崋山とお銀さまの涙の対面、しかし天寿(79歳)をまっとうされたお銀さまに合掌
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- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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by 元カニ族さん(男性)
海老名・座間・綾瀬 クチコミ:19件
お銀さまのお墓の前の説明板には次のように書かれています。
「この上の墓地の中に、お銀さまの墓があります。
お銀さまは本名を「まち」といい、江戸時代後期に早川村の佐藤家に生まれました。後に江戸の田原藩下屋敷に奉公に出て藩主三宅康友の寵を受け、友信を生みましたが母の急死で帰郷し、その後小園村の大川家に嫁ぎました。
渡辺崋山が少年期に世話になった、この「あこがれのお銀さま」を天保2年(1831)に訪ねた様子は「游相日記」として今に残っています。」
と書かれています。
しかし、この説明だけでは、崋山とお銀さまの涙の対面の感動が伝わってきません。なぜお銀さまが、母の葬儀のあと、江戸に戻ら(あるいは戻れ)なかったのか?
一説には、「当時は流行っていた疫病を江戸のいれないため、とか「お世継ぎを生んだ側室にもう用はない」といった小藩ゆえの事情があったとか言われています。
さればこそ、涙の対面の感動が理解出来ます。
しかしお銀さまは79歳くらいまで生きていたようで、天寿をまっとうされたことがせめてもの救いです。
合掌
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4.0
- 利用した際の同行者:
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- 4.0
クチコミ投稿日:2015/04/21
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