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「游相日記」による渡辺崋山の3日目の行程は、下鶴間村の「まんじゅう屋」を出発し、途中「小園村」に立ち寄って、お銀さまの消息をつかみ、その後「厚木」まで行くことでした。<br /><br />ここで、渡辺崋山とお銀さまの生い立ちについて調べてみます。<br />渡辺崋山は1793(寛政5)年、三河国の小藩・田原藩家臣の長男として江戸に生れました。<br />一方、お銀さまは相州早川村の生まれで、渡辺崋山が少年の頃の渡辺家に奉公する女中でした。渡辺家が藩主の側用人を務めていた関係で、お銀さまも藩主(第11代三宅康友)のお世話をしているうちに、藩主のお手が付き、鋼蔵(後の友信)を生み、側室に昇格しました。<br /><br />翌年、お銀さま実家の母が急死したため、乳飲み子を江戸に残して、実家に帰りました。その間に、思いもよらぬ悲劇がおこりました。お銀さまは江戸に帰れなくなってしまったのです。表面上は、当時流行った疫病を江戸に入れないということですが、小藩・田原藩の悲しさか、御世継を生んだ側室にもう用はない、というのでしょうか、離縁されてしまったのです。<br /><br />それから20数年の歳月が過ぎ、鋼蔵も一児(第15代田原藩主三宅康保)の父となり、赤ん坊の時分かれた生みの母「お銀」の消息を知りたいと、崋山に依頼したのでした。そうして渡辺崋山の旅が、藩主・三宅氏の家譜編纂のための調査の一部である「御側室譜」の作成という名目で実現しました。<br /><br />「游相日記」では、崋山は道中いろいろな人に尋ねた結果、お銀さまはその後小園村の清蔵という家に嫁に行っていることがわかり、たいそう喜んでその家を訪ねました。そしてようやくお銀さまに会うことが出来ました。会った時の様子の一部を抜粋します。<br /><br />(そのうちにお銀さまの父の)幾右衛門も(早川村から)やってきた。年は78で、まだ壮健な老人である。さらに行く末、来し方の物語が重なって、皆、時々涙をこぼしあった。(お銀さまは)自分の身の上を語っては泣き、江戸のことを思い出しては泣いている。「今日という日は、神仏のご加護があったのでしょうか、こういう方が、草深い田舎家までお訪ねくださったとは・・・・」<br /><br />図は崋山が描いたその時の様子で、左が幾右衛門、中央がお銀さま、右が崋山です。<br /><br />今回の私の旅行記では、前回のゴールの「さがみ野」から、大山街道を進み、途中小園に立ち寄り、海老名までを紹介します。<br />

大山街道⑥ さがみ野(海老名市)~小園(綾瀬市)~海老名駅(海老名市)

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2015/04/12 - 2015/04/12

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元カニ族

元カニ族さん

「游相日記」による渡辺崋山の3日目の行程は、下鶴間村の「まんじゅう屋」を出発し、途中「小園村」に立ち寄って、お銀さまの消息をつかみ、その後「厚木」まで行くことでした。

ここで、渡辺崋山とお銀さまの生い立ちについて調べてみます。
渡辺崋山は1793(寛政5)年、三河国の小藩・田原藩家臣の長男として江戸に生れました。
一方、お銀さまは相州早川村の生まれで、渡辺崋山が少年の頃の渡辺家に奉公する女中でした。渡辺家が藩主の側用人を務めていた関係で、お銀さまも藩主(第11代三宅康友)のお世話をしているうちに、藩主のお手が付き、鋼蔵(後の友信)を生み、側室に昇格しました。

翌年、お銀さま実家の母が急死したため、乳飲み子を江戸に残して、実家に帰りました。その間に、思いもよらぬ悲劇がおこりました。お銀さまは江戸に帰れなくなってしまったのです。表面上は、当時流行った疫病を江戸に入れないということですが、小藩・田原藩の悲しさか、御世継を生んだ側室にもう用はない、というのでしょうか、離縁されてしまったのです。

それから20数年の歳月が過ぎ、鋼蔵も一児(第15代田原藩主三宅康保)の父となり、赤ん坊の時分かれた生みの母「お銀」の消息を知りたいと、崋山に依頼したのでした。そうして渡辺崋山の旅が、藩主・三宅氏の家譜編纂のための調査の一部である「御側室譜」の作成という名目で実現しました。

「游相日記」では、崋山は道中いろいろな人に尋ねた結果、お銀さまはその後小園村の清蔵という家に嫁に行っていることがわかり、たいそう喜んでその家を訪ねました。そしてようやくお銀さまに会うことが出来ました。会った時の様子の一部を抜粋します。

(そのうちにお銀さまの父の)幾右衛門も(早川村から)やってきた。年は78で、まだ壮健な老人である。さらに行く末、来し方の物語が重なって、皆、時々涙をこぼしあった。(お銀さまは)自分の身の上を語っては泣き、江戸のことを思い出しては泣いている。「今日という日は、神仏のご加護があったのでしょうか、こういう方が、草深い田舎家までお訪ねくださったとは・・・・」

図は崋山が描いたその時の様子で、左が幾右衛門、中央がお銀さま、右が崋山です。

今回の私の旅行記では、前回のゴールの「さがみ野」から、大山街道を進み、途中小園に立ち寄り、海老名までを紹介します。

同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩

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