
    イオニア式オーダーが正統派銀行建築を象徴しています。
    設計者は、横浜に生まれ、横浜の地に多くの作品を建てた矢部又吉氏、施工は戸田組(現戸田建設)です。矢部氏は、明治末期から昭和初期にかけて横浜で活躍し、川崎銀行をはじめとした銀行建築を多く手がけたことで知られています。

  • 旧東京三菱銀行横浜中央支店<br />重厚な鉄扉に施された装飾です。<br />どこか城門を彷彿とさせる威厳さが感じられ、直視することが憚られるほどです。

    旧東京三菱銀行横浜中央支店
    重厚な鉄扉に施された装飾です。
    どこか城門を彷彿とさせる威厳さが感じられ、直視することが憚られるほどです。

  • 旧横浜銀行集会所(横浜銀行協会)<br />横浜に本支店を置く往時の五大銀行の行員間の親睦と保養を目的として1936(昭和11)年に建てられた集会所です。戦後しばらくは米軍の将校クラブとして使われていましたが、接収解除後の1952(昭和27)年に1000万円かけて改修し、翌年から横浜銀行協会倶楽部として再開されました。 <br />ほぼ正方形をしたシンプルな形ですが、4階部分は戦後の増築だそうです。正面ファサードには3階部分まで通した7本の柱を立て、左側3本には玄関ポーチが設けられています。石貼りの白い壁面は、植物等をモチーフにしたチョコレート色のテラコッタの飾りがアクセントになっています。壁面や柱にはギリシア・ローマ風の装飾を取入れていますが、全体的に軽快なリズミカルな印象があり、直線を強調したモダンなデザインが特徴です。その細部を彩るのが、美しい図柄のテラコッタの装飾です。これが建物の直線的なデザインと相俟って、とても洒落たモダンなデザインに仕上がっています。<br />正面中央上部のテラコッタには、威厳を感じさせるパルメット風紋様が燦然と輝いています。

    旧横浜銀行集会所(横浜銀行協会)
    横浜に本支店を置く往時の五大銀行の行員間の親睦と保養を目的として1936(昭和11)年に建てられた集会所です。戦後しばらくは米軍の将校クラブとして使われていましたが、接収解除後の1952(昭和27)年に1000万円かけて改修し、翌年から横浜銀行協会倶楽部として再開されました。
    ほぼ正方形をしたシンプルな形ですが、4階部分は戦後の増築だそうです。正面ファサードには3階部分まで通した7本の柱を立て、左側3本には玄関ポーチが設けられています。石貼りの白い壁面は、植物等をモチーフにしたチョコレート色のテラコッタの飾りがアクセントになっています。壁面や柱にはギリシア・ローマ風の装飾を取入れていますが、全体的に軽快なリズミカルな印象があり、直線を強調したモダンなデザインが特徴です。その細部を彩るのが、美しい図柄のテラコッタの装飾です。これが建物の直線的なデザインと相俟って、とても洒落たモダンなデザインに仕上がっています。
    正面中央上部のテラコッタには、威厳を感じさせるパルメット風紋様が燦然と輝いています。

  • 旧横浜銀行集会所<br />横浜に現存する戦前築の銀行建築とは一線を画す、異彩を放った斬新な外観デザインが目を惹き付けます。銀行建築が西欧の古典主義を模した作風が主流だった時代に、この建物は1920年代に欧米で流行したアール・デコ調で真っ向勝負しています。軒や柱に取り付けられたテラコッタは、アール・デコと言うには少し曲線を帯びた模様ですが、このテラコッタが戦前の建物らしいモダンさを醸しています。<br />アール・デコ調の直線的なデザインを基調としながらも、玄関ポーチの柱にあえてアール・ヌーヴォー調の花模様のレリーフを施しています。実はこの場所には遠藤於菟氏の設計による先代の銀行集会所があり、アール・ヌーヴォーのスタイルを国内でいち早く取り入れた作品だったため、そのデザインを尊重して折衷したとも言われています。<br />花模様のレリーフは、先代の銀行集会所に対する大熊氏と林氏によるオマー ジュなのかもしれません。粋な計らいです。新旧デザインを高いレベルで融合させた近代建築と言えるのではないでしょうか?

    旧横浜銀行集会所
    横浜に現存する戦前築の銀行建築とは一線を画す、異彩を放った斬新な外観デザインが目を惹き付けます。銀行建築が西欧の古典主義を模した作風が主流だった時代に、この建物は1920年代に欧米で流行したアール・デコ調で真っ向勝負しています。軒や柱に取り付けられたテラコッタは、アール・デコと言うには少し曲線を帯びた模様ですが、このテラコッタが戦前の建物らしいモダンさを醸しています。
    アール・デコ調の直線的なデザインを基調としながらも、玄関ポーチの柱にあえてアール・ヌーヴォー調の花模様のレリーフを施しています。実はこの場所には遠藤於菟氏の設計による先代の銀行集会所があり、アール・ヌーヴォーのスタイルを国内でいち早く取り入れた作品だったため、そのデザインを尊重して折衷したとも言われています。
    花模様のレリーフは、先代の銀行集会所に対する大熊氏と林氏によるオマー ジュなのかもしれません。粋な計らいです。新旧デザインを高いレベルで融合させた近代建築と言えるのではないでしょうか?

  • 旧横浜銀行集会所<br />設計者は、往時大蔵省営繕管財局工務部長で後に国会議事堂の建設を統括した大熊喜邦氏と娘婿で同じく国会議事堂建設に関与した林豪蔵氏です。鉄筋コンクリート造4階建、施工は清水組(現清水建設)。再建費用の大半は、往時横浜に本店を置き、世界三大為替銀行のひとつに数えられた横浜正金銀行が拠出したそうです。<br />先代の遠藤於菟氏設計の集会所は関東大震災で倒壊したのですが、施主関係者たちは設計者たちに先代の集会所に勝る出来栄えの作品を期待していたに違いありません。<br />ゆっくりと時間をかけて鑑賞していただきたい、高層ビルにも負けない存在感を放つ名建築です。そこには周辺の高層ビルにはない、歴史と美しさが凝縮されています。<br />

    旧横浜銀行集会所
    設計者は、往時大蔵省営繕管財局工務部長で後に国会議事堂の建設を統括した大熊喜邦氏と娘婿で同じく国会議事堂建設に関与した林豪蔵氏です。鉄筋コンクリート造4階建、施工は清水組(現清水建設)。再建費用の大半は、往時横浜に本店を置き、世界三大為替銀行のひとつに数えられた横浜正金銀行が拠出したそうです。
    先代の遠藤於菟氏設計の集会所は関東大震災で倒壊したのですが、施主関係者たちは設計者たちに先代の集会所に勝る出来栄えの作品を期待していたに違いありません。
    ゆっくりと時間をかけて鑑賞していただきたい、高層ビルにも負けない存在感を放つ名建築です。そこには周辺の高層ビルにはない、歴史と美しさが凝縮されています。

  • 旧横浜銀行集会所<br />玄関ポーチの屋根に施されたチョコレート色の装飾と一本足の白い8角形の柱に施された花模様のレリーフ装飾がエレガントです。<br />往時としては、「さすが銀行さんの保養所」と言われたほど斬新かつ奇抜なデザインだったのではないでしょうか?

    旧横浜銀行集会所
    玄関ポーチの屋根に施されたチョコレート色の装飾と一本足の白い8角形の柱に施された花模様のレリーフ装飾がエレガントです。
    往時としては、「さすが銀行さんの保養所」と言われたほど斬新かつ奇抜なデザインだったのではないでしょうか?

  • 旧横浜銀行集会所<br />玄関横に配された6角形の窓と南国情緒を漂わせる椰子の木がエキゾチックなアクセントになっています。<br />

    旧横浜銀行集会所
    玄関横に配された6角形の窓と南国情緒を漂わせる椰子の木がエキゾチックなアクセントになっています。

  • 旧横浜銀行集会所<br />細部に亘って洗練された帆船のレリーフが刻まれた重厚な銅製扉が印象的です。<br />絵柄は、マストが3本ですから、 幕末期に幕府が保有していた初期軍艦で日本初の太平洋横断を成功させた咸臨丸(かんりんまる )でしょうか?<br />

    旧横浜銀行集会所
    細部に亘って洗練された帆船のレリーフが刻まれた重厚な銅製扉が印象的です。
    絵柄は、マストが3本ですから、 幕末期に幕府が保有していた初期軍艦で日本初の太平洋横断を成功させた咸臨丸(かんりんまる )でしょうか?

  • 旧三井銀行横浜支店(三井住友銀行横浜支店)<br />「横浜のウォール街」と称された本町通りにある戦前期の銀行建築ですが、今も現役の銀行です。<br />20世紀初頭、ニューヨーク等を中心に活躍した名門設計事務所「Trowbridge &amp; Livingston」の設計と言えば、国重要文化財の日本橋室町にある三井銀行本館が筆頭ですが、各地の支店も手がけており、そのうちのひとつがこの建物です。往時米国の銀行で主流となっていた新古典主義様式の典型です。<br />1931(昭和6)年竣工。古代ギリシア建築様式の重厚感溢れるスタイルが特徴です。本館を模したとは言え、イオニア式大オーダーを持ち、その存在感には確かなものが感じられます。<br />三井銀行本館を模した縮小版で現在も銀行を営業しているのは、名古屋市上前津支店とこの横浜支店だけだそうです。まさにこの建物は、横浜関内の最後の砦と称される建造物と言えます。<br />本町通りのオーダーは4本、脇に2本配置され、建物に威厳と秩序ある雰囲気を与えています。また、その横には本館同様に角柱風の意匠も見られ、壁にはギリシア雷紋も刻まれています。<br />外観がきれいなのは、2〜3年毎にサンドブラスト(研磨剤で表面を磨く作業)を行って外観保全を行っているからだそうです。<br />建物の上部には、幅40cmほどの庇が付けられています。狭いように思えますが、暴風雨でなければ雨を凌げる市民にとってはありがたい存在だそうです。

    旧三井銀行横浜支店(三井住友銀行横浜支店)
    「横浜のウォール街」と称された本町通りにある戦前期の銀行建築ですが、今も現役の銀行です。
    20世紀初頭、ニューヨーク等を中心に活躍した名門設計事務所「Trowbridge & Livingston」の設計と言えば、国重要文化財の日本橋室町にある三井銀行本館が筆頭ですが、各地の支店も手がけており、そのうちのひとつがこの建物です。往時米国の銀行で主流となっていた新古典主義様式の典型です。
    1931(昭和6)年竣工。古代ギリシア建築様式の重厚感溢れるスタイルが特徴です。本館を模したとは言え、イオニア式大オーダーを持ち、その存在感には確かなものが感じられます。
    三井銀行本館を模した縮小版で現在も銀行を営業しているのは、名古屋市上前津支店とこの横浜支店だけだそうです。まさにこの建物は、横浜関内の最後の砦と称される建造物と言えます。
    本町通りのオーダーは4本、脇に2本配置され、建物に威厳と秩序ある雰囲気を与えています。また、その横には本館同様に角柱風の意匠も見られ、壁にはギリシア雷紋も刻まれています。
    外観がきれいなのは、2〜3年毎にサンドブラスト(研磨剤で表面を磨く作業)を行って外観保全を行っているからだそうです。
    建物の上部には、幅40cmほどの庇が付けられています。狭いように思えますが、暴風雨でなければ雨を凌げる市民にとってはありがたい存在だそうです。

  • 旧本町旭ビル<br />旧ビルのファサードを保全活用した、コンクリート造の表面に煉瓦色のタイルを貼った昭和初期の典型的オフィスビルです。古風な外観と新しいエントランスの組合わせが印象的です。<br />また、帝国ホテルを設計した近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト氏の影響を感じさせるテラコッタが建物全体の表情を豊かにしているのも特徴です。特にエントランスと窓周りにはアール・デコの影響が顕著です。

    旧本町旭ビル
    旧ビルのファサードを保全活用した、コンクリート造の表面に煉瓦色のタイルを貼った昭和初期の典型的オフィスビルです。古風な外観と新しいエントランスの組合わせが印象的です。
    また、帝国ホテルを設計した近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト氏の影響を感じさせるテラコッタが建物全体の表情を豊かにしているのも特徴です。特にエントランスと窓周りにはアール・デコの影響が顕著です。

  • 旧本町旭ビル(綜通横浜ビル)<br />1995年に地上10階地下2階建のビルとして旧建物(5階部分)の外観を保存する形で建て替えられ、「綜通横浜ビル」と名称変更して横浜市認定歴史的建造物となっています。<br />不動産・建築を手がける綜通グループのテナントビルですが、既存部分よりも淡い色彩で増築部分を覆うことで増築部のボリューム感と違和感を緩和するという視覚的手法が採られているのも見逃せません。

    旧本町旭ビル(綜通横浜ビル)
    1995年に地上10階地下2階建のビルとして旧建物(5階部分)の外観を保存する形で建て替えられ、「綜通横浜ビル」と名称変更して横浜市認定歴史的建造物となっています。
    不動産・建築を手がける綜通グループのテナントビルですが、既存部分よりも淡い色彩で増築部分を覆うことで増築部のボリューム感と違和感を緩和するという視覚的手法が採られているのも見逃せません。

  • 旧本町旭ビル<br />旧本町旭ビルは、1930(昭和5)年竣工の地上5階、地下1階建でした。<br />日本の商社として初の米国現地法人を設立した「関西五綿」の一角を占めた名門繊維商社「江商」の横浜支店として創建されましたが、設計者は不明です。<br />江商は、近江出身の北川与平氏が輸入綿糸の取り扱いを目的として横浜に創業した北川商店がルーツだそうです。<br /><br />この続きは、問柳尋花 横浜逍遥②海岸通り(横浜三搭)でお届けします。<br />「ジャック、キング、クイーンの三搭」を隈なくレポートいたします。

    旧本町旭ビル
    旧本町旭ビルは、1930(昭和5)年竣工の地上5階、地下1階建でした。
    日本の商社として初の米国現地法人を設立した「関西五綿」の一角を占めた名門繊維商社「江商」の横浜支店として創建されましたが、設計者は不明です。
    江商は、近江出身の北川与平氏が輸入綿糸の取り扱いを目的として横浜に創業した北川商店がルーツだそうです。

    この続きは、問柳尋花 横浜逍遥②海岸通り(横浜三搭)でお届けします。
    「ジャック、キング、クイーンの三搭」を隈なくレポートいたします。

この旅行記のタグ

679いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP