2015/05/21 - 2015/05/22
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montsaintmichelさん
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横浜中華街は年間2100万人が訪れる世界最大級の中華街と言われ、400m四方に極彩色に彩られた料理店がひしめき合っています。この中華街は、横浜開港と共に訪れた華僑や外国人居留地に働く中国人料理人がつくった街です。山下町全体の道割りに対し、中華街だけが都のように東西南北に区切られているのは、風水学に基づくものです。個性的な屋根付きアーチ門 牌楼が10基建てられていますが、これらは青龍・朱雀・白虎・玄武の各方位を司る守護神の下で街の繁栄と文化の継承を願うもので、観光客にとっては最初に目にする中華街の目印になります。
一際目を惹き付ける中国風の寺院が関帝廟(かんていびょう)です。三国志の英雄、あるいは華僑たちの商売の神として信仰される武将 関羽を祀っています。屋根の上のガラス細工や彫刻された列柱など見所満載です。世界的にも類を見ない発展を遂げた横浜中華街は、「関帝廟のご利益が大きい」という理由から、近年パワースポットや風水マニアスポットとしても注目されています。
また、航海の安全を守る神様・子宝の神様・安産の神様・縁結びの神様・学問の神様といった様々な神様を祀る媽祖廟(まそびょう)も女性に人気で、日本に居ながら中国の歴史や文化に触れることができる観光スポットです。
中華街の詳細マップです。
http://piyos-k.up.seesaa.net/image/E381B4E38288E381B4E38288MAP_201401.pdf
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
PR
-
善隣門(ぜんりんもん)
1955年、現在の中華街大通りの入口に最初の門「牌楼門(ぱいろうもん)=初代善隣門」が落成しました。この牌楼門のプレートに「中華街」の文字が記されていたため、街の名が「中華街」と呼ばれるようになったと言われています。
因みに、門の完成以前は、神戸中華街のように「南京町」と呼ばれていました。
その後、牌楼門は1988年に建て替えられ、現在の姿にリニューアルしています。反対側のプレートには「親仁善隣」の言葉が刻まれ、名称も「善隣門」と改めらています。「親仁善隣=隣国・隣家・隣人と仲良くする」を掲げた善隣門は、中華街の象徴でもあり、10基ある中で最も豪華な牌楼です。
極東の国々の関係もこうあって欲しいと願うのは、当方だけではないように思います。
初めて横浜中華街を訪れた方は、地図があっても目的地に辿り着けないことが多いそうです。(文明の利器スマホのGPS機能は重宝します)それは、中華街の門の外と内では道の方向が45度ずれているためです。中華街の外では道は東西南北に伸びていますが、門の中ではメインストリートが北西から南東へと伸びています。東西南北の境界にある4つの門と中心部にある5つの門、JR石川町の近くにある小さい1つの門を含めると合計10基もの門があり、どの門から入ったのかを覚えていないと帰り道を探すのに苦慮することになります。 -
関帝廟(かんていびょう)
関帝廟とは、『三国志演義』で有名な信義や義侠心に厚い武将 関羽を祀った寺院です。関羽は、蜀(蜀漢)の初代皇帝 劉備に仕えた武将ですが、商売の神としても信仰を集めています。
関羽は、塩湖で知られた解県の出身であるために塩の密売に関わったという伝承があり、そろばんを発明したとか簿記の方法を編み出したという伝説もあるように理財にも精通し、さらに人同士のつきあいの上で大切な信義や義侠心にも厚かったことから、商売の神として祀られたそうです。かの水戸光圀も崇拝していたそうです。
関帝廟は、文廟と呼ばれる孔子廟に対して武廟とも呼ばれますが、実際は武神の他にも老爺とも呼ばれ、幽界の最有力神としても崇められています。横浜中華街関帝廟の歴史は古く、この地に150年以上の歴史を誇ります。横浜中華街関帝廟は何度か地震や火災、戦乱で焼失していますが、現在のものは1990年に完成した荘厳な建造物となっており、一見の価値があります。 -
関帝廟 雲龍御道石
階段の両脇には、質量4.5トンもある青白石の一枚岩に昇り龍と降り龍が彫刻された雲龍御道石が置かれています。体が細いので、龍と言うよりも大蛇のように見えてしまうのですが…。
詳細はともかく、一見左右共に同じデザインのようです。 -
関帝廟 廟堂
これぞ中国と思わせる、金色と赤色のゴージャスさが目を惹き付けます。欄干の漢白玉石や床の大理石などに中国の珍しい石材が潤沢に使われ、屋根も皇帝しか使えない黄色の瑠璃瓦で葺かれています。また、廟堂に立てられた観音石柱は、中国清朝時代の伝統的な建築工芸技術が施された緻密な彫刻が目を惹き付けます。
このように精緻を極めた横浜中華街関帝廟は、海外にある中国建築の絶品と一目置かれ、関帝に対する華僑の信仰の厚さが窺えます。中華街のランドマークに相応しい威厳ある姿です。 -
関帝廟 廟堂
半円形のように反った屋根とその上に飾られた目の覚めるような色鮮やかな鯱類の装飾が最大の特徴です。屋根装飾の全てが美しい色ガラスを加工して制作されています。実は、中国の人たちが好む派手な色には様々な意味があります。
屋根は黄色で統一されていますが、こうした色の選び方にも街の繁栄の願いが託されています。はるか古代から、中国人にとって色は深い意味を持つものでした。陰陽五行説では、万物は5つの要素(木、火、土、金、水)から成り立ち、それぞれに固有の色を持ちます。その中心にあるのは土、すなわち黄色です。ですから、街の中央に位置する関帝廟は、黄色を基調に造られています。廟の中も黄色をイメージさせる金箔がふんだんに使われています。
もうひとつ目立つ色は、赤です。赤は、黄色を補い、より一層の力を引き出すとされる色です。横浜中華街は、震災や空襲などで何度もダメージを受けました。その度に自らの手で街を復興してきた人々にとって、赤は心を支え励ましてくれる色でした。横浜中華街を彩る鮮やかな赤。そこには、異国の地で困難を克服しながら街を築き上げてきた、華僑たちの強い意志が宿っているのです。 -
関帝廟 廟堂
横浜中華街関帝廟は、中国の工匠職人が海外で造った建造物としては他に類を見ない傑作と言われ、細部に亘り華麗な装飾が施されています。
屋根の装飾を良く観ると、青龍が吼えているのが判ります。龍は想像上の動物ですが、万能の神として神格化され、幸運を呼ぶ至高の動物とされています。また、龍は中国あるいは皇帝のシンボルでもあり、天に舞い上がる縁起の良いものです。屋根に飾られた威勢の良い龍を眺めれば運気も高まること請け合いです。
派手なビビッドカラーで向かい合った2頭の龍は、めでたさも倍増することでしょう。 -
関帝廟 廟堂
屋根瓦は、北京の工房に特別注文して作らせた極彩色(黄色)の北京瑠璃瓦で葺いています。仕上がり段階で特殊な薬液を塗り、1200℃の高温で焼き上げることで独特の光沢を出しています。また、この瓦には、防風・防水性を高めるために爪の部分に工夫が凝らされているそうです。
剪貼と呼ばれる龍や獣神、鳳凰などの屋根飾りは、骨組みしたものをセメントで造形し、その表面を鮮やかな色合いの瑠璃ガラス細工で仕上げています。
廟堂の屋根の中央に鎮座するのは地球です。しかし、何故かその下方にはイカのお姿が…。龍宮城でもあるまいし、イカの意味するところは不明ですが、目を疑いたくなるような光景です。獣神などと肩を並べるとは、イカも出世したものです! -
関帝廟 廟堂
横浜中華街関帝廟は、1862年に欧米人の筆談通訳として来日したひとりの中国人が、母国から持ち込んだ関羽の木像を祀るささやかな祠を開いたのがはじまりと伝えられています。以来、華僑をはじめ異国に暮らす人々の心の拠り所となって発展してきました。そして1871(明治4)年、華僑の募金によって本格的な関帝廟が建立されました。
現在の関帝廟は、1990年に再建された4代目に当たります。廟堂の基本構築や装飾の材料はできる限り中国から取り寄せ、中国の工匠により伝統建築工芸を駆使して再建したそうです。初代は関東大震災で崩壊、2代目は戦災で焼失、3代目は不審火で焼失しています。4代目は足掛け4年かけて造られ、横浜はもとより全国から寄付金が集まったそうです。 -
関帝廟 廟堂
4代目関帝廟を設計したのは、RA建築設計有限会社の中山厳氏です。中山氏は、この中華街の風を感じて育った華僑3世です。中国や台湾に出かけて本場の宮殿建築や社寺を見学したり、書物を読み漁って「本物以上のものを造ろう」と関帝廟再建に没頭されたそうです。
因みに、牌楼10基を設計したのも彼です。中華街の街づくりに関わる人々や中国や台湾の技術者との良い出会いなどが、彼のエンジンの潤滑油になったようです。
こうして「関帝廟を中心にした街づくり」というコンセンサスができあがり、現在見られるような「中華テーマパーク」と言ってもいいような観光名所に発展してきました。多い日には20万人もの参拝者があるそうです。 -
関帝廟 廟堂
廟堂の四方を睥睨する龍の爪は4本です。
中国では、5本は天子の象徴、4本は貴族、3本は士族、2本が臣民、卑民は1本とされています。日本では 一般的な龍の爪は3本ですが、例外的に天龍寺天井画等では5本で描かれているものもあります。 -
関帝廟 廟堂
3代目は1986年に不審火で焼失しているのですが、その原因や背景は何だったのか気になるところです。
実際、放火が噂されるなど当時の中華街は荒れていたそうです。その原因のひとつは、中国の政治闘争の波(国民党VS共産党)が中華街にも押し寄せたからです。本家中国では宗教を否定する共産革命が起き、関帝の多くが破壊されています。国民党の創始者 孫文は華僑であり、その影響から日本の華僑には国民党支持者が多かったのですが、文革などの影響を受けて共産党派も増え、商売上の利権争いなども手伝って小競り合いを繰り返したというのが70〜80年代の中華街史であり、やがて関帝廟の不審火という事件に至ったようです。
焼失後も双方は不審火の罪をなすりつけ合い、いがみ合っていたのですが、やがて時代はバブル絶頂期へと突入し、「東洋のユダヤ商人」の異名を取る華僑は、仲たがいしているよりも廟を再建して客を集めた方が儲かるという結論に至りました。そこで募金が集められ、焼失4年後にして再建がなされたのです。バブルはすでにはじけた後でしたが…。 -
関帝廟 廟堂
こうした細かい手の込んだ造形品は、ずっと見ていても飽きることがありません。
繊細な鬣など、どのように制作されているのか興味深い所です。 -
関帝廟 廟堂
係員さんの話では、強風や台風の度に屋根飾りの一部のガラス細工が剥がれ落ちてしまうそうです。それが、悩みでもあるのだとか…。もちろん、すぐに直すそうですが…。
やっぱり、ガラス細工と言われるだけあり、繊細なものなのですね! -
関帝廟 石獅(狛犬)
台湾から取り寄せた原石に鎌倉の石工職人が丹精込めて刻んだ守護獅子です。
1986年の3代目関帝廟が火災により焼失した後、焼け跡から掘り出されたものだそうです。3代目を焼失から守れなかったレクイエムとして安置したのかもしれません。それを教訓に4代目を守ろうと言うことなのでしょう。
狛犬は、大きな目を見開き、口は双方共に「阿形」で日本の神社のものとは趣が異なります。右側の雄獅子は、コミカルな表情を浮かべながら銭紐のようなものを握っています。 -
関帝廟 石獅
左側の雌獅子は、子どもを抱いています。
子獅子の表情は生き生きとしており、雌獅子には躍動感が溢れています。 -
関帝廟 廟堂 観音石龍柱
参拝ルートは、右側の階段から上り、帰りは左側の階段から下ります。
回廊には、2本の観音石龍柱と4本の「関聖帝君」の活躍を物語る彫刻が施された観音石柱が立てられています。これらの精巧な装飾は、全て台湾の工匠の手によるものです。細い透かし彫りに近い部位もあり、どのようにして刻んだものか興味深いところです。 -
関帝廟 廟堂 観音石柱
三国志をもう少しまじめに読んでおけば、どのシーンを切り取った彫刻か判っただろうにと忸怩たる思いです。
劉備玄徳、張飛翼徳と天地を祀りて桃園に義を結ぶ関羽は、深慮遠謀の勇将ばかりでなく、忠烈無双であり義侠心に厚い人物でした。また常に弱者の味方だったため、死後に神と崇められました。特に清朝の時代には、関羽を祀る廟が全国津々浦々にあったそうです。そして何時の頃からか、武神関羽は福の神(財神)、即ち商売繁昌の神として信仰されるようになったのです。
異国の地にやって来た中国の人たちは、親とはぐれた迷子のように、あるいは群れから外れた子羊のように、心細く暮らす中で関帝を心の拠り所にしてきました。
神戸 元町や京都 萬福寺、長崎 崇福寺など、華僑のある所には必ず関帝像があります。また、新華僑と呼ばれる中国人の経営するレストランなどには、高い所に真赤な顔に長い髯のご神体が置かれています。それも関帝像だそうです。
長崎 崇福寺の旅行記はこちらを参照してください。
http://4travel.jp/travelogue/10865071 -
関帝廟 廟堂 観音石龍柱
廟堂の内部に入るには、線香(5本で1セット500円)か金紙のチケットを自販機で買います。これが実質の参拝料になります。すぐ隣で購入したチケットと線香または金紙と交換して「1」から「5」まで数字が書かれた順に5人いる神様に参拝するため、1本ずつ香炉に線香を供えていきます。線香は日本のものとは異なり、花火かと思うほどの太さと長さです。
因みに、
1の神様は玉皇上帝:御利益は国泰平安。
2の神様は関聖帝君:御利益は交通安全・商売繁盛・学問。
3の神様は地母娘娘:ご利益は除災・健康 。
4の神様は観音菩薩:ご利益は解難・健康・縁談・安産。
5の神様は福徳正神:ご利益は金運・財産安全。 -
関帝廟 廟堂 観音石柱
観音石の4本の柱には、三国志の名場面がびっしりと刻まれています。
これは、毒矢で負傷した関羽が、神医 華陀に左腕を切開させ、毒に犯された骨を削って荒療治させるかたわら、もう片方の手で囲碁を愉しんでいるシーンです。
関羽の剛胆さが窺える名場面です。 -
関帝廟 廟堂 観音石柱
こちらは、赤兎馬にまたがって戦場を駆け回って青龍偃月刀で敵を薙ぎ倒す、「虎牢関の戦」のワンシーンと思います。
三国志ファンにはたまらない彫刻群だと思います。
余談ですが『三国志演義』の中で関羽が神格化された理由として、羅貫中が原稿執筆中に「関羽が曹操の夫人に手を出した」と書こうとしたところ、関羽が羅貫中の夢の中に現れて「ふざけたことを書くと貴様の頭もこうなるぞ!」と一喝し、蝋燭を叩き斬ったそうです。それ以降、羅貫中は関羽を全く邪念のない人物として書かざるをえなくなったという逸話もあります。 -
関帝廟 廟堂
よく観ると、軒下には精巧で華麗な小さな燈籠と思しきものがいくつも吊り下げられています。
こうした煌びやかな装飾が何を意味するのか判って観ると、より趣があるのでしょうね! -
関帝廟 廟堂 観音石柱
燈籠も趣があります。廟堂内部の燈籠と同じ意匠のようです。
燈籠の下にも、向かい合う2頭の龍が石板に彫られています。 -
関帝廟 廟堂
天井には、赤や金、緑色などの極彩色の絢爛豪華な彫刻が無数に施され、目も眩むばかりです。日光東照宮の陽明門を彷彿とさせる夥しいほどの装飾に圧倒されます。
こうした赤色を基調とした装飾は、風水では魔除けの意味があるそうです。中華街の四方の門から入ってくる気は全てこの関帝廟に集中し、良い気はここに留まり、悪い気は取り除かれるということだそうです。
ですから、横浜最強のパワースポットと言われるのも頷ける話です。 -
関帝廟 廟堂 関帝
本殿の祭壇中央に鎮座する立派な黒い髭をたくわえたのが関帝です。その右側には、小説『三国志演義』で養子の関平(かんぺい:史実では実子)、左側に同じく『演義』に登場する配下の武将周倉(しゅうそう)の2神を祀っています。
関平将軍は印綬を持ち、周蒼将軍は関羽の有名な武器である青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を持っています。
この2人は、関羽が呉によって討たれた荊州にて、関羽と命運を共にしました。
その縁で、こうして関羽の両脇を守るように祀られているのでしょう。 -
関帝廟 廟堂
廟堂の8角網組天井は、様々な動物や縁起の良い蓮の花の燈篭などで装飾され豪華絢爛です。
この煌びやかな天井には、天を表現した「玉皇上帝」が祀られています。
無形の「天」を具像化したものが「玉皇上帝」であり、万物の根源とされています。宇宙の創造主であり、絶対的な支配者でもあります。自然現象や天災、人災、政治、経済、法律など生活に関わる一切を決定し、終局的には天から与えられた「天命」が全てであると考えられています。従って廟堂は、祭壇の前に天を仰ぎ見る天井を造り、そこから「天」を仰ぎ、空を拝む形になっています。 -
関帝廟 廟堂 観音菩薩
右端に祭られているのが観音菩薩です。インド由来の仏教の神明で、幸福の守護神として信仰されています。
ここの観音菩薩は日本由来の仏像で、浅草の金龍山 浅草寺から分香されたものと伝わっています。
廟堂内は、一切の撮影が禁じられていますので、こうした写真は外からしか撮ることができません。廟堂内に入らずにこのように外から写真を撮るだけならば、線香や金紙などの参拝料を払う必要はありません。 -
関帝廟 廟堂 地母娘娘(じぼにゃんにゃん)
古代の神話時代に生まれた神明で、万物創造の神明として祀られています。 -
関帝廟 牌楼
牌楼は関帝廟への入口となる門で、高さ12mあります。細かい木彫りの彫刻には金箔が施され煌びやかです。
最上層には2頭の龍が佇みます。 -
関帝廟 牌楼
牌楼彫刻部分のズームアップです。 -
関帝廟 牌楼
牌楼の屋根飾りも賑やかです。 -
関帝廟
左端に聳える「華表」は、2004年の春節に建てられました。龍などの彫刻を施した石造りの大柱である華表は、古来より宮殿などに設けられ、王者の格と人の歩む道を指し示すシンボルとされています。
深刻化してきた日中関係が早く改善されれば良いなと祈りながら関帝廟を後にしました。 -
横浜中華街 市場通り門
赤い灯籠(タンロン)が並ぶ、賑やかな市場通りの風景です。
大通りの中ほどにある狭い路地で、料理店の他に青果や鮮魚、精肉といった食材店や点心の店頭販売、食器店、雑貨店などが軒を並べ、下町の公設市場を彷彿とさせます。
市場通りは、大正時代に様々な種類の食品店が軒を連ね、朝市の場として繁盛していたのが名前の由来です。戦後、中華街の発展に伴って現在の姿になっています。門を潜れば、旧き時代から受け継がれてきた市場の賑わいをそのままに感じることができます。 -
横浜中華街 あずまや「会芳亭」
関帝廟通りにある山下町公園(別名:小公園)が整備され、中国風デザインのあずまや「会芳亭」が設けられ、市民の方々や観光客が憩いでいます。
この公園のある山下町135番地は、貧民救済と施療のために中華会館が経営した施設「同済病院」として初めて中国人が借りた土地です。ですからこの135番地は、横浜中華街の発祥の地と言っても過言ではありません。
明治初期には、居留地向けの劇場と料理屋を兼ねた総合娯楽施設「会芳楼」が建ちました。居留地の劇場と言えば、68番地の日本初の本格的演劇場「ゲーテ座」が有名ですが、年代的には会芳楼の方が先になります。その後、この地には清国領事館が移転しますが、関東大震災や空襲で焦土と化し、やがて公園に生まれ変わりました。
こうした歴史を知ればこそ、心身共に憩うことができるのではないでしょうか? -
媽祖廟
横浜媽祖廟は、明治時代に現在の山下公園内にあった清国領事館施設内に天后宮が祀られていたという記録がはじまりとされます。
横浜に相応しい現在の姿となって落慶開廟したのは2006年です。マンション建設の話しが持ち上がった時、街づくりの観点から反対運動が起こり、その解決策として土地を買収して長年強く熱望されていた媽祖廟を建立することで丸く収めた形です。
普通なら長くこじれそうな土地問題も、「通玄の霊女」のパワーでWin^3の状況を生み出せたのでした。これならご利益が期待できそうです! -
媽祖廟 廟堂
朱に映える鮮やかな牌楼をはじめ、8角形のお堂の屋根や天井、欄間に至るまで日本では珍しい極彩色に塗られ、壁面には見事な彫刻が余すことなく施され、目を釘付けにします。台湾から職人を招いて細部まで拘って造っただけに、建築・彫刻・色彩と三拍子揃っています。
境内で揺れる赤い灯籠(タンロン)は、参拝者を迎える玄関に明かりを灯す役割を担う他、魔除けの意味もあるそうです。
媽祖廟は女性の神様で、災難除けをはじめ縁結びや安産など、女性特有の様々な願いに霊験あらたかとされています。
誰でも自由に参拝できますが、廟堂の内部に入るには専用の線香を購入して身を清めなければなりません。入口の券売機で券を買うと、入り口で線香と引き換えてもらえます。廟堂の手前からお参りするだけなら身を清める必要はありません。 -
媽祖廟 金亭
階段の上り口の両脇に建つ五重塔のような形をしたものが、金亭です。
線香の他にお供えとして金紙が売られており、中国式では金紙という紙を燃やして祈ります。金紙は紙の中央部に金箔が貼られたもので、これを燃やすことで天にいる神様にお金をお供えすることができると考えられています。
縁結びや安産など、女神様が多く祀られているのが媽祖廟の特徴です。 -
媽祖廟 太鼓楼
太鼓楼と鐘楼の袴部分には、媽祖廟の建設現場から出土した煉瓦約1000枚が使用されているそうです。
鐘楼は太鼓楼の反対側に同じような形で建てられています。 -
媽祖廟 廟堂
廟堂中央には媽祖(天上聖母)が鎮座し、その両脇を媽祖の守護神と言われる「順風耳」と「千里眼」が固めています。
因みに、「順風耳」は遠くの声を聞く耳であらゆる人の声を聞き分け、また「千里眼」は遠くを見る目であらゆるものを見分け、それぞれが媽祖に寄与しているそうです。これらの2神は元々は悪神でしたが、媽祖に調伏されて改心し、以降、媽祖の従神となったと伝えられています。 -
媽祖廟 廟堂 天上聖母(媽祖)
媽祖廟に祀られているのは、「媽祖」という千年ほど前の北宋時代に福建省に実在した官吏の娘 林黙娘(りんもうにゃん)です。名の由来は、生後1ヵ月も泣き声をあげなかったからだそうです。幼少期から才気に長け、10歳の頃には朝晩欠かさず念仏を唱え、16歳の頃には神通力を得、「通玄の霊女」と崇められていたと伝えられています。悪や災いを退けて人々の病を癒したといい、人々から信仰を集める対象になったとされています。
黙娘は28歳の9月9日に修行を終えて天に召されましたが、彼女のパワーはやがて多くの人の知るところとなり、「天妃」や「天后」、「天上聖母」と敬意を表して呼ばれるようになりました。
死後も赤い衣装を纏って海上で難民を救助したという言い伝えから、初めは航海の安全を守る守護神として信仰されましたが、後に台湾などの華僑にも崇められる対象となり、現在では自然災害や疫病、戦争、盗賊から身を守る女神として信仰を集めています。
横浜媽祖廟は2006年に開廟し、媽祖に仕えるものとして月下老人や臨水夫人などの多種多様な神様が祀られているため、様々なご利益があるとされています。 -
媽祖廟 廟堂
絢爛豪華で極彩色豊かな天井の装飾です。
まるで万華鏡を覗いているような煌びやかさに息を呑みます。 -
媽祖廟 廟堂 入口
媽祖廟には、媽祖の他、民衆信仰では最高神とされる「玉皇上帝」、縁結びの神「月下老人」、子宝の神「註生娘娘(ちゅうせいにゃんにゃん)」、学問の神様「文昌帝君」、安産の神様「臨水夫人」なども一緒に祀られています。
玉皇上帝は、尊くて像も彫めない天の神様です。廟の天井が上皇の象徴になっているようです。
註生娘娘は子授けの女神様、臨水夫人は安産の女神様で、廟内に並んでいらっしゃるのですが、外からでは柱の陰になって見ることができません。 -
媽祖廟 廟堂 出口
日本人が受験の時だけは天神様(学問の神様・菅原道真を祀った神社)に必死になってお参りするように、台湾の受験生も文昌帝君や孔子をお参りするそうです。 -
媽祖廟 廟堂
媽祖廟では、祈願する際には赤いリボンに名前を記して奉納処に結びつけます。これは、林黙娘は天に召された後も赤い衣装を纏って海の上を舞っていたことに由来するものだそうです。 -
媽祖廟 廟堂
8角形の廟堂の周囲には、中国伝統建築独特の細やかな動物などの彫刻が施されています。 -
媽祖廟 廟堂
装飾というよりもアートの領域です。
横浜媽祖廟は、知る人ぞ知る恋愛成就のパワースポットでもあります。ピンク色をした可愛い縁結びのお守りも大変人気で、中に縁結びの象徴の赤い糸が入っているそうです。このお守りだけでもご利益が期待できるのですが、更にパワーアップする方法があります。それは、頂いたお守りに香炉の煙を浴びせることだそうです。最も効果的なのは自分でお供えした線香の煙を浴びせることだそうですが、すでにお供えされている線香の煙でもOKだそうです。もの判りのよい神様のようです。 -
媽祖廟 廟堂
観音石龍柱の見事な龍です。 -
媽祖廟 廟堂
8角形の廟堂の側面や柱にはひとつひとつ違う絵柄が彫り描かれ、さながら動物園の様相です。滑らかな石と緻密な細工が荘厳な雰囲気を醸し出しています。
豹の体の模様は表面の粗さを加減して明暗を付与しています。 -
媽祖廟 廟堂
虎の絵柄です。 -
媽祖廟 廟堂 熊猫
これは一番できが悪い作品というか、あまりにリアルにパンダを彫り込んだため、一般的なイメージと乖離したものです。
違和感があると言うのは、普段見慣れた日本のパンダのイメージがかなりデフォルメされているという証なのでしょう。 -
媽祖廟 牌楼
参拝を終えて廟堂を背に立つと、牌楼門に「恩澤四海」と掲げられているのが見えます。
参拝を終えた人々は、媽祖の恩沢(ご利益)が四海(世界中)に及んでいることに気付かされ、心満たされてそれぞれの家路に就くのだと思います。 -
媽祖廟 牌楼
牌楼の彫刻のズームアップです。
媽祖信仰は日本にも存在し、ヤマトタケルの妃のひとりであり海上の神ともされる「オトタチバナヒメ信仰」や日本在来の「船玉信仰(航海の安全を願う神の信仰)」に結び付いて広まったとされています。現在でも茨城県 弟橘姫神社や青森県 大間稲荷神社などに祀られているそうです。 -
横浜中華街 石燈籠
南門シルクロードにある「OLIVE SPA」の前に大きな石燈篭が安置されています。笠の部分に特徴があり、笠に鳥が彫られている珍しい燈篭です。竿には昇り竜です。
ネットで調べてみると、石燈篭は「炎の料理人」として人気を博した周富徳さんのお兄さんが営まれていた中華料理店の名残だそうです。
周一族が中華街から撤退して数年経ち、周富徳さんはマスコミ等にも顔を出していなかったのですが、ネットで調べてみると2014年4月に71歳で誤嚥(ごえん)性肺炎で亡くなられていたことを知りました。最期まで糖尿病と闘われていたそうです。ご冥福をお祈りしたいと思います。
余談ですが、国際糖尿病連合が発表した「糖尿病患者数ランキング」の第1位は中国で、その数は年々増加しているそうです。中華料理は体によくないのかと不安になりますが、医師で医療ジャーナリストの森田豊氏は「中華料理は、本来はヘルシーな食べ物」と言われています。「多くの色の野菜を使った多色な料理で、ポリフェノールやミネラルなど栄養バランスに優れています。また、強力な炎で瞬時に炒めるため、加熱によるビタミン損失が少ない」と言います。
では、何故中国で糖尿病患者が増加しているのか?
複数の要因があり一概には言えないものの、欧米人に比べて中国などアジア人は遺伝的に糖尿病になり易いそうです。また、近年の急速な経済成長がライフスタイルを一変し、高エネルギー・高カロリーの欧米式の食事が好まれるようになったのも原因のひとつに挙げられています。つまり、遺伝と環境の変化が原因のようです。
糖尿病を防ぐには、ラーメンとチャーハン、ラーメンとギョーザのような炭水化物同士の組み合わせは避けたほうが賢明だそうです。 -
横浜中華街 四五六菜館 新館
店の壁には、武将と思しきモザイク画があります。
青龍偃月刀のようですので関帝でしょうか? -
横浜中華街 朱雀門
元町方向(南)には「朱雀門」があります。
火を象徴する朱雀だけに門は赤く塗られています。朱雀は昇る太陽の象徴、光で明るく世界を照らす=「家運隆盛」を意味しています。更に、恋愛運のアップにも朱雀は力を貸してくれるそうです。
次は、朱雀門を潜って中村川に架けられた前田橋を渡り、元町商店街でショッピングやランチを愉しんだ後、みなとみらい21まで繰り出します。
この続きは、⑧横浜 街ある紀(エピローグ)でお届けいたします。
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